kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

人材が枯渇した日本 ー社会の安定と引き換えの衰退-

日本にはろくな人材がいません。偏差値による輪切りで「優秀な人材」が限られた場所だけに偏在(へんざい)するようになりました。しかし彼らを活かすことが出来なかったのです。

 

1970年代の終わりに共通試験が始まる前までは、各大学で別々の試験を課していました。試験の日取りも一緒ではありませんでした。大学の序列はありました。しかし下の大学でも、優秀な学生が時々居たのです。

 

共通試験により、大学の序列が厳格に定まり、学力が優れたものは上の大学に集まるようになりました。彼らは同じ環境で、価値観や考え方を共有するようになったのです。

「日本にも優秀な生徒はいる」「どこそこの役所には優秀な人材がいる」という話はよく聞きます。その通りです。

学校の序列が偏差値で明確に決まっており、将来もそれによって決まるならば、賢い人間は出来るだけ上の学校を目指すのが当たり前です。

知力、体力に優れ、人格のバランスが取れた人間も上の学校を目指します。そして就職偏差値の高い組織に入ることを目的とします。学校だけでなく、社会全体が序列化され輪切りにされてしまったのが現代の日本なのです。

 

日本では、学歴が高く、それなりの組織で、それなりの地位にある人間は偉ぶりません。その必要が全くないからです。その代わりにミスをしないように、誰からも憎まれないように苦心します。

一方で学歴が低く、門閥が無いのに、高い地位にある者の多くは下劣です。傲慢で高圧的です。時々無茶な命令を出しては、下のものが素直に従うかどうかを試します。

そこでは共感力の欠けたサイコパスのような独裁者だけが生き残ります。カネや権力があれば偉いという歪んだ価値観を持つ人間です。馬鹿が居直る社会です。序列の下にある組織ほど、ますます下品で無能な 人間が増えていくのです。

 

日本では優秀だが大人しくて無能な人間と、卑しくて威勢がいいだけの無能な人間しか居ないのです。その下に搾取されるだけの従順な羊がいます。上級国民と、おこぼれに与(あずか)る一般市民、そして奴隷がいます。日本が衰退するはずです。

 

優秀な上位2割の働きアリを一か所に集めても、懸命に働くのはやはり2割であり、残りの8割は怠け者になってしまいます。秀才や天才は、あちこちに遍在(へんざい)し、活躍してくれる方が理想的なのです。

 

明治時代には、各地方に埋もれていた優秀な人材を一か所に集めて、一気に文明開化を推し進めることができました。人材を効果的に吸い上げる教育システムも整備されました。日本全体を統治する近代的なシステムが完成したのです。しかしそれが功を奏するのは初めだけです。科挙がどういう結果をもたらしたかを見れば一目瞭然です。

 

日本のシステムの弊害として、そこそこ頭の良い人間を吸い上げる事は出来るが、はなはだしく頭の良い人々は却って弾き飛ばされてしまうという事もあげられます。

国家公務員一種試験に一番の成績で通った人がいました。合同初任研修でもノートをまったく取らずに、腕組をして静かに聞いているだけだったそうです。ところがしばらくすると、その人は地方に飛ばされました。そうして、何もない部屋の中で一人空想に耽っているだけの毎日を過ごすようになったのです。上位5%の天才は、日本ではただの異常者に過ぎません。

 

この国は、どんな無理難題でも素直に従うような人間こそが選抜され、生き残っていく社会です。そういった人々のみが十分な給料を得て、家族を作り、子孫を残すことができます。日本人は過度に家畜化が進んだ人間と言えるでしょう。

  

これからは従順な羊ではなく、自発的に学び進歩する人間が必要なのです。最新の考え方や技術などは企業の研修では学べません。日本の専門雑誌にも載っていません。

ところが日本では、独創的な発明をしたり、行動をする人間は、既存のシステムをおびやかした者として、逮捕、起訴されてしまうのです。外国でファイル共有ソフトを作ると億万長者になれますが、日本では拘留され裁判にかけられます。

