kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

幸福になれない日本人

日本人は幸福ではありません。それどころか、彼らは自分が不愉快であるならば他人も不愉快になるべきだと考えています。周りを巻き込むのです。こうして不幸の連鎖が続きます。彼らの内面は一体どうなっているのでしょうか。

 

モノやカネはいくらあっても満足することがありません。逆にそれが増えれば増えるほど単位あたりの満足感は下がっていくのです。もし必要以上にカネを追い求めているのだったとしたら、その人は人生をまったく無駄に過ごしていると言えるでしょう。

 

人間は他人に与えることで幸福になれます。カネやモノの事を言っているのではありません。自分の中の確固たる信念から生み出される価値を他人に分け与えるのです。それは芸術と同じような自己表現に他なりません。だから自分も深く満足することができるのです。

 

これがすなわち「愛」です。 他人を愛することによって、自分をも深く知ることができます。さらには人間そのものを理解できます。愛とは、自分をもっと知りたい、他人を知りたい、日本人について知りたい、人間を知りたいという欲求から生まれるのです。

 

多くの人は、支配的な態度や、あるいは過度に卑屈な態度で、相手にベタベタまとわりつくことが、愛情表現だと思っています。それによって相手から何かを得ようとしています。乞食と同じです。自分が生み出せる価値以上のものを欲しがるのは、強欲というものです。

 

人間は、思っている以上に複雑で深い存在です。自分自身でさえ知り尽くすことができません。たとえ一人であったとしても、毎日新しい発見があり、飽きる事がありません。その反対に、底の浅い人たちは、1人で居るのに耐えられません。かといって他人と一緒になってもすぐに飽きてしまうのです。そしてまた別の相手を求めます。彼らは人間として未熟なままです。

彼らは何であれ理解が足りません。人間でも国でも、自分の利益になるかどうかで判断し、直ぐに見切ってしまいます。「日本スゴイ」と言っていたのに「日本はもうダメだ」と聞くや否や、すぐに外貨を求めたり海外へ逃げたりしようとする浅薄な人々です。

 

他人を愛することができない人は、自分を愛することができません。日本人は自分を愛せない病的な人達です。他人の領域にまで踏み込んで相手にまとわりつくのは、自分に愛が欠けていることの表面的な埋め合わせに過ぎません。却って相手に迷惑をかけています。

彼らは自分の人生そのものを楽しむことさえできません。自分を憎むだけでなく、他人をも憎み、さらには人間そのものを憎んでいるのです。表面上は無害に見えますが、実は極めて有害な人々です。

 

成熟した人間は、自分の内側に男性的なものと、女性的なものをバランスよく持っています。男性的な行動を強調する人は、自分の中に男性的なものが欠けているのです。 ここでいう男性的なものとは、原理原則、理念、規律、道徳といったものを示しています。

ところが日本では、男性は極めて未成熟なのです。子供のままです。だから日本人には原理原則が通じません。 肉体的には男であっても、男性的なものが内面化されていません。甘えながら軽蔑する相手を求めています。一方で女性も、かいがいしく子供を世話することで、子供を愛していると信じ込んでいますが、実は子供に依存しているのです。自分のことしか考えていません。親子だから何でも許されると思っています。誰かと繋がっているように見えますが、「人間」としての交流では無く、孤独なままです。

 

多くの人が誤解していますが、神に表されるような抽象的な存在を信じるのは、誰かに頼ると言うことではありません。その逆です。独立した人間として神と向き合うのです。理想に向かって自分の能力を開花させることが彼の目的です。これが「神を愛する」という意味です。

 

日本人の神に対する考えは、彼らの精神世界の貧しさをそのまま表しています。 正月に神社へお参りして、さもしくも何らかの利益を得ようと考えています。八百万の神は、自分の都合の良いようにその場に応じて姿を変えてくれる便利な存在です。だから日本人は「絶対的な正義など存在しない」と言い放ち、利己的に生きています。

 

結局のところ、愛とは特定の誰かを愛するのではなく、この世界と向き合い、積極的に関わる方法のことです。多くの人は、愛を性欲や肉欲と混同してしまっています。

 

あなたは今、納得がいく人生を歩んでいるでしょうか。逆説的なようですが、幸福を最終的な目的とするのは間違いです。「幸福でなければならない」「○○をしたら幸福になれる」というのは病的な脅迫観念です。幸せを求めれば求めるほど、幸福は逃げていきます。そうではなくて、いまこの瞬間に幸福になるべきなのです。愛や幸福とは考え方です。そうしてから、何かを探し求めること自体が楽しみとなるのです。

 

ヴィクトール・フランクルは「夜と霧」の中で、「人生とは自分に投げかけられた問いに答えることだ」と書いています。 皆さんの心の中にも、人生全体に関わる「問い」が横たわっているはずです。それを掘り起こすことから始めないといけません。

 

ほとんどの人は幸せが何かを知りません。幸せを演じている人。自分を幸福だと思いこんでいる人。そういった人々と、本当に幸せな人を見分けることができません。表面しか見ていないからです。想像もつかないのです。けれども「青い鳥」は身近にいます。幸せもまた、自分の頭の中から生まれるのです。

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