日本人は高い視点でものを見ることができません。細かい所には目がいきますが、肝心な部分をおろそかにしてしまいます。それが限界となって日本の窮乏を招いているのです。
日本企業がジェット旅客機を作ろうとして失敗したのは記憶に新しいところです。型式証明がとれなかったのです。10数年にも渡ってです。大学受験で続けざまに失敗しているようなものです。ところが日本人のなかには、これを外国人による嫌がらせや陰謀だと思っていた人もいるようです。
それは違います。一言でいえば、日本人は飛行機というものが良く分かっていなかったのです。機体設計の専門家やエンジン設計の専門家はいても、飛行機そのものの専門家はいなかったのです。
型式証明を取るためのガイドや参考書があれば、日本人もそれに沿って努力をすることができたでしょう。けれどもそのようなアンチョコはありませんでした。さらに日本人には「旅客機の安全性はこうあるべきだ」という理念も無かったのです。
ボーイングなどに勤めていた外国の社員を雇入れましたが、それも効果がありませんでした。日本人は彼らに対して聞く耳を持たなかったのです。単に型式証明を取るためのコネ作りとしか思っていませんでした。
日本の製造業者には品質管理部門があります。そこを通らなければ、提案をしたり製品を世に出したりすることができません。しかしこれも「前例に倣って、それっぽいデータや書類を用意すれば突破できるものだ」と日本人は考えてしまうのです。酷い場合には、部長や経営層が圧力をかけることで簡単に許可が降りてしまう場合もあります。消費者を守り、自社の信用を保つためにそういった検査部門ができたのに、日本人はそれを忘れてしまうのです。
日本人の耳には「コンプライアンス」という言葉は虚ろに響きます。「とりあえず表面的なルールさえ守っていれば良い」というのが日本人の考え方です。
そもそも日本の刑法の多くが、出来るだけ多くの国民を罪人にすることを目的としています。代表的なものが道路交通法における速度違反です。日本人全体に大きく網をかけておいて、公務員の裁量で自由に有罪としたり無罪としたりすることが出来るようにしているのです。日本は一見法治国家ですが、為政者の胸先三寸によって自由にルールを曲げられる人治国家です。
これは為政者だけではなく、日本人の骨身に染み付いている考えなのです。SNS界隈でもおかしなローカルルールがあります。参加者はそれを守ることを強制されます。誰でも罪を犯してしまうようなルールを作り、「統治体」への忠誠を誓わせるのです。メンバを萎縮させどんな命令にも従うようにマインドコントロールを行います。日本というのは国自体がカルトであると同時に、内部にも沢山のカルト集団を抱えているのです。
それに対して、多くの日本人は思考停止に陥ります。その方が楽だからです。あるいは、表面上は大人しく従うフリをしながら、陰で悪口を言っています。その不満のはけ口はより弱い者へと向うのです。彼らの性格は陰険で行動は卑劣です。「人間はこうあるべき」「国家はこうあるべき」「サークルはこうあるべき」という理念はまったくありません。
その代わりに上述のローカルルールがあります。日本人は「上か下か」で動きます。新しい集団ができると、新しく参加する人々を縛り付けるための規則を考え出します。それを使って参加者を未来永劫に下の地位に留めおこうとしているのです。また新たに参加した人々も、同じように謎のルールを作って、新人をコントロールしようとするのです。完璧に守ることの出来ない規則を作り、いつでも気に入らない人間を排斥できるようにするのです。これが日本人です。
ルールに従わないものは自動的に「敵」となります。日本人は「敵か味方か」の二分法で動きます。彼らは頭を動かすのが苦手なので、このような「上か下か」「敵か味方か」という単純な考えをするのです。それを見極めるリトマス試験紙が、網の目のように張り巡らされた「ルール」なのです。
日本人はどこでも集団を作り、成員を束縛する「掟」を作ります。外国に行ってもそうです。在留邦人のグループともなると、カルトどころか「精神異常者」の集まりです。
