日本人は幼稚園児と同じです。幼い子供のような考えをします。人格が未成熟なためです。これを仮に「幼児思考」と名付けておきます。
成長が未熟なのは、(1)栄養の偏りもさることながら、(2)幼少の頃から繰り返し受けた精神的虐待が原因として考えられます。(3)言語として不完全な日本語の特性もあります。
さらに、(4)抑圧的な社会が拍車をかけています。日本人がどうしても逃れることができない、(5)「ウチ」と「ソト」といった自閉的傾向も要因のひとつです。
それぞれを深掘りしていると長くなってしまうので、上に挙げた点の幾つかについて述べます。
ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」は強制収容所で人間がどのような状態になるかを冷静に記述した興味深い記録です。これを見ると今の日本人も、抑圧的な社会で人間性を奪われて拘禁反応を呈しているようにも思えます。
収容所において人々は3つの段階を経るとフランクルは述べます。まず第一は不適切な反応です。悲劇なのに、なぜかヘラヘラ笑ってしまうのです。心を守るための防衛機制です。
第二段階では、全てにおいて無感動となります。周りで仲間が殴られても死んでも、何も感じなくなるのです。何時までこの状態が続くのか先も見えません。目的もありません。失業者と同じように抑鬱状態に陥ります。しかし飢餓と睡眠不足で一日中イライラしています。
第三段階はいよいよ収容所から解放された時の状態です。自由を与えられても、彼らは何をしたら良いのか分からず途方に暮れてしまうのです。却って以前に自分が受けていたような権力と暴力を好み、自らも行使するようになります。この状態から脱するには、「自分は喜んでもいいのだ」「自分を喜ばせるために何かしよう」というように、自ら決意して、再度、人間として一から学ぶ必要があるのです。
日本人にとっては「ウチ」だけが仲間です。余程の事が無い限り排斥しません。却って仲間を守るためにはどんなウソでもつき、どんな非道な事もやってのけます。その一方で「ソト」は敵です。客には丁寧に接します。しかし一時的なものです。
ところが最近ではネットやSNSが普及したので、日本人は混乱しています。自分の気に入った人をフォローしていても、「ソト」からのつぶやきがタイムラインに流れこんで来ます。ちょっとでも自分の意見と異なるつぶやきは、「ウチ」に土足で踏み込んでくる憎い敵です。激しい攻撃を加えます。
彼らは精神の拠り所を求めます。「日本スゴイ」と言ってくれる人は味方です。「俺もスゴイ」と自分を慰めることができるからです。当たり障りのない事を言ってくれるTVだけが慰めです。ちょっとでも権威に盾突く人は「悪い人」です。
また彼らは陰謀論にはまり易い人たちです。哲学や科学の基本を身に着けていない人にとっては、現代の科学技術がまるで「魔法」のように見えています。それは学者とて同じことです。30年前と今ではまるで違うのです。そういった人たちはシンプルな陰謀論に騙されてしまいます。科学よりも陰謀論の方が複雑な現象を分かりやすく説明してくれるように感じるのです。彼らは、高度な文明に接した未開人と同じです。
ここで、日本人をいくつかのタイプに分けてみます。
(1)まずは、相手によって節操なく態度をコロコロ変えていく人達です。ウソや誤魔化しを常としており、人間としての一貫性がありません。日本社会ではこの技術は必須であり、下層社会に位置する大部分の人がこのタイプです。笑いながら媚びへつらう様な人間を信用するので、自身も容易に騙されます。
(2)次に「このままでは良くない」と精神的に目覚めた状態の人々です。彼らは精神的な拠り所を求めます。それが「ニッポン」なのです。陰謀論にはまり、敵を攻撃し、宗教の勧誘のように他人にも「ニッポン」を崇拝するように勧めます。
(3)最後はマニピュレーターです。社会の階層を上がっていくと、相手の方が自分に合わせてくれます。どんな我儘も通ります。ここで日本人は幼児へと逆戻りをするのです。また彼らは「ニッポン」の実態を知っています。自分こそが「ニッポン」そのものなのです。それを利用して、人々を使役します。人々は「〇大卒」とか「〇〇省」「〇〇商事」という肩書を聞いただけで平伏するのです。サイコパスやソシオパスに近い人々です。
日本人というのは、どう要領良く生きれば、他人からカネをかすめとれるかと考える人達です。「人生において自分は何を問われているのか」などという考えは思いもつかない人々です。 人間として深みがなく、接していて物足りない人たちです。彼らは互いに未成熟な人間を好んで求め合っているように見えます。思い通りになるペットのような存在をです。
最後に、日本人の栄養不足について少し話しておきます。
1961年頃の田舎における栄養不足を記録したフィルムを観ました。僻地では「胴長寸胴、低身長、低体重」の児童が多く見られており、食べ物の改善が急務だと訴えています。学校で食べる弁当には、白米の他に、オカズとして芋の煮つけやカツオの削り節ぐらいしかありませんでした。魚を食べるのは祭りなどの特別な日だけだったそうです。
近年、日本人の身長の伸びは止まり、座高は高くなっているようです。鶏肉を食べられるのは未だ良い方で、鶏皮揚げで飢えをしのぎます。肉体的に未成熟であれば、精神も何らかの影響を受けているでしょう。
子供の頃から「痩せたソクラテス」などあり得ません。これからの日本人は劣化していく事はあっても、これ以上の成長は望めないのです。