kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

魔力を失った貨幣 −資本主義の転換−

18世紀後半、資本主義の台頭により貨幣は万能となりました。何でもカネで買うことが出来るようになったのです。しかし万能だった貨幣の地位が今揺らいでいます。

 

貨幣には次の機能があります。交換手段。価値尺度。価値貯蔵。この3つです。これらの機能が今現在どう変わったのかを順に見ていきましょう。

 

まず価値貯蔵機能です。現代は金融緩和やインフレによりマイナス金利となる事が珍しくありません。つまりカネの目減りが常態化しているのです。これはカネを死蔵している者へのペナルティと捉える事ができます。カネを溜め込んでいると腐ってしまうのです。カネも野菜と同じように「鮮度」のある生ものとなったわけです。手元のカネが腐らないうちに互いに押し付け合っている状態とも言えます。カネの価値貯蔵機能が恒常的に機能不全を起こしているのです。

現金を持っているだけで価値が保全される時代は終わりました。その代わりに、カネを動かし続けることで新たな価値を創造したものが評価されるようになったのです。

 

以前は、銀行預金や国債購入あるいは株式配当の受取りは堅実な利殖行為と見做されました。しかし今は違います。それだけではインフレに負けてしまうのです。投資家がこうしたインカムゲインを狙う場合、一度買ってしまえば後は何もしなくても良かったのです。しかし「そのような怠惰な投資家は駄目だ」と時代は言っているのです。

 

要するに、経済においても「赤の女王仮説」が当てはまるのです。「とどまる為には走り続けなければならない。別の場所へ行くには倍以上の速さで走らなければならない」というわけです。

 

通貨をCBDC(中央銀行デジタル通貨)へ変えようとする動きは理に適っています。CBDCには有効期限を持たせることができます。つまり使わなければ「腐って」しまうのです。通貨が腐って行く現代においてあえて紙幣を刷ったり硬貨を鋳造したりするのは無駄です。インフレとは異なり庶民も通貨の目減りをはっきりと認識できます。これにより庶民を消費や投資に向かわせる事が容易となります。決済も簡潔化できます。あいだで仲介手数料を喰む民間銀行を排除する事も可能です。

 

これからはインフレ時にだけ通貨が目減りするのではありません。むしろカネの価値を意図的に減じる時代が来るのです。新約聖書の「タラントンのたとえ」にあるように、投資をせずに「お預かりした1タラントンをそのままお返しします」と言った愚かな召使は叱責されたうえで追放されるのです。

 

カネを動かし続けることが「善」である。このような時代ではあらゆるものの意味が変わって来ます。労働者は生きていく為に全力で働き続け無ければいけません。これは従来通りです。いっぽうで資本家は、資本さえ持っていれば何もせずに濡れ手に粟という事も今までは可能でした。「何もしない」というのは言い過ぎだとしても資本家の利潤は労働者が得る利潤と比べて遥かに高い率で伸びて行ったのです。そのようなアドバンテージがありました。

しかしこれからは違います。資本家でさえもカネを動かし全力で走りつけなければならない時代となったのです。動き続けることは善。そして立ち止まる事は悪です。カネを握りしめて様子を伺っている者には罰が与えられます。

 

現代の投資家は的確な投資対象を求めて右往左往しています。不動産、ゴールド、シルバー、ビットコインプライベート・エクイティといったものです。MMF国債ではインフレに負ける恐れがあります。現金の「価値貯蔵」機能が失われていく過程で、彼らはより確実で安心できる投資対象を探っているのです。

この現象は一過性のものではありません。貨幣機能の恒久的な変化に因るものです。キャッシュを死蔵したり、インカムゲインだけに頼る投資家は淘汰されるのです。資本家の地位はもはや安泰ではありません。それが嫌ならば、地代(レント)を強制的に徴収できる「クラウド領主」になるしかありません(「クラウド領主」は経済学者ヤニス・バルファキスの言葉です)。

 

貨幣の「交換手段」「価値尺度」という機能も揺らいでいます。現代はカネではないものを提供して、カネではないものを得る時代です。カネで測る事が出来ないものが取り引きされています。カネが以前ほど重要視されなくなっているのです。

