kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

論理や感性が足りず自分を表現できない日本人

もしあなたの心の中にどうしても伝えたいものがあるなら、それを表現すべきです。巧拙は関係ありません。

 

ボブ・ディランの曲は簡単なコードで作られており、声だって良い訳ではありません。早口でモゾモゾ喋っているような歌い方で、歌詞も何を言っているのか良く分かりません。でも伝わる人には、首尾一貫したメッセージが明確に伝わるのです。

ロマン派の作曲家シューマンは、オーケストレーションが稚拙だとよく言われます。実際にスコアを修正して演奏されています。それでもシューマンの曲に、今なお多くの人々が魅了されるのです。

ゴッホの描いた絵は同時代のほとんどの人からは「目がおかしいのではないか」「頭がおかしいのではないか?」と思われていた事でしょう。

文筆家なら、頭が関係するだろうと思うかもしれません。実はあまり関係ないのです。宮沢賢治の書いたものを読んでください。プロパガンダアジテーションに至っては、論理さえ不要なのです。同じことを力強く繰り返す政治家が好まれるではありませんか。

ちなみに、指揮者には統率力が大事です。指揮者のゲオルク・ショルティは「音楽家になっていなかったら、政治家になっていた」と述べた事があります。彼は大規模なプロジェクトを進めるのが得意で、ワーグナーの「指輪」を全曲録音しています。また、スタジオでもコンサートでも同じレベルの演奏を聴くことができ、音楽の質が安定しています。

 

建築士だからといって素晴らしい建築物を作れる訳ではありません。航空工学を学んだからといって優れた飛行機が作れるのでもありません。力学以前に「こういったイメージを形にしよう」「ここはどのくらいの荷重に耐えられそうか」という、想像力や直感が必要なのです。単にテクノロジーだけで作れるのだとしたら、イタリアの壮麗な建築の数々、美しい飛行機やスポーツカーはどうして生まれたのでしょうか。

ゼロ戦は、搭乗員が足をかけるであろう操縦席近くの翼に「ノルナ」という注意書きが書かれていました。そこに体重を乗せたら、歪んでしまうのです。クルマにもジャッキポイントはありますが、日常的にまたぐサイドシルに「足ヲノセルナ」なんて書いてあったらどう思いますか? 

ゼロ戦は急降下に弱い事もよく知られていました。海軍の無理な要求があったとは云え、あちこち穴をあけたりして軽量化を目指した結果がこれです。あとは搭乗員の精神力で何とかするのです。昔はスポーツカーは乗り難くて当たり前という考えもありましたが、レーシングカーだって、結局は乗りやすい方が結果を出せるのです。図らずも、日本人の論理と感性の足りなさが表れてしまったものがゼロ戦なのです。

 

日本人は「論理ではなく感性だ」と言いながらも、感性が発達していません。彼らが感性と間違っているのは現実離れした「精神力」のことです。

戦艦大和の最後」という漫画を読んだ事があります。その中に憲兵隊だったか学校教練の陸軍士官だったかに絡まれた主人公が「貴様はアカだな、日本人だったら白米と梅干だけで頑張れるはずだ」と言われるシーンがありました。滅茶苦茶です。現代でも、うがいぐすりやカルタで、コ〇ナを追い払えると日本人は信じています。そうして「お前、在日だな? 日本人ならコ〇ナに負けるはずがない」と言うのです。

昔の「カミカゼ」という漫画には「軍人は死ぬことと見つけたり大和魂は死ぬこととつけたり」という台詞がありました。「葉隠」のもじりですが、日本人はこういった言葉に共感してしまうのです。真意を考えず短絡的に「お国のために死ぬのは格好いい」と思ってしまうのです。この国では「コ〇ナ」の為に犠牲となった医療従事者も、死んだ後に英霊として祭られます。

その一方で、「アフリカの人に手洗いの大切さを教えています。海外の人たちを助けましょう」とか「SAVE THE WORLD」とか可笑しな事を言っています。利いた風な口をきく前に、彼らはまず、同じ国にいる同胞を救うべきです。

 

日々のニュースやSNSに「理想」を見つけようとしてはいけません。そんな場所では人生において大切なものを学べないからです。責任逃れの言葉遊びだけを繰り返し、イメージや展望を持たない人間は指導者になるべきではありません。歳をとったたけで尊敬されるべきだと考える人に重要な仕事を任せてはいけません。彼らはあなたを害するからです。

 

論理を持たず、感性もない、精神力重視のスローガンを信じる傾向のある日本人は、これからどうしたら良いのでしょう? 親も環境も教育も当てにならないのだったら、自分自身で何とかするしかありません。

音楽や絵画というのは、単なる空気の振動や、可視光線ではありません。その向こうに、作者が伝えようとする理想やイメージがあるのです。それを鑑賞することが、本質や価値を見抜く能力と繋がるのです。

ネットで感性を磨くのは困難です。ショボいスマートスピーカーの音でしか音楽を聴いた事が無いのだったら「音楽はこんなものか」としか思わないでしょう。リチャード・アヴェドンやダイアン・アーバスの写真も、モニタ画面で見るより、実際のプリントや写真集で鑑賞した方が、ずっと強い印象を受けるのです。

 

こういったものに人生の早い時期に触れていれば、それらが自身の豊富なイメージの引き出しや源泉となってくれるのです。

それが無かったからこそ「今だけ、金だけ、自分だけ」という単純な日本人が出来上がってしまったのです。


Zubin Mehta with Khatia Buniatishvili - Schumann: Piano Concerto in A Minor, Op. 54

(カティア・ブニアティシヴィリとズービン・メータによるシューマンのピアノコンチェルトから第3楽章です)

Woman in the Mirror

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