現代社会は責任をとらない人間が得をするように出来ています。他人にリスクを転嫁して本人はリターンだけを得るのです。日本も同様です。具体的に見ていきましょう。
「ニッポン無責任時代」という1960年代の映画があります。コメディ映画ですが人生の極意が述べられています。主人公を演じる植木等はスーパー・サラリーマンです。時間通りに会社に出社する事はなくサボって遊んでいます。しかし常にアンテナを張り世の中の動向を読んでいます。巧みにタイミングを掴んで時流に乗り大きく儲けるのです。手段は選びません。
この映画は誇張されたコメディです。しかし実際に昔の営業は、昼間から雀荘に入り浸りゴルフに出かけ、そこで商談をまとめていたりしたのです。食費や土産物は会社の経費を使います。ついでに賭け麻雀の借金や愛人の費用も経費に転嫁します。なんといっても営業成績は正義です。会社も「怪しいな」とは思いつつもそれで売上が伸びるのならば文句は言わなかったのです。
映画で植木等は「自分は楽をして儲ける」と謙遜しています。けれども極めてレバレッジの効いた仕事をしているのです。労力×時間で測られるような仕事は徹底的に怠ける一方で、ここぞという時には全精力を傾けるのです。そうして「コツコツとやる人はご苦労様」とひとりごちるのです。
さらに彼は、人生で大事なことは「タイミングと調子良さと無責任だ」と説いています。言い換えると「日和見主義に基づきタイミングを見極め、モメンタムに乗ること。そして失敗のリスクを他人へ転嫁すること」となります。
さて21世紀の日本はどうでしょうか。見事に無責任な人達が成功しています。たとえば官僚です。彼らは何をやっても責任を取らされることがありません。私利私欲の為に動いてもです。そもそも組織全体がそうなのですから個人がどうにか出来るものではありません。
そうして安心して「何十年も金融緩和を続けたらどうなるか」「増税を繰り返したら人々はどうなるか」という壮大な社会実験に取り組む事ができます。「国のために重い責任を負って頑張っている」というのは詭弁です。敢えていうのならば「国」というのは彼ら自身のことです。
日本経済を大混乱に落とし入れてもたっぷりとした退職金をいただき、高給を食むことの出来る天下り先に三顧の礼で迎えられます。年金もたんまりと貰う事ができます。収入は税金ですから安定しています。減額される事は絶対にありません。法律を熟知しているので子供にも十分な遺産を相続させることができます。
役所の予算が減ってきたら法律を改正して増税すれば良いだけです。商売とは異なり実に簡単です。お手盛りで収入を増やす事ができるのです。リスクは国民がとり、リターンだけを頂くのです。
役人から得られる補助金に群がる人達もいます。土木・建築業界はほとんどが国の事業におぶさっています。彼らも税金で食っている人達です。医療業界の人達も国民皆保険制度があるために、ほぼ税金で暮らしているようなものです。自動車業界でさえも円安や消費税還付金によって大きな利益を得ています。これらは全てノーリスクで得られるリターンなのです。
メディアやそれと結託した批評家や学者などもそうです。彼らは上述した人々の援護射撃を行います。それによって得られる実(み)は甘いものです。到底この誘惑に抗しきることはできません。国の機関を通して謝礼が支払われますし、業界で栄誉ある地位も得られます。人々からは「先生」と呼ばれるようになります。
プロとして生活している人で本当に民衆の味方をする人はいません。そんな事をしても一文の得にもならないからです。それどころか、彼らの意見はメディアによって効果的に増幅されますので、人々はこれが真実なのだと思い込むようになるのです。
大企業もそうです。彼らの売るものの多くは本質的に不要なものです。しかしマーケティングの力によって愚鈍な者にはそれらの商品が魅力的に見えます。こうして貧しい者はますます貧しくなるのです。
このような世界では「誰が本当の力を持っているのか」を見極める嗅覚が必要です。そうして流れを読むのです。たとえば宗主国の意見が変わったら、サッと自分の意見を変える事も必要です。その際に「前から自分はそう言っていたのだ」と表面的な一貫性を保つ事も大事です。
民衆が貧しくなり食べられなくなったら、食品会社も「カロリーゼロ」から「カロリー増量」へと華麗なる転身を遂げます。人々は「ちょっとした美味しさ」というリターンを得るために健康被害というリスクを負います。
強いものを見極めたら今度はそのお零れを頂きます。就職先としては税金や補助金で成り立っているような法人が理想的です。収入が途絶える事はありません。彼らの帝国は永遠に続きます。
こうした人々は資本主義とは全く異なる世界で生きています。経済成長やそこから得られる資本の増大とは直接の関係がないのです。資本主義は常にリスクと隣り合わせです。しかし彼らにとっては、経済成長がマイナスになり、国民全体が貧しくなってもお構い無しです。解決策は経済が上向けば増税。経済が下向いても増税です。税金はアルファでありオメガです。
日本人の多くは税金で暮らしている人達です。彼らが減税を訴えるわけがないのです。むしろ増税をしてくれた方がはるかに有り難いのです。彼らにとっては変化は凶事でしかありません。今の体制が末永く続く方が良いのです。
日本の中でもっとも強大な権力を持っているのは役人です。検察や国税、警察権力を使い政治家や富裕層を震え上がらせる事ができます。法を司り許認可権を持っているので大企業も役所に呼ばれて頭を垂れる他はありません。さらに彼らの後ろには宗主国がいるのです。
こうして人々を意のままに操る事ができます。役人の収入は景気とは関係なく年数を経るにつれて右肩上がりに増えて行きます。インサイダー情報やキックバックもあります。何をやっても責任を免れる絶対に安全な場所にいます。老後も富と平和が約束されています。彼らは現代社会の勝者なのです。
反対に末端の民衆はどうでしょうか。仕事を頑張っても昇給どころか物価高と増税で苦しくなっていきます。仕事でミスをすれば懲罰が待っています。解雇もあり得ます。末端労働者でも責任は重く彼らは睡眠不足の目を大きく見開いて眼の前の仕事に集中しています。仕事を失っても、健康を害しても投資で失敗しても全ては自己責任です。年金はありません。ついでに退職金も無くなります。生活保護も受けられないかもしれません。
僅かばかりのリターンの為に大きなリスクを負っているのです。そうした不安を食べ物や消費や薬で誤魔化しています。惨めなものです。
タイミングを計りながら強いものに擦り寄る。そこからお零れを頂く。そうして一切責任をとらない。これが最も良い生き方なのです。ただしこの生き方は時代の変化に弱いという事は覚えておいた方が良いでしょう。変化に対応するにはまた別の生き方があります。
体制が続くか。あるいは大きく変わるか。どちらに賭けるかは個人の判断に委ねられているのです。