kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

無駄なコミュニケーションを繰り返す日本人

日本はコミュニケーションの効率が悪い国です。日本人は、黙って手を動かすような仕事は得意です。しかし言葉で正確な情報伝達が出来ないのです。これがこの国の限界を示しています。

 

日本語は表音文字のひとつひとつに母音が入っているのが特徴です。その為に意味を伝えるのに余計な労力と時間が掛かります。一方で他の国の言葉のように子音を連続させる事が出来ればより速く情報を伝える事ができるのです。

たとえば「マクドナルド」は日本語では6つの音節です。しかし実際は「マッナード」のように発音され音節数は4となります。「ケンドリック」は日本語では6音節ですが、英語だと僅かに2音節です(ちなみに上記2つはスコットランド等で見られる名前です)。

 

日本語の様に母音を連続して発音するのは大変です。母音毎に横隔膜のコントロールが必要となります。一方で子音を連続させる場合には息を押し出した後に口元や舌を運動させるだけで済むのです。

ところが日本人は口元を動かすのが苦手なのです。ある年配のアナウンサーがテレビでしきりに「セイクニュース」と発音していました。「何か」と思いしばらく注意を払ってみると、彼女は「フェイク・ニュース」と言っているつもりだったのです。口元を横に引っ張ったり、前歯を利用したりという運動が出来ないが為に不明瞭な発音となっていたのです。

 

また日本語には同音異義語の問題があります。土着言語である大和言葉は単純な単語しかありませんでした。知識階級が複雑な概念を伝えるには中国語を用いるしかなかったのです。ところが日本の単純な発音方式に当てはめると、どれも同じ発音となってしまったわけなのです。

 

そのために日本では、しばらく文脈を追わないと語り手が何を言いたいのか分からないという状況がしばしば生まれます。聴いた言葉を頭の中で漢字のイメージに変換するという作業も必要です。最近の「文字起こし」ツールは便利になって来ました。ところがAIも変換に窮する場合があります。AIでさえこうなのですから、普通の日本人がまともに日本語を理解しているとは到底思えません。

 

さらに日本語の構造では、一番大事な事項を最後に言うようになっています。だから最後まで文を記憶に留めて置かなければなりません。日本語は、文の最後に助動詞が幾つも重なって分かり難くなる特徴があるのも問題です。さらに悪いことには、意味不明な長い文章を語ったり書いたりする人間が日本には大勢いるのです。そんな連中の話を注意して聞いていなければならないのです。

 

不思議な事に日本では、口述筆記が一般的ではありません。理由のひとつとして日本人が音声の言語処理を不得手としている点が挙げられるでしょう。彼らは言語を主に視覚的に処理しています。また彼らは見栄に拘る人達です。不完全な音声記録を残すよりは形式的な文で飾られた意味不明な文章を残すことを彼らは選ぶのです。

 

また日本では、会社や官公庁と云った組織ごとに独特の表記があります。公式文書はもちろんメールもそれに従わなければなりません。たとえば稟議書も、重要事項が確実に書いてあるかどうかよりも形式通りである事が重視されます。さらに稟議を回付する前に関係部署や重要人物に事前に根回しをしている事が重要です。内容の成否よりも大切な事です。

 

日本における会議は一種の儀式です。会議でいきなり核心を突くような質問をする人間は空気を読まない気の狂った奴だと見做されます。決定事項をひっくり返すような真似をする奴は許しがたい謀反人です。あくまで会議は、予め定まった事項を予定通りに消化して行く儀式の場なのです。予定された人以外は喋ってはなりません。

 

重要な場で必要なコミュニケーションが行われない一方で、その裏では膨大なやり取りが発生しています。

日本人はTeamsなどで提供されるチャットが大好きです。しばしば重要な事柄が少人数のチャットで決まってしまう事があります。参加しているメンバーはオーソライズされたものではありません。最終決定なのかどうかも不明確です。言っておきますがチャットは正式な文書では無いのです。また検索機能はありますが、しばしば過去の重要なやり取りが埋もれてしまいます。

 

経営層に近くなればなる程、資料や報告は簡潔で要領を得たものが好まれます。当たり前の話です。しかし中間管理職に対する報告では、いろいろな前置きや説明、形式張った表現、事前の根回しが必要なのです。下の階層に行けば行くほど、これが酷くなります。

