kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

マランツのネットワークオーディオプレーヤー(NA6006)

スマートスピーカーでストリーミング再生を聴くのにも飽きてきたので、ネットワークオーディオプレーヤーの入門機を手に入れ、既存のシステムと繋げてみました。マランツのNA6006です。それほど期待をしていなかったのですが、意外と音は悪くありません。CDプレーヤーの音と比較してみました。(CDプレーヤーは、アキュフェーズのDP-510)

 

ストリーミングサービスは、AmazonMusicHDを利用しています。AmazonがUltraHDと呼んでいるハイレゾ音源は、CDの音と比べて明らかにいいです。音の分離が良く、定位がはっきりしています。またNA6006は、マランツらしい付帯音の少ないすっきりとした音作りです。(Diana Krall の "I remenber you"、sabine devieilhe の "Duo des fleurs" で比較)

 

一方、HDと呼んでいるCDと同等レベルの音源は、CDプレーヤーの方がいいです。音の定位は変わらないもの、NA6006の方は、音に厚みがなく痩せて聞こえます。DAコンバーターの差だと思います。しかしその差は僅かです。(ショルティ指揮の「クープランの墓」で比較)

 

NA6006は、DAコンバーターの設定を変えられるようになっています。フィルターとロックレンジです。

フイルターは、インパルス応答が短いフィルター1と非対称インパルス応答のフィルター2のどちらかを選べます。フィルター1の方がデジタルらしい切れの良い音を楽しめます。録音が古いものはフィルター2の方が違和感が少ないです。

ロックレンジですが、「ナロー」「ミディアム」「ワイド」の三段階から選べます。狭めれば緻密な音に聴こえますが、反面、耳障りに聴こえる事もあります。さらに再生中の音切れのリスクも高まります。「ワイド」方向にすると、音の輪郭がぼやけ付帯音も増えていきます。しかし聞きやすいとも言えます。どれが良いかは、音楽の種類やその時の状況によって変わってきます。

 

 光ファイバーでつなげれば、CDプレーヤー側のDAコンバーターを利用する事もできるので、そちらも試してみようと思います。

マランツ Marantz NA6006 ネットワークオーディオプレーヤー HEOS/ハイレゾ/Airplay2対応 シルバーゴールド NA6006/FN

Cavalleria Rusticana - Inneggiamo

マスカーニのオペラ、カヴァレリア・ルスティカーナから「讃えて歌おう」です。オペラ自体はシチリアを舞台にした痴話喧嘩絡みの殺人事件を扱ったものですが、美しい曲で満ちています。素朴な信仰心から激情に至る様々な感情が描写されています。一般的には、映画「ゴッドファーザー3」で劇中劇として取り上げられたことが有名かもしれません。現在最も人気のあるメゾソプラノの一人である、エリーナ・ガランチャが歌っています。

meditation

マスカーニ : 歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」

マスカーニ:歌劇≪カヴァレリア・ルスティカーナー≫/レオンカヴァッロ:歌劇≪道化師≫ [DVD]

言葉を扱えず知の蓄積ができない日本人

日本人は知の蓄積ができません。何か事が起こると、その度に対策をいちから考えるのです。彼らが作り出した策には碌(ろく)なものがありません。そうして懲りずに何度でも失敗を繰り返すのが日本流です。結果はどうでも良くて、やったフリをする事だけが大事です。

 

日本人は自力で文字を作り出すことが出来なかった人たちです。文字が無いという事は知の蓄積ができないという事です。文明は、知の蓄積が前提です。文字を扱えないのではサルと一緒です。言葉と文字の有無こそが、獣と人間を分けている点なのです。

 

日本には「正書法」がありません。定まったルールも無しに文章を記録するとは、なんといい加減な連中なのでしょうか。「知」に対してまったく鈍感な人々です。敬意が欠けています。公文書の改ざんだって平気で行います。

学校では修辞法も教えられません。つまり彼らには知のフレームワークが無いのです。考える方法を知らないのです。

国語の授業では、実態に合わない文法も教えられています。教えている方も良く分かっていません。学者も含めて日本語の構造を理解していないのです。

 

さらに漢字の問題があります。日本では、昔ながらの画数の多い漢字を未だに使っています。漢字を書けないだけでなく、読めもしないのにです。このため、実質的な文盲が日本には多く存在します。

 

文法がいい加減で正書法も定まっていない日本では、人々は格助詞や助動詞を適当に省略してしまいます。もともと日本語の語順は滅茶苦茶なのに、格助詞や助動詞を省略してしまったら、文意が伝わらなくなってしまいます。ネットのニュースタイトルを見てください。文字数制限があるとはいえ酷いものです。

受け手も「分からない」と言えば良いのに、ただ頷くだけで何も言いません。そのせいもあり、地位が上にある日本人は、長ったらしくて意味のない演説をぶってしまうのです。ビジネスの現場でも、うっかり同じ文を繰り返してしまって「大事なことなので2回言いました」と取り繕う人がいます。外見だけで中身が空っぽな日本人の特徴が、ここにも表れています。

 

庶民用の、簡略化した日本語が必要です。あるいは、上層階級だけ別の言語を使うという選択もあり得ます。頭が悪いのに、小学校から中学校まで時間をかけて漢字を覚えている場合ではありません。その上に英語やプログラミングだなんて無理でしょう。もっと大事な事が沢山あるのです。 

文語体と口語体の乖離も問題です。どこの国でもそうですが、まともなオツムを持つ人々が国語をメンテナンスしていかなければ、国語は容易に劣化していきます。

 

今の時点では、こういった基礎が出来ていないので、彼らが長い文章を理解するのは絶望的です。SNSでのやり取りを観察していると、文章を読んでいるのではなく、キーワードに反応しているだけなのが分かります。たぶん彼らは、ほとんどの文章を視覚的に処理しているのでしょう。小学生のように、まずは音読からやり直した方がいいです。

 

日本人は思考力だけでなく、共感力も貧困です。「相手の身になって考える」「相手の感情を想像し寄り添う」といった人間として当たり前のことが出来ないのです。

共感力はありませんが、自分の利益のために、想像力を活用して相手を利用する事はあります。

日本では、説得する際には相手が「腹落ち」してくれる事が大事です。言葉では納得しないのです。言葉を並べるだけでなく、対面でコミュニケーションをし、飲食をともにすることが必要です。相手に「自分が上である」と感じさせ、食欲や性欲を満足させたり、物品やカネを渡すことが必要です。日本では、言葉の重要度が相対的に低いのです。

 

思考力や共感力だけではありません。彼らには「世界観」というものが無いのです。「世界や人間には目的がある」という見方が、ついぞ出来なかった人々です。これは、彼らが宗教や哲学を持ちえなかったという事とも関係しています。

実は、世界や人間に目的が無くても構わないのです。「目的があるはずだ」という仮定の基に、さまざまな物事の「理」を追求していく姿勢が大事なのです。

 

人間の脳は、続けて起こったAとBという事象から、自然と因果関係を求めるように出来ています。さらに「自我」が発達することによって、自分と他人、自分と世界を分けて考え、これらの対峙する2つの関係を考察するようになるのです。

 

ところが言語野が発達しておらず、自我の目覚めが遅い日本人は、こういった考えにまで至らないのです。人によっては死ぬまで自我に目覚めない人もいます。

彼らは家の中でTVの前に座り、画面を見るように自分の人生を眺めているだけの「傍観者」に過ぎないのです。

物事のなぜ ― 原因を探る道に正解はあるか

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