「逆転のトライアングル」はスウェーデンのリューベン・オストルンド監督によって作られたグロテスクな2022年の風刺映画です。パルム・ドールを受賞しています。人気女性モデル役として出演したチャールビ・ディーンは本作が遺作となりました。
様々な背景を持つ大富豪を乗せたクルーザーが難破し僅かに生き残った者が無人島で生活を始めます。
船内では富裕層とスタッフの間では歴然とした階級の差がありました。どんな理不尽な要求でもスタッフは笑顔で応えなければならなかったのです。ちょっとした不適切な言動でスタッフは直ぐに解雇されてしまいます。金持ちは無愛想で傲慢でも許されます。間抜けな事を言っても失礼な態度をとる者はいません。けれども底辺層のスタッフは違います。何時でもニッコリと笑い全身全霊で彼らに媚びまくらなければなりません。
しかし何もない離れ小島ではそうはいかなかったのです。食料を見つけて生きて行く能力を持った者が偉いのです。船内ではトイレの清掃をしていた冴えないアジア人のおばさんが専制君主として君臨することになったのです。
このようなフィクションを通じて本作は、現代社会における持てる者と持たざる者の姿を鋭く描写しています。
モデルで人気インフルエンサーのヤヤは自身が備える美貌を用いて世の中を渡り歩いています。モデル志望の美男子カールと付き合っていますが「彼はインスタ映えがする」という理由からです。カールは結婚を望んでいますがヤヤは結婚するつもりはありません。いつか自分と釣り合うお金持ちと結婚するつもりです。老人ばかりのクルーザーの中ではヤヤの若さと健康的な美しさは一段と輝いて見えます。
しかし無人島での生活が始まると彼女の美貌と若さは何の意味も無くなってしまいました。インスタを見てくれる視聴者はいないのです。金持ちにとっても彼女はただの生存者の一人でしかありません。さらには環境と食事によって皮膚には醜い湿疹や腫れ物ができてしまいました。もはやカールも彼女には見向きもしないのです。
いっぽうでカールはその美貌により掃除のおばさんの好意を得られてコミュニティの中で特別な地位を得ることができたのです。
富豪達の金銀や「信用」も意味をなさなくなってしまいました。「文明社会に帰れたらたんまりとお礼をする」という言葉も虚しいカラ「手形」でしかありません。「信用」を元手にして商売を始め富を生み出す事ができなくなったのです。
映画の中で、隠れマルキストであったクルーザーの酔いどれ船長(ウディ・ハレルソンが演じています)と、肥料で大儲けしたロシア人大富豪が語り合う場面があります。こんな内容です。
「社会主義が通用するのは、その必要がない天国と既に実現している地獄だけである」「社会主義の問題は他人のカネを食いつぶすことである」「『成長のための成長』は癌細胞の為のイデオロギーである」「資本主義社会の自由とは奴隷を所有する者の自由のことである」「マルクスを理解した者は共産主義者にはならない。マルクスを読んだだけの人間が共産主義者となる」
当たり前の話ですがマルクスの「資本論」は資本主義の本質について考察した本です。共産主義について述べた本ではありません。「資本論」をよく理解した者こそが資本主義社会でより良く生きていけるのです。読んだことが無いどころか禁書と誤解して触れるのを恐れているようでは話になりません。資本主義の利点とその矛盾を理解している事が、現代社会で生きるにあたって必須なのです。
この映画では貨幣、貴金属、若さ、美貌、食料、狩猟技術、信用などを通貨として用いざるを得ない人間の悲劇を描いています。時と場合に応じてそれらの通貨をどれだけ持っているかで、社会階層のどの位置に居られるかが決まるのです。何も持たない者は自分の労働力を使って、誰かの手足となり働かなければなりません。ただし「若さ」「健康」という「資本」はあっという間に消えてしまいます。そうならないうちに何とかする必要があるのです。
資本主義社会が進むにつれてその派生物として様々な仕組みが生まれて行きました。それによって現代はより大きく格差が広がるようになっているのです。
資本主義社会は敗者に対しては無慈悲です。特に日本のように冷酷な封建主義的土壌の上に資本主義が組み込まれた世界では顕著です。
日本で社会保障は軽視されています。敗者は徹底的に搾取されます。勝者は無情です。表面上は法律がありますが上位層の人間であればルールを守る必要はありません。
重税により庶民から徴収したカネは支配層と大企業に分配されます。「補助金」や「中抜き」によって何の価値を生み出さなくてもただで利益を得る事ができます。そうして労働者として生きていくのに必要な最低限のお溢れだけを庶民に恵んでやるのです。
資本主義と封建主義のハイブリッドは強力です。さらに軍国主義を組み入れれば無敵です。創造と破壊の繰り返しです。敗者は永遠に下から這い上がる事ができません。
それにより資本主義の勝者は、半永久的に富と地位を維持できるのです。
(日本の予告編は単純な観客の為にコメディタッチの逆転劇として作品を矮小化しています)