kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

老人になると屑になる日本人

日本人は年齢を重ねると急激にモラルを失います。親切で礼儀正しいのが日本人だったのではないでしょうか。この現象の背後にはどの様な要因が隠れているのでしょうか。

 

コンビニや小売店での老人の暴言や暴力が問題になっています。老人によるクルマの逆走事故も目立って来ています。SNSで口汚く個人を攻撃している人間も多くは高齢者と言われています。

一般的に老人になると認知能力や判断力が落ちて来ます。それに加えて日本固有のストレスや孤独が精神を蝕みます。強いストレスはたとえ一時的ではあっても認知能力を極度に低下させてしまいます。老人は筋力や反射神経も衰えています。

また日本の高齢者の多くはクスリ漬けになっています。例えば高血圧を治す(?)為の降圧剤です。また睡眠薬精神安定剤を常用している老人も多くいます。

 

睡眠薬精神安定剤として使われるベンゾジアゼピンには抗コリン作用があります。多くの抗うつ薬抗精神病薬にも抗コリン作用があります。すなわちアセチルコリンを減らす副作用があるのです。アセチルコリンは重要な神経伝達物質です。これが阻害される事により認知機能が低下します。行動も鈍くなります。弛緩作用もあります。クルマの運転に影響を及ぼします。

ちなみにこの作用を応用して作られた神経ガスサリンです(もちろん作用と副作用を勘案して得だから使うのが医薬品です。医師の診断と処方に従って下さい。しかし副作用がある事は認識して置くべきです)。

高血圧治療薬として使われるアルファ遮断薬や風邪薬として使われる抗ヒスタミン薬、そして抗パーキンソン薬にも抗コリン作用があります。抗うつ薬や胃薬として日本で気軽に処方されるスルピリドも少量ではドーパミンを増やす機能を持つ為に抗コリン作用があります(ドーパミンアセチルコリンはシーソーの様な関係にあります)。

また当然ながら鎮痛剤の多くも頭を鈍くさせるものです。

 

報道はされませんが相当数の老人がクスリによって運転を誤り事故を起こしていると思われます。彼らは自分の頭が可怪しい事に気付いてさえいません。酒を軽く飲んでいる状態と同じです。むしろ何時もより気分が落ち着き冷静に周りが見えているとさえ思っているのです。

 

また元々日本人は神経が鈍く危険を察知するのが苦手だという特徴があります。幕末から維新後にかけて日本にやって来た外国人が日本人の鈍さについて驚いた様子で記しています。馬車が近くを通り過ぎても脇にどくでもなく平然としているのです。

現代でも逆走車や飛んでもない運転をしている日本人の動画を見ると同じ様子が伺えます。全く慌てる様子でもなく平然としているのです。彼らは犯罪者ではなくてそこら辺に居る極く普通の人々です。

彼らは「何が危険で何が安全か」を自分の頭で判断する事ができません。要するに扁桃体の反応が悪い上に大脳皮質で理性的に損得を勘案する事が出来ないのです。さらにクスリ漬けで頭が弱っています。またクルマを自分の「家」か何かと勘違いして安心し切っています。

 

また社会的要因もあります。日本ではモラルや法は重要視されません。ただ「上の人に怒られるかそうでないか」で判断します。年を経ると注意をしたり怒ったりする人は少なくなって行きます。そうなると「怒られないから何をやっても良い」となります。

「日本人はルールを良く守る人達」ではありません。異常に拘束的な社会で多くの人々が萎縮しているだけです。皆と同じ行動をとる事を強制されます。そもそも「日本人」と一括りに言って仕舞えるのは彼らが何時も同じ行動をしているからです。

モラルや法が内在化されていないのでタガが外れるとどんな事でもやってのける非道の存在と成るのです。

 

原理原則を重視しないのも問題です。その代わりに小手先の技術に拘ります。何のためにやっているのかを理解していないので応用が効きません。結局年数を経ても何も頭に残りません。経験による学習も出来ません。出来るのは手足を動かす作業だけです。

通常は長年の経験から帰納される原理原則が頭に残って行くものです。それが知恵とななります。けれども日本人にはこれがありません。だから年寄になって認知能力や技術が衰えるとただのクズへと成り果てるのです。

彼らは、どうでも良い細かい事が「ルール通りに行われたか」に拘ります。些末な事で互いに揚げ足取りを行っています。その「ルール」は決して自分の頭で考えたものではありません。偉い人に教え込まれたルールです。そうして自分が何も出来なくなると文句ばかり言う最低の人間と成って仕舞うのです。

 

更に日本では、奴隷として最適化された人間と成る様に教育のシステムが作られているという理由もあります。社会に出ても奴隷のように動かないと罰が下される仕組みとなっています。

だから多くの人は自分で判断せずに偉い人に言われるがまま、周りの人々が動く通りに生きるようになります。「日本人が礼儀正しくて親切でルールを守る」というのは幻想です。そのように見せかければ罰を受けないからそうして居るのです。

 

ところが老人に成るとこの世界観が一変します。定年退職を迎えると老人はいきなり社会から切り離されて仕舞うのです。群れの中の大人しい羊だったのに孤独な生活を強いられる訳です。家に居るのは奴隷の様に扱って来た古女房が居るだけです。死ぬまでこいつと向き合って生活しなければならないのです。

しかし日本の社会は過酷です。老人や弱者には冷たい社会です。普通に生きて居たのでは雑に扱われ潰されるだけです。ここで老人は気付きます。もはや己を縛るものは何もない。むしろ遣りたい放題をする方が自分の得になると。驚くべき発想の転換です。

 

そもそも日本人は、老人に成る前からまともではなかったのです。現役時代も本当の仕事をして居なかったのです。クズは昔からクズだったのです。

日本は利権社会です。小さなムラごとに利権があります。日本人はその縄張りを守る為の仕事をしているのです。自分が属する集団の権益を守り拡大するために働いて来た訳です。

しかしその集団から離れてしまったらどうなるでしょうか。自分の為に動くしかないではありませんか。皆がルールを守っている中で自分勝手に振る舞えば最大の利得を得られます。もしも仮に自分が損をしたとしても少なくとも他人が損をすれば気分が清々しくなります。

たとえ最高学府を出ていても日本人はこう成って仕舞うのです。むしろ自分の思いに先んじて周りが何でもやって呉れたので尚更厄介です。日本人の中身は「12歳の少年」と変わらないのです。

 

こうして自分の利得を最大限にし他人の損失を最大限にする為に行動する恐るべき日本人が誕生するのです。