kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

新しい考えを受け入れられない日本人

日本人は新しいものを覚えようとしない人々です。頭を使うのが嫌いなのです。それよりも、反復練習によって体に覚え込ませる方法を好みます。そのために結局は大したことを成し遂げられないのです。

 

人間の小脳はかなり複雑な事をやってのけます。夢遊病者は、意識がない状態で起き出し、日常やっているような行動をしてしまいます。クルマで出かけて事故も起こさずに家に戻ってきたという例さえあります。人間の行動の大部分は、言わばロボットのように自動的に行われているものなのです。

小脳には、複雑な仕事をこなす為の神経細胞が大脳以上に存在しています。しかしそれらは上位では互いに連結していないのです。蓮の花の中央にある花托(かたく)を写真で見たことがあるかもしれません。蜂の巣のように穴がいくつもあいています。小脳も同じようなものです。それらの活動は上位で統合されておらず、意識や自己を一切必要としないのです。それぞれが命令を受けて自動的に動くだけです。

 

日本人も小脳レベルで動いている自動機械のようなものです。単純作業は巧みにこなせます。けれども思考や決断を要する仕事を極めて苦手としています。総理大臣や航空管制官は本来日本人がやってはいけない仕事です。

今年の1月に起きた航空機事故と震災は象徴的なものでした。訓練通りに機械のように動く場面では、日本人は鮮やかに習った事を遂行できます。一方で決断力や判断が必要な場面では実に稚拙です。


もしドラ」という本が昔に流行った事があります。主人公は野球部のマネージャーです。日本では野球部のマネージャーは女子がやるものとほぼ決まっています。つまり選手より劣った存在で、片手間の雑用係とみられているのです。当たり前ですが、マネージャーやリーダーの仕事というのは専任でやらなければならない難しい仕事です。彼らの仕事いかんで組織の未来が決まり、何倍もの成果が上げられるのです。

ところが日本では、組織の長は名誉職だと思われている節があります。大した仕事がなくてどんな我儘でも通ります。周りが勝手に世話を焼いてくれますし、先回りして忖度もしてくれます。


日本人は戦略立案が苦手です。日本の海軍や陸軍の将校はエリート集団でした。海軍大学や陸軍大学というのは、成績優秀なだけでは不十分であり、人格や体力も考慮され、推薦が無ければ入れなかったのです。

しかし彼らは勝てる見込みのない戦争に突入して行き、稚拙な作成を立てては失敗を繰り返しました。原子爆弾を落とされるまで、戦争を止める事さえ出来なかったのです。

 

日本人は高度に抽象的な思考が苦手です。しかし単純な作業をこなすことはできます。繰り返される厳しい訓練に耐え、無我の境地で遂行することを得意としています。

訓練通りに職務を遂行するには、思考や自我といったものは却って邪魔になるのです。自らの意思で新しい事を覚えてしまうと、せっかく訓練した内容を阻害してしまいます。彼らは新しいものに対して本能的な恐怖を感じています。誰かに「これをやれ」と強制されない限り、遠巻きに見つめているだけです。彼らは幼い頃から厳しい躾を受け、塾に通い部活に勤しみます。自分で考える暇を与えられません。


日本人は統合された思考や自我を持っていません。だから彼らは、状況に応じて態度を変えるのです。それぞれの状況に応じて真実やルールがあり、それに従います。人格を統合されたものとして考えると、日本人は矛盾だらけです。

森鴎外のような人物でさえも西洋的な自我や個人の考え方に違和感があったようで、その事を短編「妄想」に記しています。個としての人間の本質を考えるよりも、周りの様々な要請に応じて日々淡々と仕事をすることが自然だと考えていたようです。

 

統合された思考、自分と外部との区別、過去や未来を見通す行為は、左脳が主におこなっています。これを手に入れたからこそ、人類は地球の支配者になれたのです。人間は自らの意思で脳を大きく改造できるのです。ところが日本人はこの機能が著しく劣っているのです。