資料は何度も赤入れや追記がなされ、なにがポイントなのかさっぱり分からなくなります。役所から送られてくる要領を得ない申請用書類を想像して貰えば良いでしょう。あるいは日本の醜い学習参考書やちまたに溢れるゴチャゴチャとした道路標識を思い浮かべて貰っても構いません。

 

日本では、このような本質では無いところに膨大な労力を費やさなければなりません。たとえ数十万円の案件でも、調整に数ヶ月掛かる事はザラです。その度に業者を何度も呼んで説明を繰り返させ、見積も取り直さないといけません。そのうちに課長が異動となり最初からやり直しです。

一番大変なのは、平社員が他部署の平社員に対して調整や説得を行う場合です。これはほとんど不可能ではないかと思える程です。だから社会カーストの最底辺には問答無用で動く奴隷が必要とされるのです。

 

日本は容易にセクショナリズムに陥ります。第二次世界大戦前も陸軍と海軍が互いに争っていました。国益よりも自分達の利権の方が重要だったのです。幾ら大きな事をほざいても、小事に拘り大事を成し遂げられない連中です。

 

日本人はせいぜい村レベルのコミュニケーションや運営しか出来ない人達です。彼らは自分が見知っている範囲の人々しか頭に描けないのです。自分が属する小さな集団の利権を最大化する事が自分の仕事だと思っています。「国」や「人権」などといった抽象的な概念は決して理解できません。このような愚鈍な連中を動かすには、軍隊のように組織化してトップダウンで指示を与えるしかありません。

 

こういった集団では上位の人間をもり立てる事が大事です。コミュニケーションもそれが主体となります。組織を維持し拡大するのには最も重要な事柄だからです。当事者同士では決まらない事も「上の人がこう言った」となれば、たちまち決してしまいます。下に厳しく上に甘いのが日本です。

 

だから日本では「上か下か」という位置決めが大切です。仕事上の挨拶ではまず相手が組織のどのポジションに位置しているかという確認から始まります。

日本人とのプライベートな会話は出来れば避けたい所です。会話が結局「上か下か」という点に収斂して行くからです。「いま何か良い儲け話はないか」と云う話をする関係の方がマシです。その方が未だWin−Winというものです。

日本では同じ組織の「同期」との間にだけ、平等関係を保つ事ができます。しかしそれも互いに出世の格差が出来てしまうと、あっという間に壊れてしまいます。

 

そもそも社会におけるコミュニケーションの要諦とは何でしょうか。人間が社会で確固たる地位を得るにはコミュニケーション能力が極めて重要です。

相手を納得させ感服させる能力です。分かりやすく筋の通った「物語」を流暢にたちどころに話せる能力です。内容は嘘でも構いません。信用させられるかどうかが大事です。つまり詐欺師と同じです。落ち着いていて張りのある声や魅力的な見た目も重要です。結局のところ人間は表面的な印象で判断しています。理屈は後付けです。この世に生まれ落ち、たったの数十年でそれなりの人数を従えるには、持って生まれたチャームや才能が絶対に必要です。

 

人々の多くは自分が信じている嘘を語ってくれる人物を求めています。そういった人には望み通り嘘を与えて遣らねばなりません。彼らに真実を与えたら逆に恨まれることでしょう。聖書には適切にも「聖なるものを犬に与えるな」「豚に真珠を投げるな」と書かれてあります。人間の多くはここに該当するのです。

 

真理を求めている人に真実を伝えるのは良い事です。しかし真理を求める人は少なく、また見返りもありません。そもそも見返りを期待して行ってはいけない事です。

コミュニケーションによる説得は重要です。しかし社会的成功を得たいのなら、どこかで道理や倫理を捨て去らねばならないのです。

 

現代日本人の様相は実に滑稽です。彼らは実利を求めながらも非効率なコミュニケーションを繰り返しています。彼らの伝えようとする内容は空虚です。彼らの言葉は表面的な和を保つためだけの虚飾に満ちているからです。

そうでありながら裏では取引を持ちかけます。大抵はカネや女などの見返りを伴います。彼らにはそれ以外に人を動かすものがあるとは全く想像がつかないのです。だから日本人は世界で信用されません。相手にされません。それどころか軽蔑されているのです。

日本人が信じている「日本スゴイ」「日本人は世界で尊敬されている」という与太話とは、どれ程かけ離れている事でしょうか。

 

日本人のコミュニケーション能力は、本質に関わる部分なので改善は困難です。誰かに日本を支配して頂き、日本人は小役人や職人、あるいは奴隷として生きて行くのが性に合っているのです。