日本人は過去を省みません。未来のことも考えません。当然ながら未来への投資などあり得ません。それどころか未来から借金をしているのが日本人なのです。
底引き網を使って、魚は全部手に入れてしまおうと考えるのが日本人です。絶滅しようがどうなろうが、知ったことではありません。
魚はいくら獲っても、勝手に増えるものだと思っています。男女は勝手に交わって、低賃金労働者を作ってくれるものだと思っています。あとはバナナの叩き売りよろしく、調子のいいことを言って海外に安売りするだけです。彼らはいつも同じことを繰り返しています。永遠に学習する事は無さそうです。
日本人は想像力が貧困です。共感力が足りません。他人も未来も信用していないのです。そのために、自分を中心とした考え方しかできません。
先物取引市場を初めて作ったのは日本人でした。「買えるのならば未来のコメも買ってしまえ」という事です。もちろん、空売りと現物買いをセットにしたリスクヘッジという側面も、あるにはありました。
たまたま外で見たTVで、コメンテーター達が討議をしていました。「日本のコメや果物は絶対に美味しいはずなんです」「補助金を使って海外で安売りすれば絶対に売れます」と口々に同じようなことを叫んでいます。
工業製品が売れなくなったら、今度は農業で安売りすればいいという短絡的な考えしかできないのです。国の補助金をあてにするというのが、また浅ましいではありませんか。国内で人々がまともに食えなくなっているのに、食糧を売り物にしようとしています。「おまえの食い物も売りに出せ、俺達にはカネが必要だ」というわけです。
それにしても安売りに拘り続ける連中です。「オモテナシ」も、低賃金労働者やボランティアが、笑顔で奴隷のように奉仕するというものでした。
この国では乞食が増えています。代議士や、大企業といった法人です。
「乞食と政治家は3日やったらやめられない」といいます。昔は、搾取するのは地元の領主だけでした。税金を課されない人もいたのです。しかし現在は、様々なタイミングで、様々な組織からカネを徴収されます。そのカネは、回りまわって大企業に分配されます。税金によって、日本の血液の流れが悪くなっています。末端の組織は壊死しかかっています。
とっくに潰れていなければならない企業が、政〇系金融機関の巨額の融資を受けながら、ゾンビのように生きながらえています。株価は政府が支えてくれます。国債は、〇銀が買っています。そのツケは誰が払うのでしょう。未来の子供たちです。
重い税金だけではありません。貧弱な公共施設、レベルの低い教育システム、崩壊しかけているインフラなど、さまざまな面で我々の福祉を損うのです。
日本は150年ほど前に統一国家を作り、近代化を進めました。当たり前ですが、一国の経済が、右肩上がりに何時までも成長していくことはあり得ません。
そうなると、どこかで現状を維持するだけで精一杯となります。なにしろ、国民はカネを稼げていないのに、搾取システムだけは幾つもあるのです。政府の事業や補助金を当てにしているゴロツキ共の世話をするだけでも大変です。彼らのような物乞いに、搾取したカネを分配しなければなりません。彼らは儲かると、カネを外国の銀行に貯め込みます。円安に貢献しています。国内にカネが回ることはありません。
日本人は何かを根本的に作り直すという事ができません。後付けのどうでもいいルールが作られ、しきたりや作法が複雑になります。搾取システムも一度出来上がってしまえば、無くすことは難しいのです。自治会費やPTA会費だってそのひとつです。
現状維持も難しいので、未来に投資する余裕がありません。いま直ぐにカネが欲しいので、未来の国民からもっと借金をするしかありません。それを解決するためと称して、意味のない省庁や部署が増えていきます。未来の役人は、未来の日本人に更なる重税を課します。
自分で未来を潰しておきながら「将来に希望をいだけ」と仰っています。そうは言っても、民の多くは「御託はもういいから、まともなメシを食わせろ」という状況です。
18世紀のフランス人女性は、28歳くらいまでしか生きられなかったそうです。王様を引きずり出して、首を切り落としたくなったのも分かります。
現代文明国のなかで日本だけが、後ろに向かって駆け出しています。前に進むフリをしながら後ろに滑っています。巧みなダンスです。しかしながらそれは、死に至るダンスです。
まずは、日本はもはや文明国ではないという事実を認めることから、始めなくてはなりません。