kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

おかしな話を簡単に信じ込んでしまう日本人

道徳の授業のときに教師がこんな話をした事がありました。「モノは生きている、だけどモノは人間に捨てられると死んでしまう」という趣旨の話で「モノには魂が宿っている、だからモノを大切にしましょう」という事をその教師は言いたかった訳ですが、その奇妙な話をクラス全員が静かに聞いていました。

 

あまりにも真面目に彼女がそんな話をして、さらにそれを皆が真剣に受け取っている様子が可笑しくて、教師にちょっと疑問を投げかけてみました。

 

要するに「たかがモノを大事にしようということを教えるのに、モノを生命に例えるのは妥当ではなく、そうだとしても、まるでそれが事実であるかのような教え方はないんじゃないか」という事を言いたかったのですが、教師は「モノは生きている」と言い張るばかりで、終いには周りの子供たちも「~くん、モノは捨てると死ぬんだよ」、「死んだんだよ」と真顔で次々に説得し始めたのを見て、さすがに薄気味悪くなり(笑)、その場は納得した振りをしました。

 

このように日本人は生まれつきの性向なのか、まるでカルト宗教に囚われている信者の様に、教えられるまま奇妙な信念を簡単に信じ込んでしまい、さらにその信念を基に行動してしまう狂信者("fanatic")の様な部分があります。アニミズムを信じているとか、迷信深いというより騙され易い人達なのです。もちろん深く考えずに黙って従っている人も居る訳ですが、下手をすると上から預かった物や使命の為なら、人の命など軽いとさえ思うようになるかもしれません。

 

また大昔に読んだ本で「日本人の起源」のようなものがあり、その中に「(日本人の)顔は左右非対称だが、左右対称だと魅力に欠けるのでこうなっているのです」という説明があって理解に苦しむというより、とても奇妙な感覚を覚えました。あえて間違っている事を正しいと言い、美しくない事を美しいと言う、そういう社会が存在することは想像できますが、しかし人を騙すにしても、何故わざわざこんな幼稚な事を行うのか不思議だったのです。

 

さらに公立の義務教育における音楽授業というものが、また酷い代物で、聞くに堪えない響きのオルガンやハーモニカ、リコーダー等を言われたとおりに動かして鳴らし、音楽とは言えないその騒音の中で、皆が平気な顔をしているのです。

 

日本人のIQを測ってみると、それほど頭が悪いという訳ではなく、性格検査で異常な人が多いという訳でもない、日本人は戦艦も造ったしミサイルや原発も作ってきた、芸術領域において外国で何かの賞を貰って褒められたという人もいる、でも彼らの言っている事や、作られた社会、さらには人々が、何処かおかしいのです。

 

原因のひとつとして、日本人にはセンスが欠けているのかもしれません。人間一般に備わっているはずの良識、真理や善、美を見分ける感覚が欠けているか、あるいは非常に弱いのです。例えば学問や音楽・美術における理論や、言語体系など、人間が見聞きして法則を見出すものは全て、外にだけ存在しているのではなく、自分の中にも存在している訳です。そうでなければ理解できるはずがないからです。

単に誰か他人に教えてもらった法則を覚えて、それを用いることで何か作ることはできるでしょうが、それでは単なる技術者であり、本当に理解しているとは言えず、また真に新しいものは生み出せないのです。

 

生まれつき感覚が鈍かったり、そういった感覚を研ぎ澄まそうという動機があまり無い傾向はあるのでしょうが、日本人の全てがそうでは無いはずです。もし日本を再生させようとするなら、結局はごく幼少期の教育から改めるしかないでしょう。