米大統領が批判し、公開も延期されたという事が話題になった、「ザ・ハント」という映画があります。陰謀論を信じ拡散する愚民(レッドネ〇ク)と、リベラルエリート、グ○ーバリストとの戦いを風刺的に描いています。暴力描写が目立ちますが、ユーモアもある作品です。
裕福な人々によって誘拐され、ハンティングゲームで狩られる立場となった主人公は、劇中でこんな話をします。彼女の母親から聞いたウサギとカメの話です。カメはウサギが油断している隙に付け込んで勝負に勝つ事ができました。しかしその夜にカメが家族と食事をしていると、ウサギが乗り込んできて家族を皆殺しにしたのです。
カメは一時的に勝つ事ができても、結局はウサギに勝つことはできなかったのです。そこで主人公は、逃げるのではなく戦う事を選びました。現実世界では勝てなくても、「狩り」という限られた領域の中でならば、勝てる可能性があったのです。何より、彼女自身も退役軍人であり戦いが好きだったのです。立場は違いますが、狩る側と、狩られる側にあまり違いはありませんでした。
主人公は壮絶な戦いに勝ちました。しかし特権階層に位置する面子が替わるだけで、階級間の対立は続いて行きます。その事を暗示しながら映画は終わります。
映画の中でオーウェルの小説「動物農場」について言及した場面もあります。「動物農場」は、豚が主人公の寓話です。「動物」の自治を実現する為に、賢いブタが人間の農場主を追い出します。しかし束の間のヒーローとなったそのブタも、仲間によって追い落されます。そうしてまた別の豚が農場を支配するのです。以前よりも酷い状態となった「動物農場」をです。
あまりにかけ離れた階級同士は、一見、接点が無いように見えます。庶民が抱く陰謀論も荒唐無稽です。しかしながら、階級間の相互作用によって、その陰謀論が現実になってしまったというのが、この映画の内容です。SNSの発達によって、想像以上に相互作用が増えているのが現代の社会なのです。ネットで余計な事を喋ったが為に、失墜したり、狩られる対象となったりしたのです。
映画とは別に、こんな笑い話があります。2人の男が熊に追いかけられています。一人が言います。「クマより速く走ることなど出来ないから、逃げても無駄だ」と。もう一人が答えます。「クマより速く走る必要はないが、君より速く走ることは必要だ」と。最初の男が犠牲になれば、もう一人は逃げられます。
絶対的な速さを求めなくても、仲間より相対的に速くなる事で生き残ることができるのです。
現代社会はサターンロケットのようなものです。1段目、2段目、3段目は燃料を使い切った後に切り離され、先っぽに格納されている小さな月着陸船だけが目的地に到達できます。
賢いブタを目指すことです。しかし所詮は、自分もブタに過ぎない事をよく認識することです。