ジョージ・オーウェルの小説「1984年」に、国家が国民の思想を統制する為に人工的に作られた言葉(「ニュースピーク」)というものがでてきます。世界には様々な言葉がありますが、その中には国が恣意的に作ったような言語があります。
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さて日本語というのは、語順がどのようなものであっても通じるようになっています。日本語を知らない人でも、とりあえず語彙を並べていけば通じる、その意味では単純な言葉です。
さらに、発音しやすく聞き取りやすいように、非常に単純な5つの母音で終わるように作られています。日本語では子音が連続する単語はありません。つまり言葉が拙い者同士が大声で意思疎通を図るのに便利な言葉だったのです。そして何の脈絡もない同音異義語が多く、書き言葉になると漢字なしでは成り立たないほどです。
また日本語の文法では主語が省略可能で、肯定、否定の意思表示は、一番最後になるように決められています。要するに、まずは知識を伝えるのが大切で、言葉を発する本人の意思表示は二の次という考え方です。これを利用し、まったく意思表示をしないでウヤムヤに済ますことも可能な言葉です。
日本語が複雑だ、難しいと言われているのは、もとは単純な言語であったのに、非論理的な文法構造や、省略して明確に語ろうとしない風習、同音異義語の多さ、場面や相手によって異なってしまう言い回し、複雑で膨大な数の漢字や外来語などの追加、追加で、完全に理解して、読み書きするのに大変な労力を必要とする言葉になってしまっているからです。決して日本人の頭が優れているわけではありません。
これが日本人の頭に及ぼした影響は大です。もともとの日本語は、知能が低く非論理的な人間でも話が出来るように作られているのですが、その特性はそのままに、本質的でない余計な事にいちいち頭を使わなければいけない言葉になってしまったのです。
さらに日本語だと、他の言葉と違って抑揚やリズムがあまりなく、単純な母音で構成されているので、日本人は世界でも外国語習得(特に話し言葉)が下手な人達となっています
日本の公文書は長らく漢文や、仮名交じり文でした。言文一致運動が始まったのは明治時代からです。一般庶民はこのおかしな日本語をずっと使っていたため、すっかり非論理的で主体性の薄い思考に慣らされてしまいました。国会での趣旨説明などの原稿は何の意味も持たないように役人によって作文されます。日本語はその点では非常に便利です。つまり愚民を愚民たらしめ、愚民を統治するのに都合のよい言語なのです。
ヒトをヒトたらしめ、思考を可能にしているのは言葉があるからです。その言葉に大きな欠点があれば、それを母国語にしている人の思考にも欠点があることになります。このように人々の思考を支配するには、まず言葉を規制することが肝要なのです。