「スマイル」は2022年のホラー映画です。呪いの連鎖を扱った映画です。しかしこの映画には別のテーマもあります。
幻覚や幻聴、トラウマの恐ろしさを映画のなかで克明に描いています。それだけではなく患者の孤立と周囲の無理解も描かれています。ホラー映画という形をとりながらも実はこういったメッセージを伝えているのです。
この映画の主人公は精神科医です。ある日眼の前で患者が惨たらしい自殺を遂げるのを見ます。そこから全てが変わります。彼女は幻覚や幻聴に悩まされるようになります。実は彼女には幼少期のトラウマがありました。それを克服出来ていなかったのです。そのトラウマも蘇ります。やがて現実との境目も分からなくなって行きます。
彼女は治療する立場から患者へと変わりました。最初は同情的だった周囲も変わって行きます。「少し安んだらどうか」「病院に行け」と言われます。しかし誰一人彼女の言葉をまともに聞いてくれる人はいません。結局自分で何とかするしかないのです。彼女は狂人として扱われ、最後は危険人物と見做され追われる立場になります。
映画の監督であり脚本も書いたパーカー・フィンは「ローラは眠れない」という短編映画を先に制作しています。その作品が映画祭で特別審査員賞を受賞しました。これが本映画に繋がったのです。その映画においても主人公が悪夢や幻覚に悩まされます。
米国は精神科医やセラピストを頼ることが多い社会です。精神をケアし健康を保つのは当然の事とされます。セレブがアルコール依存症だったり精神科にかかった事を公言することも珍しくありません。それらは勇気ある行動とされます。隠し事をしない誠実な人物として称えられます。しかしそれは必ず「病気や障害を克服して成功した」という物語とセットでなければなりません。
もし精神科医にかかりながら病気を克服出来なければ救いようの無い敗残者となります。家族の汚点ともなります。親族やコミュニティから絶縁されるだけでなく危険人物として隔離される事もあります。そうして社会から消えてしまいます。弱者や敗残者の居場所はないのです。
映画で何度かペイン・スケールがクローズアップされる場面があります。痛みを絵的に表し患者と治療者とでその度合いを伝達し合う為のものです。
しかし精神病ではどれだけ言葉を尽くしても医者やセラピストに患者の苦しみが伝わりません。身体的な痛みならスケールである程度表現出来ますし、痛みを軽減するクスリもあります。けれども精神的な痛みは1次元のスケールで表現できるようなものではありません。クスリで頭を鈍くして簡単に解決出来るものでもありません。映画の主人公も自身でとっくに解決していたと思っていたトラウマに再び苦しめられるのです。
けれども精神科医は話を聞き様子を見てクスリを処方するだけです。それだけでなく患者が公共に危害を加える恐れがないかを監視する存在でもあるのです。
この映画のタイトルにもなっている「スマイル」。これも象徴的です。呪いを感染させる人物は不気味な笑顔を浮かべながら自傷行為に及びます。
病んでいる人にとっては笑顔も恐怖の対象となります。「自分がこれほど苦しんでいるのになぜ彼らは笑顔なのだろう」「途方もない悪意が笑顔の裏に隠されているのはないか」と怪しむのです。
正常なコミュニケーション能力が壊れた世界では、あらゆる情報が正常には伝わらず、かえって苦しみと混乱の種となるのです。そして彼らの倒錯した行為がまた、トラウマとなって人々に連鎖して行くのです。