kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

どこに行っても無能な働き者しか居ない日本

日本ほど馬鹿の多い国はないでしょう。バカは必ず存在しますが、国民のほとんどが愚か者というのは日本だけではないでしょうか。

 

彼らは命ぜられた事を直ちに実行するのには長けています。それには本当に感心します。考える事をしないので速いのです。一見すると「賢いのか?」と、こちらが騙されてしまう程です。楽譜を初見で弾くようなものです。じゃあそれが一流の音楽になるかというと違うのです。体系を考えないので伸びしろがありません。

 

彼らの作る家電製品やシステムの操作は複雑です。コストがかかったものほど、その傾向があります。電車の券売機のように動線が滅茶苦茶な事もしばしばです。

スマホのように、説明書を一切見なくても直観的に操作できる、すぐに求める箇所にアクセスできる、そういった革新的な発明は日本人には無理です。数百年かけても、そんなアイデアを思いつく事は無かったでしょう。

日本の製品は、Zという結果にたどり着くには、Aから順に間違いなく操作しなければ決してゴールには至らないようなモノです。社会システムも同じです。ちょっとでも違う事をしたり、操作をひとつでも間違ったりしたら、もう駄目です。またAからやり直しです。

彼らは「あれも出来ます、これも出来ます」という汎用的なものを目指してますが、出来上がったシステムの操作は特殊です。シンプルであるべきものが複雑なのです。業務の簡素化を叫びながらも仕事が減りません。

彼らの作る製品や社会システムは無駄に複雑です。本質を見通せない愚かな連中が集まって積み上げた結果です。

 

言葉もそうです。日本人は物事の本質を掴むために言語を使うのではなく、眼前の事実を誤魔化すために言葉を積み上げていきます。

日本語の文法も相手を騙すのに好都合です。言葉をあれこれ並べ立て、相手の反応を見ながら最後に違う結論を言う事が出来ます。難しい事を言っている様に見えても、中身は何も無いのです。「何もするつもりは無いけれど、何かしているようには振る舞います」という事だけが伝わります。

結果的に嘘つきや詐欺師が社会に蔓延します。それが普通になっているので、子供たちも平気でウソをつくようになります。ロクでもない社会と人々です。

 

この社会では、計算が得意な人物は要るけれども、数学者は要りません。大学で真面目に探究しているような連中は社会にとって不要な人々です。「いろいろ考えていますが、未だ結果が出てません」なんてのは「役立たず」と看做されます。考える人間ではなく、体育会系で素直に命令に従う人間が好まれます。

ある中小企業の社長が、社員を採用するにあたり、食堂での食事の仕方を観察するのだと語っていました。骨をよりわけ、綺麗に魚の肉だけを摘まんで食べるような人を採るのだというのです。家での躾けが細かく、それに素直に従って来たような人間という事です。確かに、魚の食べ方が綺麗な人を称賛する言葉は他でも聞いた事があります。そんな者が日本では好まれるのです。

 

出来の悪い社会システムや製品に人間が合せる、それが日本です。上の人間が発した命令がどんなバカげたものであっても素直に従います。そして人力で対応します。世界的規模の疫病が流行っても「気を付けろ」だけです。矛盾しますが、その一方で、カネが欲しいから「旅行しろ、食べろ、カネを使え」と言います。会食の際にはマスクをパタパタ開けたり閉めたりします。でも結果は「自己責任」です。この社会で一番安いのが人命です。

 

命ぜられた通りに働く無能な働き者は兵隊としても最悪です。100%間違いのない完璧な指示はありません。しかし上が間違いに気づいた頃には、無能な兵隊達がとんでもない所まで作業を進めているのです。しかも彼らはウソつきで不誠実です。頭の程度に合わせて働けば十分なのに、やっているフリをするのに熱心です。

日本には上に行っても、そんな人間しかいません。もちろん例外はあります。しかし多勢に無勢です。烏合の衆であっても、数が多いので常に勝利します。

 

犯罪者には、その国の典型的な特徴が表れます。日本ほど詐欺師が多い国は珍しいでしょう。彼らはウソをつく点においては巧みです。時間をかけて知恵を絞ります。大企業も、如何に老人を騙して継続的にカネをせしめようかと一生懸命です。

働き者は自己洗脳だけでなく、他人の洗脳にも熱心です。かくて日本は「騙されながらも、他の誰かを騙す」という「騙しあい」のカルト集団になっているのです。1990年代に話題になったカルト集団、あれこそが日本のカリカチュアでした。日本人は確かに、心の何処かで彼らに共感していたに違いありません。

 

 あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。(中略)「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。

伊丹万作 『戦争責任者の問題』