彼らには大局観だけではなく、自分というものもありません。「イギリスはかしこい」という本にこんな話が載っています。著者が日本人のグループとイギリス現地で食後のデザートを楽しんでいた時の話です。ある編集者が執拗に「あ〜甘い(イギリスの食事は不味い)」と言い続けるのだそうです。そのお菓子は甘くは無いのにです。
彼女には「イギリスの食べ物は最低」という先入観があり、何も考えずにそれに沿った発言をした訳です。誰かの悪口を言うことで、皆が賛同して場が盛り上がるだろうと考えたのです。つまり彼女はその場の「空気」を支配したかったのです。とはいえ、いくら日本語だからといって直ぐ隣にいるであろう外国の人々の悪口を言っていい訳がありません。悪意は伝わります。このように、日本人は心が捻じ曲がっています。
日本が円高になった時に街角のテレビ取材でこんな発言をしていた人がいました。「円高になると日本経済に悪影響を及ぼすから云々」といった感じです。彼女もニュースや新聞で見たり読んだりした話をそのまま喋っているだけなのです。
コ◯ナが収束したということになり、マスクの着用は任意となった時のことです。日本人は空気を読んでマスクを完全に外してしまいます。大手町や丸の内といったビジネス街においてもです。1日過ぎただけで、マスクをしている方が異常となってしまうのです。日本人にとって「本来何のためにマスクをしていたのか」という真の目的はどうでも良かったのです。
事程左様に日本人というのは、自分で考えることができないのです。彼らはどこかに正解が転がっていると思っています。「偉い人」の言うことを鵜呑みにしています。しかしその偉い人だって、日本全体の空気を読んで発言をしているだけなのです。頭の中で個人も全体もないのだから、大局観など生まれようがありません。
彼らの頭の中は曖昧模糊としており、物事の境がはっきりしていません。本来は言葉が概念を区切る役割をしているのですが、日本人は言葉を使うのを大の苦手としています。自分と日本、世界というものがぼんやりと繋がっています。彼らが乏しい思考力を使ってやっと辿り着いた抽象的概念が「日本」だったのです。だから「誰かが日本の悪口を言っている」と感じるや否や、全世界が瓦解するようなショックを受けて過剰反応してしまうのです。
日本の文化や人を紹介するときによく使われる言葉があります。「オブセッション」です。何かに憑かれたようにひとつの物事に熱中し、その道を極めるといった意味で使われています。もともとオブセッションは、強迫観念や妄想といったネガティブな意味を持つ言葉です。
日本人は細かいところに目が行き、あれこれ弄ることに夢中になってしまうのです。誰かが「もういいから」と言って止めるまで続くのです。日本人は容易に本来の目的を忘れてしまいます。目的などどうでも良いのです。何かに憑かれて没頭できればいいのです。全てを投げ出してです。そうして人生を無駄にしてしまうのです。それがあらゆる所で奨励されています。これほどカルト宗教と相性の良い人々はいません。自分の幸せはもちろん「他人や世界もどうでも良い」となってしまうのです。
日本の中枢がカルト教団に乗っ取られたのも「むべなるかな」です。日本人は、上位の存在のために無条件で忠誠を誓い尽力する、動物的な習性を持っています。「何のためにやっているか」という考えは皆無です。
健康な人間は抽象的な理念を持ち、それに基づいて行動します。日本人はただ「偉い人」に従うだけです。行動に一貫性がありません。骨の髄まで「奉仕活動」が好きな人達です。これほど奴隷に相応しい国民はありません。
今日も日本人は気前よく世界にお金をばら撒いています。自分たちが困窮の極みに陥っても喜色満面の不気味な笑みを浮かべています。宗主国や教団が褒めてくれるからです。それでいて、下に見ている隣人に対しては罵詈雑言を並べ立てています。しかし本当は、日本人こそが永遠に世界へ奉仕し続ける最底辺の奴隷なのです。
日本人ハウスキーパーが見た階級社会の素顔 イギリス人はおかしい (文春文庫)