日本人はサラリーマンや公務員としての日々の仕事をこなす一方で、泥酔して羽目を外します。真面目に仕事をこなすかと思えば、変態や痴漢やストーカーや強姦魔にもなります。その場その場で全く違った顔を持ちます。災害時には簡単に野獣へと変貌してしまいます。

日本人はまともなリーダーを求めていません。その代わりに強権を振るう狼藉者を求めています。それが彼らの潜在的な願望だからです。


彼らは年を経るにつれて急速に無能者と化していきます。大学受験がピークで、その後は新しいことを学習しようとしません。せいぜいが資格試験の勉強程度です。いつか職位を得て偉くなったら本能のままに振る舞うことを夢見ています。

 

彼らは思考停止状態にあり物事を追求しようとしません。「そんな事は分かっている」と悟ったような事を言います。「無我の境地」とは思考停止のことです。それが彼らの悟りなのです。


リモートワークの時に京大卒の同僚と定期的な打合せを行いました。そこで彼が提供する話題は決まったように朝の情報番組からのものでした。子供がいると仕方がないのですが、毎朝TVを点けるのが習慣となっており、そこで見聞きしたものが自動的に彼らの思考を形作っていくのです。広告代理店や番組制作者が選んだ醜い顔をしたお笑い芸人が、彼らが信奉する真理の伝道者です。


以前に鮨屋へ行った際に、70代の男性が同じく70代と思われる女性をカウンターで口説いていました。刺身をモグモグと磨り潰しているお婆さんに、大統領選やコ◯ナワクチンの話題を散りばめながら「ネットには真実があります」「テレビは信用できない」「ネットを見たほうがいい」と熱心に語りかけ、「ついでに」といった調子で住所も聞き出そうとしていました。

彼らは思考停止状態にあるので、TVの洗脳から解けても、今度は別のものを無批判に信じ込んでしまうのです。


日本人の自負とは異なり、日本は今まで大した事を全く成し遂げていません。

真珠湾の奇襲攻撃は、素知らぬ顔で和平交渉を続けて宣戦布告をギリギリまで遅らせることで得た成功でした。朝鮮出兵豊臣秀吉の妄想から生まれた狂気です。日本が大陸の支配者になってどうしようと言うのでしょうか。東アジアの自由な交易を実現するため? 日本人はチンギス・ハーンにはなれません。功を挙げた者に新しい土地を与えるため? バカバカしい限りです。朝鮮も明も、まさか後先を考えずに日本人が総力をあげて攻め込んで来るとは夢にも思っていなかったはずです。

明治維新は、農業国をむりやり工業国に変える為の革命でした。本質は何も変わっていません。江戸時代は厳格な階級制度を前提として、農民を搾取することで成り立っていた社会です。それが工場労働者を搾取する社会に変わっただけです。

 

太平洋戦争に負けて、しばらくの間はそういった社会構造を維持する力が弱まりました。しかし現在、再びもとに戻ろうとしています。

日本人には、自我や主義や思考力がありません。無条件で新しいものを受け入れてしまう傾向や、勝つためには自分たちの命さえ顧みない傾向、これらが有利に働くことがあるというだけです。


本来ならば新しい考えを受け入れるというのは、自らの血を流すような行為です。つまり今まで作り上げてきた人格をいったん解体して再び統合する過程が必要です。矛盾を受け入れるための葛藤があり、人格統合には時間がかかります。

ところが日本人は獣に近い存在なので、浅く表面的なものだけを見境なく受け入れてしまうのです。けれども結局は表面的なものでしかないので、いつか底の浅さが露呈します。その頃には、新しいものを統合して我が身とした他国に負けることになるのです。

 

日本人が「普通」としているものが如何に異常であるか。この事に気づかなければなりません。日本においては「普通」になるのが一番難しいのです。

そうであるならば、わざわざ茨の道を歩む必要はありません。異端となることで、他の日本人から易々と抜きん出ることができるのです。

ちくま日本文学017 森鷗外 (ちくま文庫)

意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論

WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方

もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら