kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

夢を失い消費しなくなった日本人

日本人はモノを買わなくなりました。内需が落ち込んでいるだけでなく、日本全体の活気が無くなっています。何が原因だったのでしょうか。そしてそこから脱出する道はあるのでしょうか。

 

日本は生活費が高くつく国です。「食事が安くて美味しい」という人もいます。しかし中身を見てください。量は少なく、炭水化物に偏っています。野菜や果物はほとんどありません。味付けも、甘くて塩っぱいというワンパターンです。他の国では禁止されている添加物はたっぷり入っています。

 

高速道路や高速鉄道などのインフラの利用料金は高いままです。地方では公共交通機関が整備されているとは言い難く、クルマが必需品となっています。

クルマも昔と比べて高い買い物になりました。税金も高く、あまり意味のない内容の車検を定期的に必要とします。

 

家も高価な買い物です。人生において1回でも家を購入できれば良いほうです。夏は暑く冬は極寒です。断熱の仕組みや集中的な暖房システムは発達しておらず、狭い部屋ごとにエアコンや暖房器具で対処している始末です。戦前の日本では、地方の子供たちは粗末な服装をまとい、アカギレで、鼻を垂らしているのが普通だったそうです。「蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと」と芭蕉が詠んでいるように、酷い住環境だったのです。

家は狭く、客を招いてのホームパーティなどは論外です。家族全員が家の中でゆっくりと楽しむという事ができず、休日は外出せざるを得ません。出費がかさみます。

 

普段の生活においても、冠婚葬祭、贈答、学校の行事、近所付き合いなど、とかくカネがかかります。商品は過剰に包装されている一方で、肝心の中身はスカスカです。さらに消費税が何重にもかかります。こうした割高な出費に支えられていたのが、日本だったのです。

 

消費する側の特徴も見ていきましょう。日本人は非常にものぐさです。考えるのも嫌がります。自分でやれば済むような事も、業者がやります。以前に読んだ話ですが、デパートでちょっとした買い物をして伝票にサインをし、面倒なのでそのまま自分の控えだけを切り取って店員に渡したら、その店員が激怒したのだそうです。「控えの伝票を切り取って、封筒につめるのは私の仕事です!」と言ったのです。

日本では、どうでもいい仕事を担う人が多くいます。日本ではDXはなじみません。デジタル化による業務改善が本当に実現したら、仕事が無くなる人が出てきます。もし改善ができたとしても、また別のどうでも良い雑用が現れるので、残業時間が減りません。

 

日本人は、ただ本能を満たすことを目的として生きています。食欲や性欲といったものです。はばかることなく「食べるのが唯一の楽しみ」と言う人が多くいます。

1日の終わりに、スーパーに寄って何となく買い物をしただけで、直ぐに5千円前後の出費となってしまいます。必要な食材だけを買うというのは、なかなかに難しいのです。ついつい、出来合いの惣菜や嗜好品もカゴに入れてしまいます。

彼らは本能に直結した欲望は盛んですが、考えることが苦手で、夢を持つことができません。高い目標を作って頑張ることがでいません。せいぜい、家庭を持って毎日三度のメシが食えれば有り難いといった漠然としたイメージしかないのです。

 

人間にとって、自分を日々成長させ、社会や人々に貢献するのが、最も重要な目的です。それによって真の幸福も得られます。日本人にカネ儲けはできても、理想の社会を実現するために努力することはできません。困っている人々を支援したり、非営利の団体に寄付をしたりする事もできません。単に「もっとカネが欲しい」といった動機だけでは大きな成功を得られないのです。

 

日本人は成長や貢献ではなく、子供のように安心することを動機としています。そのため冒険ができません。リスクを取れません。こじんまりとした生活となってしまいます。それでいて人に言われたことを鵜呑みにしてしまいます。「日本がヤバい」「円は安くなる」「これからは投資だ」と煽られると不安になり、慣れないFXやアクティブ・ファンドに手を出し、値動きの激しい銘柄の短期売買を繰り返して、カネをすってしまいます。

 

以前は「コマーシャルで宣伝していたから」「店員に勧められたから」「隣の人が同じものを買ったから」といった理由でモノを買いました。いざ出かけて渋滞の列に並ぶことになると、「皆と同じことをしている」と却って安心したのです。

今は情報が溢れていて、何を買ったらいいのか、彼らの頭では判断できません。口コミを見ても、いろんな意見があって迷ってしまいます。

商品を買ったとしても、ちょっとした瑕疵を見つけただけで「騙された」「舐められた」と感じ、逆恨みのレビューを書きます。

彼らは何を感じて毎日を生きているのでしょうか? 少なくとも楽しい人生とは思えません。もし嬉々として、影で罵倒を繰り返していたとしたら病気です。

 

彼らは、原始的な本能を満たして安心したいだけでなく、他人に自分を認めてもらいたくてしょうがありません。些細なことで「上か下か」の争いを繰り広げています。他の人の失敗を嘲笑ったりすることに楽しみを見出しています。彼らの心は、幼児期のままで成長が止まっています。

 

日本人は、お仕着せのサービスを好みます。考えることに自信がないのです。カネをかけずに合理的にやり繰りをしたり、自分で工夫したりして、たとえ貧乏であっても楽しむ方法を知りません。

自分が欲しいものを買っているのではなく、メディアによって刷り込まれた既製品を買っています。ブランドものを買ったとしても、そのブランドの価値観や歴史、気に入っている点を挙げることができません。ただ有名だからという理由で買っているのです。

 

資本主義が良いかどうかは別として、成長によって発展を続けていく社会に、我々は生きています。得た利益は自分だけでなく、他人にも分配されるのが理想です。こうして社会全体が持続的な進歩を続けていくことができます。

ところが日本人は、自分の事や、狭いムラ社会レベルのことしか考えられません。社会全体を含めた大きな夢を描くことができないのです。

原始的な欲求を満たすために各個人が経済活動を繰り広げても、社会全体は最適化されません。大きな夢を持った個人が不可欠です。その夢は、国が考えて与えるようなものではないのです。国の行く末を行政が決定し、それを当たり前のように受け入れ、上意下達で言われた通りの事だけをする人間しか日本にはいません。こんな人々ばかりでは、日本の経済がある時点で行き詰まってしまったのも当然です。

 

役人が「あれをせよ」「これをせよ」と旗を振り、企業は乗り気ではないものの、そのプロジェクトに従います。けれども結局は失敗に終わります。

計画経済のような資本主義は上手くはいかないという事です。そもそも数十年後に何が主流になっているかなんて分かるわけがありません。夢を持ち、臨機応変に動ける起業家がもっと必要です。それなのに日本では、周りと違うことをやっている人を叩き潰しているのです。未来がないのも当たり前です。

国が主導的に推し進めなければならない仕事は当然あります。公衆衛生やインフラの整備といったものです。けれども、そういったものには計画性が見られないのです。利権に左右され、中抜きだらけで、ロクなものが出来上がりません。

 

「宵越しの銭は持たない」というように、日本人は基本的に「その日暮らし」の人々です。先のことを考えません。社会のことも考えられません。すぐに価値がなくなる家は、まるで仮の宿のようです。同じように、彼らの人生も、陽炎のように虚しい仮初めの存在に過ぎないのです。

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