kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

シンプルに考えられず物事を複雑にする日本人

日本人は物事をシンプルに考えられません。世界を抽象化したり概念化したりすることができないのです。彼らが作るものは混沌としています。彼らの社会は矛盾と対立を生み、やがて崩壊を余儀なくされるのです。

 

物理世界は、秩序だったものから混乱へと進んでいきます。生物というシステムだけがこの動きに逆らい、自分を含めて身の回りの環境を秩序だったものにしようと行動するのです。

人間は本能的にシンプルなものを好みます。それが生存に役立つからです。単純な直線や曲線を好みます。完全な円は存在しませんが、人間の神経細胞は、それに近いものを見出して反応するようにできています。理想は人間の頭の中にだけあるのです。理想を描けるのは人間だけです。完全な社会や完全な人格を思い描き、それに向かって努力することができるのです。

 

生物は本能的に身の回りを整理し、社会を秩序だったものに改善していく傾向があります。けれども、個人単位では最適なものに見えても、全体ではそうでないことがあります。だから人間は常に全体を見据えて、最適化を試みなければなりません。シンプルなもので済むならば、できるだけそのままに留めて置くほうが賢明です。多すぎる情報はノイズと同じです。

 

ところが、これが出来ないのが日本人なのです。彼らの視野は極めて狭く、自分のことしか見えていません。せいぜい村レベルが限界です。

付け足し、付け足しで、物事を複雑にしていくのは、どんな馬鹿にでもできます。けれども複雑になりすぎないように、本質を見抜いて単純化するのは誰にでもできることではありません。自律的に思考する者だけが可能なことです。

外国の家電製品は、操作が実に簡単です。直感的に操作が可能で、マニュアルは要りません。その代わりに不要なものはバッサリと切り捨てています。これと比べて日本のケータイや家電はどうだったでしょうか。ボタンがやたらと多く、分厚いマニュアルがついていました。

こういった所に、頭の程度が現れます。人が考える時には、拡散的に考えてから、収束させます。これが自分で出来ないといけません。こういった人が、少なくとも組織に一人でも居れば十分です。しかし、検討から決定までの一連の流れを集団でやろうとするのが日本人なのです。関係者全ての人達の意見を斟酌するので、余計な機能ばかりがついた製品が出来上がってしまうのです。

 

全体を見据えて最適化を行うにはどうしたら良いのでしょうか。結局は、「他人のことを考える」という想像力の問題になります。もとより人間は自己中心的な生き物です。他人のことを考えるのは難しいのです。家族や隣人だけではなく、共同体や国といったレベルになったりすると、さらに難しくなります。個々の人々や集団に合わせて何かしようとすると、必ず何処かで矛盾が発生します。だから、絶対的な法則といったものが必要となるのです。「万人が受け入れることを承知した原則がある」と仮定して、行動するしかないのです。

 

日本人は、どうしても、お隣のAさん、Bさんといったムラ社会レベルで便宜を図ろうとするので、腐敗が発生します。個人にとっては最適であっても、国全体では害悪となります。

彼らは秩序を作ることができませんが、ルールを作ることはできます。「俺様に従え」というルールです。村ごとに、このようなルールが存在します。グループの成員は、長老に対して無条件に従います。リーダーが有能な人物なら、そういった集団でも上手くいくことがあるでしょう。しかしそんな事は滅多にないのです。

日本人は、ある時にはムラ社会Aの法則に従い、別の場合には、ムラ社会Bの掟に従います。日本人は混沌とした状態をそのまま押し頂き、その時々の状況に応じて世の中を渡り歩いていきます。それは大変難しいことです。だから日本人は、自分のムラを出たがりません。

 

そんな日本人にも、やがて我慢ができなくなる時がやってきます。すると、日本人は突然、破滅へと方針を転換するのです。自らが作ったがんじがらめの世界を破壊しようとするのです。そうして、また最初から秩序を作り直していくのです。日本人は保守的で静かな人々のように見えますが、実際は破壊と創造を繰り返してきたのです。

西洋社会のように永続的に改善を繰り返していく社会は作れませんでしたが、「作っては壊す」は得意なのです。

 

明治維新以降、日本人が新しい秩序を作ると、40〜50年程度は発展し続けていくことができたようです。維新から大正デモクラシーくらいまでは、日本は発展していくことができました。また、戦後の混乱期から始めても、バブル期辺りまでは発展し続けることができました。

日本が変わるためには破壊が必要です。バブルが終わってからの30年間は、ひたすら衰退を続けてきています。新しい秩序が出来上がると、謙虚に外の文化を受け入れる時期がしばらく続きます。そうして次は内向きとなり、国粋主義的な考えが広まります。閉塞感が高まり、最後は破壊が起こるのです。そこからまた新しい秩序が生まれます。

資本家は「戦争が起こってくれれば、ドカッと儲かるんだがな」と言います。「戦争が起きれば国の借金をチャラにできるのに」と役人は呟きます。「俺たちを支持しない連中が住む街に、ミサ○ルを落としてくれると有り難い。奴らも思い知るだろう」と政治家は言い放ちます。

 

破壊や混乱は物理世界の理(ことわり)です。いっぽうで、創造や秩序は人間に属するものです。けれども、人間の心にも破壊を待ち望む気持ちがあります。創造と比べると破壊は一瞬です。そこに一種の快感があります。オッペンハイマーも「我は死なり。世界の破壊者なり」と複雑な表情で語っています。

 

善悪はコインの両面です。神と悪魔が表裏一体なのと同じです。何が正しいか。何が悪いのか。それを明確に分かった上で、あえて選択しなければなりません。とはいえ、少なくとも「異次元の」無能さを備えた人間に許されることではありません。

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