kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

階層的な思考が苦手な日本人

言葉は階層的な構造を持っています。ところが日本人は、こういった階層構造を捉えるのが苦手です。それが彼らの思考力の限界となっているのです。

 

日本人が、英語の学習でつまづくのが完了形です。「〜という経験を有している」「過去に〜という経験を有していた」といった文章です。文字通り、have(持つ)という単語が使われているのだから、素直にそう理解すれば良いのです。ところが内容が階層化され、抽象の度合いが高まるにつれて、日本人の理解は困難になります。

 

プログラミング言語のひとつに、C言語というのがあります。この言語では、アドレスを直接指定して、記憶領域の内容を書き換えることのできる便利な関数があります。さらに、そういったアドレスを指し示すポインタを格納するエリアを示すポインタ…といったように、変数をどんどん入れ子にすることができます。

また、ある関数を定める際に、その中でまた自分自身を呼び出すという、再帰呼出しも簡単にできます。例えば、自然言語構文解析を何層にもわたって実行するといった複雑なことを、シンプルな記述で実現できます。

ところが、やはりこの部分で躓いてしまう初心者が少なからず居るのです。マトリョーシカのように階層的な入れ子になってしまうと、彼らの理解を超えてしまうのです。

 

階層構造について語る前に、言葉がどのように発達してきたかを少し考えてみましょう。

1)まずはひとつひとつの単語を並べていくやり方です。

「日本人、鯨、食べる」「日本人、食べる、」「食べる、日本人」といったように、順番は関係なく、ただ単語を並べただけの状態です。

 

2)次は、規則に従い単語を並べるやり方です。

日本人、食べる」といったように、主語+目的語+動詞といった順番に並べるというものです。言葉は、ここで初めて直線的な構造をもちます。

 

3)その次には、時系列的な考えが言葉に取り入れられます。

「日本人、鯨、食べた」「日本人、鯨、食べていた」といった文です。これにより、過去の過ぎ去った出来事を思い浮かべて、それらを時系列で捉えることができるようになります。

 

4)最後に言葉は、階層や再帰的な構造を含むようになります。

「日本人は鯨を食べていたと外人が言ったと彼は述べた」といった文章です。対話をしている相手だけでなく、第三者も含めて入れ子になった構造を、階層化した言葉で表現することができます。

 

5)以上に加えて話し言葉になると、イントネーションやジェスチャーがあり、話のなかで、何が大事なのかを強調することができます。これにより、さらに豊かなコミュニケーションが可能となるのです。

 

こうしてみると日本語は、上に挙げた3番目以降が実に心もとないのです。

言葉は、より複雑な事柄を伝えられるように次々と改良されていきました。その一方で、何が一番重要なのかを強調し順序立てる手段も同時に発達したのです。

日本語でも複雑な文章を作ることはできますが、一番大事なことを後回しにしてしまうので、内容が分かり難くなるのです。例えば、結論を後回しにするといった点です。

 

例文を挙げると、「日本人が鯨を食べていたかどうかということを指し示す直接的証拠が揃っているかどうかという事を明確にできる可能性が今後ないとは言えなくもないとは限らない」といったように、文末に言葉を続けて、いくらでも主張を反転させることができます。いわば卑怯者の言語です。その場の体面を保ち、相手を誤魔化すために言葉を使うのが、日本人の特徴です。

 

普通、会話の内容はトピックとコメントに分けられます。事実と意見です。ところが日本人は、コメントが抜けていたり、トピックなのかコメントなのか分からないような話し方をします。「我々日本人は〜」などといって、意見を事実であるかのように喋るのです。

質問になるとさらに酷くなります。事実と意見と、質問がごっちゃになって、何を訊こうとしているのか、さっぱり分からないという事があるのです。

話を聞く側も、事実と意見と感情(敵意)を、容易に混同してしまいます。感情的な対立を避けるために、日本人は意見を隠し、事実を捻じ曲げることさえあります。

 

また日本人は、上の者に何か言われても、それが事実なのか命令なのかを、特に気にしていないようです。「とりあえず言う通りにやってりゃいいんだろ」という訳です。偉い先生や御用学者・有識者の言うことを鵜呑みにしてしまうのです。

「真理の追求」や「正しさの追求」という言葉ほど、日本人にとって縁遠い言葉はないでしょう。

 

こうした致命的な欠陥がありながらも、日本は永らく先進国のような顔をしていたのだから大したものです。日本は、組織としては巨大で複雑なように見えますが、個人は大して頭を使っていません。身の回りの上下関係だけ意識して、コミュニケーションをとっているだけなのです。頭を使わない働きアリでも、巨大な蟻塚を作れるのに似ています。

 

コミュニケーションというのは、個々人の間だけではありません。社会全体として、次世代に知識や知恵を伝えていくことが大切なのです。その伝達手段であり媒介となるのが「文化」なのです。文化とは、何も古びた遺跡や伝統のことではありません。

 

近代文明が急激に発展したのは、たかだか数千年のことです。ギリシャ人やローマ人の遺産を再発見し、大切に伝えてくれた人々が居たからこそ、今の文明があるのです。

彼らは、後世に、知識や知恵を伝達する術を心得ていました。そのもっとも象徴的なものがユニバーシティです。しかるに、日本の教育システムはいったい何なのでしょうか。自分でまともにモノを考えられないような人間を、毎年、無責任に社会へと放出しています。

 

近代文明において言葉は重要です。ただし、思考は必ずしも言語脳(左脳)だけで行うものではありません。イメージを扱う右脳による思考もあります。

知覚レベルにおける処理も複雑です。例えば視覚処理だけでも、脳は3つの層に分かれています。輪郭を捉える層、それらを組み合わせた形を認識する層、左右の像を組みわせて立体像を認識する層の3つです。

これと同じように人間の脳は、何段階もの層を経ることによって、高度に抽象的な思考が可能になります。

 

言語による思考では、割り切りが必要です。どこかの時点で白黒をはっきりさせる必要があるのです。分析、分割統治、二分探索などの単純化の手法をベースにして科学は発達してきました。コンピュータの世界は2進数です。しかしそれらを組み合わせることで、世の中のほとんどのものを記録し処理することができるのです。

 

全体を見据えながらも、小さな部分の白黒をはっきりさせ、それを階層的に積み上げて行くことで、人間や文明は発達していきます。

しかしながら、何事においても物事をはっきりさせたくないというのが日本人です。日本人と近代文明は、かくも相容れないものなのです。

 

言語の起源

〈脳と文明〉の暗号 言語と音楽、驚異の起源 (ハヤカワ文庫NF)

言語学の教室 哲学者と学ぶ認知言語学 (中公新書)

ソシュールを読む (講談社学術文庫)

カーニハン&リッチー『プログラミング言語C』を読む (KS)