kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

セルジオ・レオーネ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカOnce Upon a Time in America)」セルジオ・レオーネ監督の代表作です。また作曲家のエンニオ・モリコーネもこの作品で英国アカデミー賞を受賞しています。

 

初めてこの映画の短縮版を観た際には「薄汚いギャング映画」という感想でした。しかし今見ると大分印象が違います。後悔と贖罪がテーマとなった悲しく哀れな物語です。それも崇高なものではなくて身近な人間に対する友情と愛に関わるものです。我々も良く感じるような「ああすれば良かった」「こうすべきだった」というちょっとした判断の誤りがその後の人生を大きく左右してしまい後悔するという話です。

 

映画は主人公がヒットマンに追われる場面と過去の回想、そして逃亡を経ての40年後の物語という3つに大きく分かれています。「40年後は主人公ヌードルスの夢ではないか」という説がありますが、これはその通りだと思われます。

短縮版の場合は制作会社によって時系列に編集されていますが、監督の手による完全版では異なります。時系列が複雑に入り組んでいます。

主人公が心ならずも仲間を裏切った後に自暴自棄となりアヘン窟で横になっている所にヒットマンがやってきます。運よく彼らから逃亡し身を隠してから過去の回想となり次に未来へと話は飛びます。その後に再びアヘン窟のシーンに戻るのです。この編集の意図は明らかです。ヒットマンから主人公が逃れる場面からが夢なのです。

 

ロバート・デ・ニーロ演じるヌードルスは貧しい移民の子でした。子供時代に東欧系移民の子であるマックスと知り合います。彼らはギャングとなり禁酒法時代に大儲けします。

しかしやがて禁酒法が解かれて時代が変わり思うように稼げなくなりました。アイルランド系の政治家にも接近しますが上手くいきません。マックス達は一発逆転のために連邦準備銀行襲撃計画を立てます。ヌードルスは無謀な計画を止めさせようとして当局に通報しますが結果として仲間全員が射殺される事になりました。

マフィアにより恋人も殺され幼馴染のユダヤ人も瀕死の状態となります。子供の頃から憧れていたユダヤ系の美しい女性デボラ(少女時代をジェニファー・コネリーが演じています)に対しては、プロポーズを断られた腹いせに帰りのクルマで彼女を強姦してボロ雑巾のように捨て去っていました。ヒットマンに追われる中で全てに絶望したヌードルスはアヘン窟へと逃げ込むのです。

 

そこから映画は未来へと移ります。1960年代です。過去の回想も入り交じります。BGMとしてビートルズの「Yesterday」が流れています。過去を慕う歌詞を持つ音楽です。死んだと思っていたヌードルスの友マックスは生きていました。億万長者の仲間入りをして政界にも大きな影響力を持っていました。「自分は仲間を売った」と思っていましたが実はそうではなかった事を知ります。デボラは有名女優となり成功していました。

そんな彼らを許してヌードルスは静かに立ち去ります。主人公にとって都合の良い甘くロマンティックなストーリーへと真実が改変されているのです。

 

友や仲間、かつての恋人に許しを請わなければならなかったヌードルスが、逆に彼らから許しを請われるのです。そのような頭の中で作り上げた物語に浸りながらヌードルスは朦朧とした意識の中で微笑むのです。

 

全てに失敗した男が、過去を悔やみマイノリティーが成功する物語を夢見て死んでいく。「ワンス・アポン・ア・タイム」というタイトルが付いているのにも、そういった意味があるのです。


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ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

モリコーネ 映画が恋した音楽家(字幕版)