kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

異常者しか生き残れない日本社会

日本は異常な国です。そんな中で生き残れるのは異常者しかありません。弱者にとっては過酷な社会です。弱者が徹底的に虐げられる場所だからです。しかしそんな弱者であっても、生き残る為にさまざまな工夫をしているのです。

 

誰かが書いたこんなブログ記事が少し前に話題になりました。社内でのパワハラ被害者である新人を、中堅社員である書き手が守ってその面倒を見たところ、結果として大変な目に遭ってしまったという内容です。

その新人は、マメにいろいろな事を訊いてくるのだそうです。しかしそのうちに彼が何度も同じことを訊いてくる事に気が付きました。しかも嫌がらせのように、外出する5分前に質問をしてくるのだそうです。

それでいて仕事は何時まで経っても覚えず、成果も上げられません。言い訳はするのですが、そこに巧みにウソが織り込まれています。怒りたいのですが、そうすると今度は自分がパワハラの加害者として通報されかねません。書き手は窮地に追い込まれます。

 

この新人は、両親に精神的虐待を受けて育ったと思われます。しかし幼児にとっては絶対的権力者である親に、逆らうことはできません。だから、自分を抑圧して内に籠もる代わりに、そんな状況であっても、積極的に親に関わろうとします。

けれども、その方法が歪(いびつ)なのです。問いかけをしながらも、相手を困らせようとするのです。表面的には権力者に従順ですが、それとなく反抗します。これを無意識のうちに行っているのです。

また、親の期待通りに成果を上げてしまうと、それは親に勝ちを譲ってしまうことになります。そのために、わざと期待以下の成績しか残しません。責められれば、あれこれと言い訳を繰り返します。つまり表面的には被害者であるという体(てい)を保ちながら、社会に復讐しているのです。

 

本人は、まさか自分がそんな事を意図しているとは夢にも思っていないはずです。人間というのは、感情を抑圧しても無意識はいつの間にか解決方法を探り、奇怪な方法で自分を満足させようとするのです。意識はそれに対してもっともらしい説明をつけて、「自分は正常である」と自身を納得させるのです。

 

このような人々は、被害妄想、演技性人格障害などが複雑に入り混じったような「モンスター」です。もし彼が人生の何処かで、自身でそれに気付くことがあれば、劇的に治る場合もあるでしょう。

しかしこの手の人は、誰かに言われても、それに納得して自分を変えることは絶対にありません。彼らが結婚して子供をもうければ、今度は彼ら自身が加害者となります。

 

実はこのタイプの人間は日本人に多いのです。これほど極端ではありませんが、私もこういったタイプの新人に関わったことがあります。命令には素直に従い、周りに同調して同じ答えを返します。それでいて心は冷めており決して本心から納得はしていません。表面的にしか理解していないので良くミスが発生します。その点を指摘すると巧みに本当と嘘をないまぜにした言い訳を繰り返します。そうしなければ社会的に生き残れなかったのです。

 

被害者を装う日本人は多くいます。というより「本当に被害を受けているのだ」という妄想を信じ込んでいます。彼らにとって、自分の意にそわない他人は全て敵です。

その反面で、彼らは生活保護を受けているような弱者や老人を忌み嫌います。彼らは、被害者であると同時に加害者でもあるのです。彼らは精神的虐待を受けたという自覚がありません。

その代わりに、自分を同時に「強者である」と信じ込もうとして、虚しい努力を重ねています。社会保障を享受しているような人間は「甘えている」のであり「税金をかすめ取ろうとするとんでもない奴だ」と考えています。彼らの内面は実に病的です。

 

日本では弱者は生きていけません。日本では、弱者になった途端に誰からも虐げられ、それでいて文句も言えない存在へと成り下がるのです。被災地域の人々を見てみてください。弱者として、しおらしくしている限りは「存在しない人間」として扱ってくれます。しかしちょっとでも人権を主張するような事があれば、徹底的に叩かれるのです。つまり「つけあがるな」ということです。

しかし自分が年老いたり障害を負ったり世間様に顔向けができなくなったりして弱者となった時には、彼ら自身が日本人によって痛めつけられるのです。それが苦痛でその前に自殺してしまう人さえいます。

 

日本人にとっては、自身が弱者であっても、ギリギリまでそれを認めるわけには行かないのです。同じ弱者を守るどころか、弱者を虐めることで自分の心の均衡を保っているからです。弱者がいきがって強者のフリをし、自分より下の弱者を虐めるという構図です。

日本人のほとんどが差別主義者であるゆえんです。すべてを自分より「上か下か」で判断します。外人、在外邦人、障害者、同性愛者、貧乏人、低学歴や田舎者、女性・老人・子供は、自分より下でなければ困るのです。

 

その一方で彼らは、隙あらば「誰かに寄生しよう」と考えています。寄生しながらも相手を強く憎んでいます。「早く死んでしまえ」とさえ思っています。強いものに媚びながらも、狡猾に盗んだりサボったり誤魔化したり裏で悪口を言ったりするのです。彼らこそが、忌み嫌っている弱者そのものであり寄生虫なのです。

 

日本人の多くは、治療が必要な精神病質者です。親から子供へと受け継がれる異常な教育方法を変えない限り、日本人は変わりません。差別が前提となっている息が詰まるような序列社会も原因のひとつです。遺伝的にもなんらかの異常があるのかもしれません。

 

日本人のまずい点は「社会や自分達がいかに異常であるか」を自覚していないところにあります。まずはそこに気付くことから始めなければなりません。先に述べたように、自分で気づかない限り、絶対に自分を変えられないのです。

みずから本を読み、学習し向上しようという意思がなければ、日本人はいつまで経っても異常者のままなのです。

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