kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

自己の無謬性に拘る日本人

日本人ほど話が通じない人々は居ません。上か下かで物事が決まり、対等な会話にならないのです。立場が上であれば、全て正しいのです。

 

「上は間違いを犯さない」、そういう前提でプロジェクトも進んでいきます。下流工程を任された業者が問題を発見し報告したらどうなるか? 「なぜ見積もりを作った段階で気が付かなかった、この値段で出来ると言っただろ、お前らで何とかしろ」です。請負金額は固定です。このままではコンティンジェンシーを食いつぶし利益もマイナスです。しょうがないから、鉄筋を減らしたりして、手を抜きます。

あらかた出来てしまってから問題が見つかってもどうしようもありません。配管、配線を通すためにあちこちコア抜きです。「直ちに影響はない」とは便利な言葉です。建物が倒壊する蓋然性は高くなりました。しかし数年で必ず倒壊するとは言い切れないのです。

上の工程では上流部分だけを考えていれば良い、それは当たり前です。しかし業者は上から下まで全てを奥深く見通し隅々まで理解し、さらに発注者の腹の内まで読まないといけないのです。

それにしても、あのずらりと並んだ承認印や、チェックリストや資料の山は一体何だったのでしょうか。つくづく日本人というのは本質を掴めず形式だけに堕する人々です。

 

無能な指導者は、大勢の人間に無駄な努力をさせます。まるで山師です。しかも責任をとりません。例え人事異動があっても前の方針が踏襲されます。

この国の人々は30年後も、「リニア」だとか「国産初のジェット旅客機」とか言い続けているのではないでしょうか。まさに国家のお荷物です。でも誰も止められません。その一方で、陸橋は落ちトンネルは崩落し道路は陥没します。人々は飢え、食料を求めて争います。

 

この社会では、偉い人の言う事は絶対です。「 お言葉を返すようですが…」というのは禁句です。蒸し返そうものなら「話を聞いてなかったのか? お前らはバカなのか」となるのです。 日本人は一度言われれば、何も考えずにその通りに動きます。それが「物分かりが良い」という事なのです。

上が思いつきで語るA案にどうしても難があり、それを指摘しても「出来ない理由を言ってみろ」となります。反対に「B案が良くはないか」という発言は許されません。新しい行動へのポジティブな根拠を考えるのではなく、変えないで済む理由をあれこれ考えるのが日本人なのです。

「ファクトが大切」といっても、そもそも彼らのいう事実はバラバラで矛盾しています。どれもが胡散臭いのです。映画「羅生門」のようです。結局は、上が言う事に「正しき道理あり」となります。七世紀に歴史を跡形もなく改ざんし、今日も公文書を書き換えている連中です。彼らの語るファクトなど、誰が信用するでしょうか。

 

思い付きで指示をあれこれ出すだけなら未だしも、愚か者が思想を語りだすと大変な事になります。最後は「日本人にとって論理なんかどうだっていいんだ」と言い出します。「論理ではなく感性だ」というのは、論理の限界を示しその行き過ぎを戒めるのであって、もともと論理に欠ける多くの日本人が、そんな事を言い出すのは愚の骨頂です。「人を殴って何が悪い」「道端でウンコして何が悪い」と言っているのと変わりありません。

 

愚かな指導者を頭に頂いて、下が素直に忖度する社会では、ろくなモノが出来上がりません。現場がいくら頑張っても意味がありません。それが今の日本なのです。今の若者は呆れるほど素直です。「みんな気が違って、それでいい」とでも言うべき奇特な人々です。この先何十年も、こうした喜劇が続くのです。