kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本的演繹法

日本人は独特の思考方法を持っています。これを仮に「日本的演繹法」と呼びます。念の為に言っておくと、演繹(deduction)とは、一般的な法則から結論を導き出す方法です。一方、帰納(induction)とは、事実から一般的な法則を導き出す方法です。

 

彼らの考えは、例えば「日本は神の国だ」という唐突な前提から始まります。なぜそう言えるのかという説明もなしに、そこから話が展開し「だからこうあるべきだ」という結論に至ります。(もちろん、絶対確実な前提から話を始めるというのは不可能ですが)

彼らが考えを進めるにあたって、拠り所にする思想体系や古典もありません。「日本人なら分かるだろう?」という奇妙な前提があるだけです。その意見に賛同しなければ「反日だ!」と叫び始めます。

 

もっと身近な例で言えば、職場では「デジタルトランスフォーメーションが必要だ」という話がポンと出てきます。言い出した本人に「なぜDXなのか?」と訊いても答えられません。「偉い人が言っている」とか「本に書いてあったから」とか、そんな理由で所与のものとなっているだけなのです。

 

彼らは経験や学習した内容から、真理や一般法則を導き出すのではありません。誰かから前提を与えられて、そこからやっと思考が始まるのです。それを疑ってみる事も出来ません。生まれてからこの方、自分の頭で考えて来なかったのだから仕方がありません。スローガンを言い出した本人も、さっぱり分かっていないのですから、そこから演繹しようとしても見当違いの具体策が出てくるだけです。

 

通常の人間は、具体から抽象的な一般法則へ、そして再び具体へと考えを進めていきます。ところが彼らは「お題」を与えらえてから初めて考えるのです。さらには、その「お題」自体がしばしば間違っています。だから彼らは戦略をいつも間違えるのです。

 

抽象的な「お題」から考えるにしても、想像力があるのであれば未だマシです。しかしながら、彼らは具体的なもの、例えば人の心というものに考えが及びません。意味のない規則を次々に作り出しては人々を苦しめています。そのような事態になっても、そこから問題を見つけたり、学んだりする事ができないのです。 

日本人は他人を苦しませる為に必死で努力する人たちです。結果的にそうなっています。彼らはこの世に地獄を作り出すことに汲汲(きゅうきゅう)としています。

 

彼らは幼少期の歪んだ教育により、すっかり共感力を失っています。「共感力」というと、単に「他人への同情」と考えてしまう人もいるかもしれません。しかしこれは現実の世界と向き合い、そこからエッセンスを掴みだすのに必須の能力なのです。

 

共感力が無いままに、「お題」から問題解決を試みる訓練を人々は受けています。単に記号を操作するだけの思考しか出来ないので、彼らの考えは常に空しく、宙に浮いています。

しかもその記号は、具象とはかけ離れています。「桜」と言いながら実際の桜を思い浮かべて居ないようなものです。「桜」や「雲雀」といった具体名詞なら未だ話が通じますが、抽象概念を使いだすと混乱が生まれます。

「花」という言葉を使いながら、頭の中に抽象化された花のイメージが無いようなものです。頭の中には言葉しかないのです。これでは出来の悪いAIと同じです。

意味するものと、意味されるものとの連結が上手く行っていません。右脳と左脳の連携がうまくとれていないのかもしれません。

 

日本人は情緒的な国民だと思われています。日本人は言語を扱ったり音声を処理するのは苦手です。そのために非論理的な情緒的反応を示すのかもしれません。だからと言って、決して共感力に優れているわけではないのです。

反対に、日本的教育によく順応してしまった者は、あまりにも情緒や想像力に欠ける人間であったりします。

日本には思考力と共感力のバランスが悪い人間が多いのです。しかもどちらかの能力が特に優れている訳ではありません。Aクラス、Bクラスの人間は僅かであり、C、Dクラスで、さらにバランスの欠けた人間がよく見られます。 

子供の時の虐待によって、脳梁を含む様々な脳の部位が委縮してしまう事が分かってきています。彼らが生まれつき劣っているというよりは環境的な要因が大きいのでしょう。

 

文字と意味されるモノとの結びつきが無いために悲劇が起こります。日本人は記録の大切さを理解していません。改ざんや捏造も平気です。彼らにとっての文字は、インクのシミや、モニターのドットに過ぎないのです。その向こうにある意味を理解しようとしません。

その昔に漢字を教えられても、あるいは西洋化しても、彼らが本質を理解する事は決して無かったのです。

 

明治維新以降に様々なスローガンが唱えられましたが、民衆はその意味をほとんど理解していませんでした。「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」という程度の理解だったのです。

まさか、満足な食事も摂れず子供を奪われ工場で扱き使われ、社会保障もなく、戦争で多くの人々が死んでいく未来が待っているとは想像もつかなかったでしょう。

 

現代でも多くの人々は、仕事に追われ心の余裕がありません。図書館や美術館は貧弱です。それでも本や経験から学び、文明退化の音を聞き分けるようになるべきなのです。

エマニュエル・トッドの思考地図