日本人ほど「愛」の欠如した人々はいないでしょう。そもそも「愛」なんて誰が口にするでしょうか。日本に馴染まない言葉です。
日本人は媚びへつらう人間が大好きです。もちろん尊敬なんかしてません。彼らは常に相手を値踏みしています。上か下か? ただそれだけです。
彼らには親切心というのがありません。店の人もマニュアル通りの対応です。トラブルを避けるため、表面的な「笑顔」で身を守っています。
以前、ドキュメンタリーで日本のアマチュアバンドが外国に行った際、どうしても必要なエフェクターを手に入れる為に、音楽機材のレンタルショップに行く場面がありました。残念ながらその店にも置いてなかったのですが、店員が「自分が個人的に持っているのがあるから、明日それを貸してあげよう」と言ってくれたのです。別にそのバンドのメンバーが好きだからとか、応援してるから、という理由ではありません。人間として普通の親切心を持ち、合理的に解決法を考えられる人だったというだけです。
一方、昔読んだある本で、客が日本のデパートで、バカ丁寧に折り畳んだ領収書は「要りませんから」と伝えたところ、デパートの店員が「これは私の仕事です!」と癇癪を起してしまったというエピソードを読んだ事があります。日本人は決められた手順どおりに物事が進まないと途端にヒステリックになってしまいます。常軌を逸した人々です。
日本人は、「オレは普通の日本人だ!」と言いながら、互いに罵りあっています。ところで普通の日本人とはいったい何でしょうか?
とある職場での、さまざまな日本人の外見を描写してみます。一人は大陸北方系とでも言うべき日本人です。長身痩躯で手足は長く、白い肌で黒い直毛が濡れたようにしっとりとしています。女性を想わせるような風貌です。もう一人は半島系です。中肉中背で、直毛ですが、少しクセがあり、前髪が途中から左側へと自然に流れています。目は細めで頬骨や顎骨に特徴がありますが整った顔立ちです。三人目は、大陸南方で見られるタイプで、背は低くて目が点のように小さく、足もガニ股です。肌がくすんでおり貧相な風貌です。命ぜられると黙々と働きます。日本によく居るタイプです。さらに四人目は、大きくがっしりとしていて体を動かすのが好きなようです。うりざね顔で目が細く、肌は健康的なオリーブ色です。頭髪はややハゲかかっています。何処かチンギス・カンに似ています。
彼らの多くは何世代も前に、日本列島に渡ってきた人々です。上に挙げた特徴は、たまたま表面に現れたものに過ぎません。明治時代以降、また戦後もですが、さらに多くの人々が外国からやって来ました。苗字や出自からみて、そういった人に間違いないのに、大陸や半島の悪口を言う可哀そうな人もいます。
人種だけではありません。人々は右だとか左だとか、何かしら違いを見つけては、罵倒し合います。相手の良い所を見るのではなく、常に悪い点を探します。「マウント」をとり合い、猿とあまり違いがない連中です。
上下関係しかないので、日本人は大概、(1)他人を誉めすぎるか、(2)貶しすぎるかのどちらかです。彼らは正しくヒトやモノを評価する事が出来ません。モノの価値など分かるはずが無いのです。日本人の批評家など、まともなものではありません。キュレーターとして美術品の新しい価値を決めていくなど到底出来ない相談です。日本人が考えるのは、ただひとつ、自分が上に立って「気持ちがいいかどうか」だけなのです。
日本には「平等」という概念がありません。軍事政権が10世紀近く続き、軍隊的な考えが社会に根付いています。組織に縛られていない状況でも上下を争い、憎み合っています。仲の良い日本人二人が会話を始めると、必然的に、そこに居ない誰かの悪口になります。「コンビニでバイトだなんて、終わってるよなww」とか、一般的な外国人を嘲弄する事もあります。
上下関係を決めるのは何でしょう。「平等」が無い日本人は、自然な敬意や信念を抱いて誰かに付き従うのではありません。成績だったり、社会的な評価であったり、そういったもので上下を決めます。
「愛」は人と人を結合させる膠(にかわ)のようなものです。それが無ければ、人々は自分の事しか考えないようになります。そうなると、人に向ける感情はもっぱら「憎しみ」だけです。
日本人が抱く「好きか嫌いか」という感情は「自分を気持ちよくしてくれるかどうか」なのです。一回でも「俺を不快にした」と感ずれば、それまでの恩はどこへやら、「憎しみ」だけが残ります。こうして彼らの陰湿で執拗な攻撃が始まるのです。
排他精神と、他へ対する不信、疑ぐり深い魂だけで、損得の執拗な計算が発達しているだけである。