kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

政治における理想と現実 −政治意識が未熟な日本人−

日本にはデモクラシーが根付いていません。形ばかりの議会制民主主義があるだけです。彼らは表面を真似るだけで、本質を理解することは無かったのです。

 

多くの日本人は政治に無関心です。いわば参政権を放棄している状態です。それは権力の集中を容易とし、より独裁的な政権の到来をも許すことになります。政治に関わらないことで、却って政治に影響を及ぼしています。日本人には政治に関わっているという意識が希薄なのです。

 

人民による支配を実現するために、様々な仕組みが考案されてきました。法による支配や議会制度は手段に過ぎません。目的が実現されているかどうかが大切です。

民意が反映されず、人民の支配(デモクラティア)に結びついていない事が分かった時点で、その国の民主主義は偽物だと判断することができます。

少数派を黙らせることが、日本人の言う「民主主義」となっています。全員一致や、多数決は、デモクラシーではありません。多様性を認めた上で政策を決めるべきです。空気を読んで黙従するというのは、デモクラシーからもっとも遠い社会です。

 

議員は本当に人民の代表者となっているでしょうか。代表者として相応しい理性的な人間でしょうか。法律は人民の意思を反映しているでしょうか。司法は独立しているでしょうか。国民は守られているでしょうか。メディアは政治を監視する役目を果たしているでしょうか。こういった事を常に問い続ける姿勢が大切です。

 

国会議員は民の代表者であるだけでなく、究極の理性的人間に近い存在でなければなりません。最も優秀な人間が政治家になるべきなのです。

汎用的な能力の高さを示すIQが高いだけではありません。物事によく通じ、成熟した人格でなければいけません。

彼は、自分の立ち位置を明確に表明する必要があります。何を目指しているのか分からない政治家など信用できる訳が無いからです。もちろん、その行動には一貫性がなくてはなりません。

 

政治家に求められる考え方には、どんなものがあるでしょうか。政治には、何よりバランス感覚が必要です。片目で理想を見つめながらも、あくまで現実に沿った解決方法を探らなければなりません。プロセスはあまり重要ではありません。やり方が善である必要もありません。結果が全てです。その代わりに結果を残せなかった政治家は容赦なくその座を奪われなければなりません。

特定の思想や考え、イデオロギーが強すぎる人間は、政治家としては不向きと言えるでしょう。方向性を表明するという点で、ある程度は必要ですが、日々の決定や行動においては、あくまで現実主義者でなければならないのです。

政治家を評価するときには、何を言ったかで判断してはなりません。行動で判断すべきです。メディアは、これらを正確に国民に伝える役割を負っています。

 

政治家は未来を見据えていなければなりません。可能性を見極めて布石を打っていくのが政治家の仕事です。

その想像力は緻密なものでなければなりません。ちょっとした予算の違い、通した法案によって、国の未来が大きく変わってくるからです。それは20年後、30年後の事かもしれません。

日本はまだまだ成熟には程遠い状態です。日本にはろくなインフラがありません。下水道やガス、電気のような生活基盤が満足に整備されていないのです。しかも高額です。国が貧しくなると、途端に生活水準が大きく下がってしまいます。やるべきことが残っています。

 

こういった理想的な政治を実現するには、自由主義者の存在が欠かせません。政治の中心に寄り過ぎず、それでいてアウトサイダーではない者です。外部から多様な考えを取り入れながらも、中心を見据えている存在です。

従来、それはメディアの役割でした。メディアが提灯持ちとなってしまった今日では、それとは別に権力の監視役が必要となります。健全な世論が必要です。

 

表現の自由はできるだけ尊重されなければいけません。「明白かつ現在の危険」がない限りです。表現の自由を奪うというのは、人類の未来を奪うという事です。全ての人間は誤りを犯します。ですから、批判は許されるべきであり、真摯に耳を傾けるべきなのです。失敗を認めないところに進歩はありません。

 

保守と革新の2つの政党があり、双方の論争により新たな「真理」に達します。それが政策として実行に移され、結果によって検証されるのです。これが理想です。真理は、どちらか片方にしか存在しないという、一面的なものではありません。

国家や法律、社会システムは人間が作り上げたフィクションです。全ては仮説に過ぎません。その正当性は、常に検証され続ける必要があるのです。

 

悪魔のやからはそのさが悪なれど、善を忘れず。右のまなこは「いんへるの」の無間むげんの暗を見るとも云えど、左の眼は今もなお、「はらいそ」の光をうるわしと、常に天上を眺むるなり。

芥川龍之介『るしへる』

国家 下 (岩波文庫)

自由論

丸山眞男セレクション (平凡社ライブラリー)

表現の自由 (1972年) (UP選書)

法哲学

失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織

ビジネスの未来 エコノミーにヒューマニティを取り戻す

芥川龍之介全集〈2〉 (ちくま文庫)

るしへる