kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本を愛していない日本人

日本人ほどの偽善者はいません。彼らは「日本を愛している」と言いながらも、その実、まったく日本を愛していないからです。SNSを観察してみてください。この国では、「反日」と呼ばれる人々こそが愛国者であり、「愛国者」と自称する日本人が反日勢力なのです。

 

彼らは「日本人は優秀だ」「日本スゴイ」と言いながら、裏ではFXで外貨を得たり、外国に投資したり、資金を外国の銀行に移したりしています。SNSやブログでドル札を見せびらかしているような人もいます。カネだけではありません。外国の宗教団体と深く関係している人間が、政治の中枢にいます。彼らは、いったいどういう了見なのでしょうか。

 

要するに、彼らは自分にしか関心がないのです。日本の同胞や、ましてや日本そのものに興味はありません。ただ単に「日本スゴイ」と言ったり、誰かを「反日」と呼ぶことにより、狭い島国で優位になりたいだけなのです。彼らの底の浅さが知れるというものではありませんか。

 

日本はオリン○ックを強行しました。結果は日本の衰えを世界に知らしめることになりました。カネをケチったショボい設備、不便なネットワーク環境、段取りの悪さ、開会式や閉会式のレベルの低さ、どれをとってもマイナス点しかあげられません。それでも「中抜き」によりカネが回ってきた仲間内では、大成功だったと考えているのです。

 

なぜ日本人はこんな馬鹿なことをしているのでしょうか。目先の利益しか見えていないこと。将来を予想するといった想像力が欠けていること。同胞への愛が無いこと。カネやモノにしか興味がないこと。こういった事が挙げられるでしょう。

 

彼らは抽象的な思考が苦手なので、目に見えない愛だとか、カネ以外の国益とか、将来などというものを考えることが出来ません。こういった人々は、何か目に見えるシンボルを与えることで、自在にコントロールすることが可能です。

小学校の授業でSDGsを暗記させると、教えられた子供は意味も分からないまま突っ走ります。日本人に単純なスローガンを与えてはいけません。彼らはひとつの方向に暴走してしまうからです。日本人には、誰かから与えられた神輿を、お祭り騒ぎのように、考えもせずにかついでしまう傾向があるのです。

日本人は主体的に考えるのも苦手です。知能と主体的な思考力は全く別のものです。自律的に考える習慣を持っていれば、たとえ知能が高くなくても社会で成功します。学校を卒業した後でも効率的に脳が発達し続けていくからです。逆に知能が高くても自分で考えない人は、どこかで没落します。

 

愛国心は悪人の最後の隠れ家である」とは、使い古された言葉です。でもこれは真実です。真の愛国心とは、隣人愛に根ざしたものです。それが敷衍(ふえん)されたものが愛国心となるのです。「他人のことなど構っていられるか」とか「誰かが溺れていたら面白いから叩いてやろう」と考えているような人間に愛国心がある訳がないのです。言っていることではなく、行動を見ることで、その人の本音を知ることができます。そもそも普通の人が、わざわざ「日本が好きです」などと言うはずがありません。そんなことは当然だからです。

 

常に周りの人々のことを考えている人間は「愛国心」を持っていると言えます。普段の行動の延長として、住んでいる社会や環境を良くしようと試みています。必ずしも国政にまで興味を持つとは限りませんが、隣人や社会、そうして国をも愛するという方向性は同じなのです。

ここで気をつけなければいけないのは、多くの日本人は周りのことを考えているようでいて、その実、考えてはいないという事です。彼らは、他人の目を気にして周りに合わせているだけです。日毎夜毎(ひごとよごと)、「鏡よ鏡よ、世界で一番強くて賢くて親切な国はどこかしら」と鏡の前で尋ねているのです。

 

何度も言っていますが、日本人は「ちょっと待てよ…」というセカンドソートができません。扁桃体レベルで反応しており、大脳皮質でそれを抑えることができないのです。昔から言われている、「日本人は感情で動く」「周りに流される」という言葉は本当でしょう。

感情的な好き嫌いと、愛国心は両立しません。熱狂や狂信は愛では無いのです。それらは、薬物依存と同じようなものです。

 

以前、クルマでテレビの音声を流していたら、こんな話が耳に飛び込んできました。放送局が「学童の交通事故が多い。何とかしなければ」と考えたのだそうです。調査を開始し、有識者に話を訊き、深夜の会議を重ねた結果、解決策として、交通安全ソングが出来上がりました。児童にこれを教えて事故を減らそうというのです。

本当に子供を心配している人が、幼稚な歌や踊りで事故が減らせると盲信し、子供にそれを強要したりするでしょうか? しかしそれをやってしまうのが日本人なのです。

もっとマシで物理的な方法があるはずです。確かにカネはかかります。実現するのも難しいかもしれません。しかし歌や踊りは無いでしょう。問題解決の主体を、末端当事者の精神力に還元してしまうのが日本人です。愛のない日本人らしいやり方です。

 

日本が衰退している今、その原因を精神力や反日勢力に帰するのは、極めてお手軽な考え方です。しかし日本人は、勇気をもって「そこじゃないだろう」とツッコミを入れなければなりません。そしてその問題を解決する方法は、何よりも愛に基づいたものでなければならないのです。

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