kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

映画「MaXXXine マキシーン」 −保守と革新−

「MaXXXine マキシーン」はタイ・ウェスト監督によるホラー映画三部作の完結編です。

主人公マキシーンは無名のポルノ女優です。何時かスターになることを夢見ています。ようやくホラー映画のオーディションに合格し主演を務めるチャンスを得ます。しかしその頃から彼女の近辺で惨劇が続くようになるのです。

 

この映画は単なるホラー映画ではありません。マキシーンの成長を描いています。父親から受けた幼少期のトラウマが主人公の心を歪め苦しめていました。しかしそれを克服することが出来たのです。

彼女は父親から「自分に相応しくない人生を受け入れるな」「自分らしくあれ」と言われます。それ自体は間違っていなかったのです。一切の妥協を許さない厳しい監督からも「撮影所にトラブルを持ち込むな。自分で解決しろ」と言われます。代わりになる女優は幾らでも居るのです。しかし彼女は問題を解決できました。夢であった個性的な女優となることも出来たのです。

 

最後に、劇中劇で使用するマキシーンの作り物の生首が出てきます。最初は自分の頭の型を取ろうとするだけで過去のトラウマが蘇り窒息しかけました。しかし今は出来るようになっています。生首は過去のマキシーンを象徴しています。彼女はトラウマを解決し忌まわしい過去と決別することが出来たのです。

 

「自己責任」「個性的であれ」というのは如何にもアメリカ的です。まさにそれを達成できたのがマキシーンだったのです。映画に登場する、俳優を目指していたというイタリア系アメリカ人の刑事は、弾に当たってあっけなく死んでしまいます。しかし彼女はスターへの第一歩を踏み出すことができました。

トラウマを乗り越えたマキシーンは少し謙虚になっています。「終わらせたくない」と彼女は言うのです。以前のような「大スターになりたい」という大それたものではありません。また撮影現場で俳優仲間のために最後まで黙祷していたのはマキシーンでした。

 

映画の最後に流れてくる曲は「ベティ・デイビスの瞳」でした。男を魅惑する計算高い女のことを歌ったキム・カーンズの曲です。マキシーンはこれからも計算高く世を渡り歩いて行くのか。それとも内面的な価値に重きを置いていくのか。それは想像に委ねられています。

 

この映画はまた、保守と革新の葛藤と対立をも描いています。マキシーンはテキサスの田舎町の出身でした。オーディションでもアクセントを指摘されてしまいます。しかし彼女は新しい価値観を備えたアメリカ人となり、その象徴でもあるハリウッドでの成功を目指すのです。黒人と関係を持ち、インド系のマネージャが経営する事務所に所属しています。他にもマイノリティーが彼女を応援しています。

一方で彼女の父親はキリスト教の教えを固く信じる保守的なアメリカ人です。マキシーンをしつこく追う私立探偵もアメリカのハートランドであるインディアナ州出身であり、保守層を象徴しています。

 

古いものと新しいものとが常に対立するのがアメリカです。それも過激な形でです。ボラティリティが大きいのがアメリカの強みです。良い方向にも悪い方向にも大きく揺れます。それがダイナミズムを生み出しているのです。悪い方に大きく動けば、逆に良い方向へと向かうことも期待できるのです。

「保守と革新」といっても政治的用語として使っているのではありません。人の心の内には古いものと新しいものが混じり合っています。それらが葛藤を生みます。外に向かえば闘争が生み出されます。

 

銃規制反対を唱えていた米国活動家が射殺されました。公開処刑のような劇的な形でです。しかしもし彼が命をとりとめていたとしても主張を撤回することは無かったでしょう。生涯を後悔することも無いはずです。

あくまで自分が信じる事を語る。そしてその結果は受け入れる。たとえ死んでも。これがアメリカです。ただしこれは伝統的な価値観ではなく作られたものです。米国は良くも悪くも人工国家なのです。

 

無謀にも思えるアメリカンドリームがある一方で、過酷な現実もある。多大な犠牲の上でその夢を実現してしまう。確かにこれはアメリカです。

対立する2つの要素を止揚することで必ずしも良きものが生み出されるわけではありません。しかし兎にも角にも新しいものは生まれるのです。

 

三部作の2作目である「Pearl パール」は、マキシーンを襲った老婆の前日譚でした。老婆も若い頃に映画スターを夢見ていました。しかし彼女は殺人鬼となりました。マキシーンも同じ様な狂気を抱えながらもハリウッドで女優となることが出来たのです。

 

彼女は夢を実現しました。しかしその夢の形はひとつではないのです。

劇中劇の撮影が終わりに近づく頃、マキシーンは髪を輝くブロンドに染め上げます。「ブロンドは素晴らしい」。これだけは絶対に譲ることの出来ないアメリカ人の未来永劫変わらぬ価値観です。

マキシーンは監督から「ヒッチコック・ブロンドだね」と言われます。「マリリン・モンローのようだ」という陳腐な褒め言葉ではありません。

そう、彼女は新しい米国のアイコンとなるべく、その第一歩を踏み出しているのです。

MaXXXine マキシーン

ベティ・デイビスの瞳