近代法治国家は「自力救済」を禁止しています。しかるに日本では「自力救済」が当然とされています。これはどのような問題を生み出しているのでしょうか。
自力救済は法に依らずして自ら問題を解決することです。国や法が未発達だった時代には、個人や集団が自分で問題を解決しなければいけませんでした。「復讐するは我にあり(復讐は神に委ねるべき)」(申命記32:35)という個人の復讐を禁ずる概念は昔からありました。けれども私的な制裁や復讐も時折許されていたのです。それだけではありません。国家が横暴を振るう場合があり、民は公権力とも戦わなければなりませんでした。
しかし17世紀のヨーロッパで「社会契約説」という考えが生まれました。この頃は三十年戦争やイギリス内戦が続き人々は戦乱に倦んでいたのです。17世紀のフランスの版画家であるジャック・カロの「戦争の惨禍」では当時の悲惨な状況を垣間見る事ができます。安定した社会を実現する為に理性の大切さが認識されて行った時代なのです。
社会契約では、人々が進んで統治権を国家権力に委ね逆に国家は社会秩序と安全を民に保証します。民との合意・契約により国家が成立するという考えです。こうして支配者が好き勝手な統治をする時代は終わりを告げたのです。
これにより裁判権も国家が独占することとなりました。紛争は法に基づき厳正に審理された上で国が解決します。恣意性を排除し予測可能性を担保するのです。多くの人が納得できる合理的な解決がなされるようになったのです。
こうして「自力救済」は基本的に禁止されました。例外として「正当防衛」「緊急避難」「自救行為」があるのみです。
ところが日本はどうでしょう。近代国家の形をしていますが、こうした重要な法概念が根付いていません。民だけでなく法曹界もです。
日本では時折「自らの命は自らが守る原則」といった言葉が口にされます。つまり国民は法律を守るべきだが、国家が社会保障や安全を保証できない場合が発生する。その場合は自分で何とかしなければならない。そういう事です。災害発生時には国民は国家をあてにしてはいけません。
日本は税を徴収しますが、主な目的は社会秩序を保つことです。其の上で国は自身の目的を遂行します。支配層をより富ませるという目的です。これは社会契約に基づくものではありません。だから国民に社会保障や安全を与える必要がありません。
このような国は他の近代国家と比べて遥かに自由があります。税収の半分以上を防衛費につぎ込むことも可能です。これが近代日本が(ある意味において)成功した理由です。
困ったことに日本人はこれを是とします。それゆえ日本も、国と国民の暗黙の了解に基づき現在の国家制度が成立しているといえます。
「自力救済」に似た言葉は、日本の其処彼処で聞かれます。「自己責任」「自助努力」です。この考えは日本人に染み付いています。現在の悲惨な状況は「お前の努力が足りないからだ」と言われます。それで万事解決です。
「生活保護を貰う奴はけしからん」とは日本人の常なる考えです。様々な社会保障も自分で面倒な申請をしなければ貰えないようになっています。日本では社会保障は、基本的に受けるべきものではありません。受ける際も隠れて申し訳なさそうに平服しながら受け取るべきものなのです。
「自力救済」の考えはいろいろな問題を引き起こします。当たり前です。だから近代では禁止されたのです。
しかし日本では根底にこの考えが存在します。「国や他人を頼るな」というわけです。それだけではありません。「世間の常識」から外れると、もはや人間とは看做されません。法の庇護を受ける資格が一切無くなります。日本人は「犯罪人や外国人も法で守られる」と説明されると大変驚きます。彼らにとっては外国人はもちろん日本人でも、和を乱したものは法の庇護の対象外となるべき人達なのです。
こうした考えは容易に弱者を虐げることに繋がります。病人や働けない人達です。犯罪者や密入国者、アウトサイダーも含まれます。
有責性を欠く者、すなわち正常な判断が出来ない成人である「成年被後見人」(旧「禁治産者」)は、近代法では保護と支援の対象です。制裁の対象ではありません。
近代以前では彼らも忌み嫌われ、追放されたり殺されたりしました。中世の魔女狩りの対象者には、精神異常者も多く居たとみられています。しかしそれに留まらず、寡婦や伝統的治療者、アウトサイダーも含まれていました。個人的な土地や財産の争い、恨みによって告発され犠牲者になる事もあったのです。社会にとり目障りな人間が片付けられたのです。
ところが日本ではあいかわらず「社会的弱者」が支配や保護の対象ではなく、むしろ制裁の対象となっています。弱者は忌み嫌われ不満の捌け口となります。災害が起これば外国人や異端者は真っ先に殺され、女性は強姦の対象です。
日本の調停離婚では、立場の弱い者が金銭を支払って迄して離婚する場合があります。親権を譲り渡し子供の世話をするだけの監護権者に甘んずる事もあります。離婚をしても共同親権制度により強い者が引き続き弱者を虐げ続ける事も可能です。子供を作ってしまえば長きに渡り強者が相手を奴隷として使役する事が出来るわけです。
母子家庭は相当の確率で貧困家庭です。「頼るな」「自分で何とかしろ(早くクタバレ)」と言われ最後は列車に飛び込むしか方法がありません。無知な人間は憧れで結婚しますが、待っているのは絶望です。日本では、弱者は踏みにじられ全てを奪われた上で死ななければなりません。
日本は今も昔も「強い者が偉い」「強き者が生き残る」という社会です。権力構造の最上位に位置すればあらゆる庇護を得られます。しかし下位階層ではそのような庇護を得られず、野垂れ死にが待っているのです。「上か下か」が全てを決めるのです。
人間は誰でも心の拠り所を求めています。日本人の場合はそれが「偉い人」となります。彼らは有名人や政治家を自分と同一視します。その反面で「法の支配」「神の支配」という抽象概念を理解できません。彼らは「日本」を「イエ」「ムラ」「学校」「会社」と混同しています。
日本人は和を大切にします。おかしなルールを作り人々が従う様子を見て、サディスティックな喜びを感じます。ルールに従わない人物を炙り出して攻撃します。外国人をどやしつけ「恐れ入る」様を想像して得も言われぬ快感を抱きます。十七条憲法に「和を以て貴しと為す。さからふこと無きを宗と為す」と書いてある通りの人々です。
古来より集団は、異端者を「見せしめ」として裁く事で社会の結束を高めて来ました。つまり恣意的に罪が定められてきた側面があるのです。
近代法では法益保護主義(法益を害する行為を罰する)が原則です。法で定めた利益や価値を侵害した場合に初めて罰するということです。しかしこの「価値」というのが曲者なのです。
たとえば前近代的国家や独裁国家では、倫理や道徳の世界にまで踏み込んで積極的に罪を定め罰しようとするのです。誰も迷惑していなくても国が「けしからん」と言えば刑務所に入れられたり殺されたりするのです。公正さよりも支配者の意向が優先しますから、「推定有罪」や「人質司法」が蔓延します。しかしこれにより独裁国家は、効率的に社会を統制し秩序を保つことが出来ます。
このような社会では、集団内で目立たず無難に過ごすのが肝要です。しかし非常時となれば秩序が崩壊します。それを利用して上手く立ち回るのです。平時は文明人として。そして有事は野蛮人として行動する。これが日本人です。