この社会では、為政者のために、詭弁を用いた作文を書き、印刷してコピーをとり、紙を綺麗に糊付けする役人が望まれています。何処かにミスがあれば、即座に左遷されてしまいます。

優秀な人間は、紙に押すハンコの角度や写り具合に至るまで気を抜きません。そうでないと日本では生き残れないのです。

また問題が起こっても、表面上は、何事も無かったかのように受け流し、裏で解決できる能力も大事です。何でも「想定内」と反応し、全てを予定調和で済ませるのです。

上からの指示には全て「仰る通りです」と答えます。間違った指示にも本当に従ってしまうか、裏で何とか出来るかに能力の違いが現れます。しかし対処できない程のトラブルや災害に見舞われると、お終いです。何も出来ません。

 

想定内で動く人間はいらないのです。

付加価値をつけられる人間が必要です。それは異常な集中と長時間労働によって生み出されるものではありません。

日本では翻訳やプログラミングは、単純作業と思われています。そうではありません。Aの要素a1,a2…からBの要素b1,b2…に単純に置き変えるものではないのです。必ず質的な転換があります。それが付加価値となるのです。

コンサルにしても、分析して課題を抽出し策を捻りだす、それだけではありません。何処かに「おぉっ」と客を唸らせる要素が必要です。そうでなければ、「そんな事は初めからわかっている」と言われてしまいます。

確かに、そうではないコンサルも居ます。例えばシンクタンク系コンサルは、官公庁や保守的な日系企業と親しい関係にあります。空気をよく読んで無難な資料を出してきます。過去の事例は豊富です。しかしドラスティックな提案はしてきません。リスクは低いが詰まらない解決策を示してきます。

 

残念ながら日本では、未だに機械のような人間を生み出し続けています。日本人自身がそういったものになる事を望んでいます。それが日本の社会に適応できる方法だからです。そういった人間だけが選ばれ、あとは自然淘汰、性淘汰されていくのです。

 

現代は、日本の歴史が始まって以来、もっとも人々が均一化された時代です。環境が変われば、恐竜のように一気に絶滅します。今がまさにその時です。

日本ではタテの序列関係が大事です。それが社会の安定につながります。そうでないと日本人は「上か下か」を巡って絶えず争いを繰り広げるからです。徳川幕府は安定したシステムを築き上げました。人々は退化していきましたが、為政者にとっては好ましい社会でした。黒船が来るまではです。

敗戦によって日本の社会はクリアされ、イチからやり直しました。ところが人々は序列関係に敏感で、性質は変わっていませんでした。社会システムが硬直化しやすいのに、それをさらに補強する偏差値と学力試験を導入して失敗したのが、今の日本です。

人々は「自分に何が出来るか」「貢献できることは何か」と考えることはなくなりました。ただただ、自分に見合った偏差値の学校や会社に行くことだけが目的になったのです。

 

日本人に協調性はありません。自分の事しか考えません。共感力が欠けており、他人を信用しません。不必要な関わりを避けます。

その代わりに何でもカネで解決しようとするクセがあります。カネや贈り物を渡せば誰でも喜ぶだろうと誤解しています。未開人の贈り物は相手より上に立とうとする行為です。領土を取り戻そうとして、カネを渡し、却って相手から軽蔑されてしまうのが典型的な日本人です。

 

経済はカネだけではありません。将来への希望や、他人への信頼で成り立っています。しかし今の日本人はどちらも失っています。人々は成長ではなく、不安のために投機に走り失敗を繰り返しています。人々は希望を失い子供を育てる気力を失っています。仕事にはうんざりしており、協力し合う事ができません。ただ命令に従うだけです。

 

日本は先進国がどのように衰退し、後進国となり滅んでいくかを示す、良き例証となることでしょう。

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