我々は無償労働の度合いをますます高めています。それで得るものもカネでは無いものです。たとえば我々は多くの時間をSNSに費やしています。コンテンツを書き込み、逆に他人の書き込みから影響を受けます。アマゾンやアリババが提供するプラットフォームで買い物をしています。そこでは利便性と引き換えに、嗜好や購買履歴といった個人情報を渡しているのです。

 

フェイスブックツイッター、あるいはブログで、人々は様々なコンテンツを無償で提供しています。その代わりに人々は「自己肯定感」「人との繋がり」「尊敬」「影響力」といったカネでは得られないものを得ているのです。そのために人々は無償で働き「評判」「信頼」「貢献」を積み重ねて行くのです。

 

資本主義の発達によりあらゆるものがカネで測られました。それ等全てはカネで手に入れる事が出来ました。しかしそれが今になって変わりつつあります。資本主義の成熟により貨幣が機能を消失しつつあるのは皮肉です。もちろん貨幣が無くなってしまうわけではありません。貨幣が万能だった時代は終わったという事です。

 

それではこれから社会はどう変わって行くのでしょうか。

カネの代わりにコミュニティでの評判や信頼、健康、時間などがますます重要とされるようになります。説得性のある物語を提供し人々へ影響力を行使できる能力も価値があります。より高い「信用」「影響力」や有益な「情報」を持つものが有利となって行きます。

 

銀行も役割を変えていきます。貨幣は価値を減じて行くので預金保護という概念はなくなります。貨幣を腐らせずに循環させなければなりません。機動性が大切になっていきます。それにより銀行の信用創造機能は縮小します。銀行は、仲介による手数料稼ぎを主とするものに変わって行きます。しかしながら不要な仲介業者はできる限り淘汰されるべきです。

企業も財務指標だけを気にすれば良い時代は終わります。社会貢献度や環境配慮などがより評価されるようになるのです。

 

我々はどうすれば良いのでしょう。今までは既存のシステムに合った知識やスキルを素早く効率的に身につける事が必要でした。しかしこれからはそれとは異なるものが必要とされます。

 

カネを直接生み出す技術は廃れていきます。人々が共感できる本当の価値を生み出せる事が重要です。

貯蓄には意味が無くなります。絶えず人の役に立つ有用なものへ投資し続ける事が求められます。

「所有」という概念も変化します。資産を溜め込み自分の為だけにひたすらそれを増やす事は「悪」と見做されるようになります。それよりもコミュニティと繋がり価値ある情報を発信することが重要となります。もっともこれは少し理想的に過ぎる未来かもしれません。

 

リーダーのタイプも変化します。必要とされるのはナラティブ化し、AIや人々に道を示す能力です。あらゆるものを統合し物語に変えて人々を説得できる能力です。官僚ではなく思想家や芸術家に近いものです。

これは従来のリーダーとは全く異なるタイプです。たとえばパランティア・テクノロジーズのCEOアレックス・カープは哲学や社会学を背景に持つ博士号取得者です。これは将来のリーダー像を暗示しています。MBAや法学の学位だけを持つ者は、主役ではなく脇役となります。テクノクラートや「キャリア官僚」の地位は相対的に低下して行きます。

 

米国国務長官ラムズフェルドは、知には次の種類があると述べました。「我々が知っていると分かっていること」「我々が知らないと分かっていること」「我々が知らないとさえ分かっていないこと」の3つです。

上のうち「既知の既知」を身に着けた者が評価されるのが、今までの時代でした。しかしこれからは「既知の未知」や「未知の未知」を積極的に探っていく者がより重要となって行くのです。

 

資本主義が台頭してからの数世紀は「我々は何処へ向かえば良いのか」という努力の方向が分かりやすい時代でした。しかしこれからは違います。

貨幣が機能を消失しつつあります。これから我々は、貨幣では測れない新しい価値を見つけて育てて行かなければならないのです。

国富論 上中下3巻セット

マルクス 資本論 1 (岩波文庫)

赤の女王 性とヒトの進化

テクノ封建制 デジタル空間の領主たちが私たち農奴を支配する とんでもなく醜くて、不公平な経済の話。(集英社シリーズ・コモン) (集英社学芸単行本)