kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

弱者が叩かれる日本 ー無責任と無限責任ー

日本では、上の人間は無謬であり責任を問われることがありません。その一方で底辺に近づけば近づくほど、すべての責任を負わされてしまうのです。もともと日本人は無責任な人たちです。誰も責任を負おうとしないのであれば、弱い者が責任を被るしかないのが道理です。

 

こんな事がありました。まだ電車内での喫煙が許されていた頃です。禁煙車で大学生がタバコを吸っていました。すると近くに座っていた初老の男性が、突然、「キミ! ここは禁煙車ではないのかね」と言ったのです。学生はブチ切れました。当たり前です。

私はタバコを吸わないし、その学生が禁煙車両で吸っていたのは事実です。しかし老人も相手に恥をかかせる言い方をするべきではなかったのです。せめて「私はタバコの煙が苦手なので、控えてもらえないだろうか」と言うべきでした。

 

日本人は、自分を前に出すのではなく、その代わりに権威を持ち出します。何処かの誰かが勝手に決めた規則であれば、すべてが正当化されると考えてしまいます。法律なら未だしも、「世間」と呼ばれるもので他人を縛ろうとする人もいます。

子供を叱る時にも「そんな事をしたら怒られるよ」とか「みんなが笑ってますよ」といった言い方をします。「天知る地知る我知る人知る」という考えには、決して至りません。

その代わりに、謎のローカルルールや世間を持ち出せば勝てると考えて、自分の身に災いを招いているのが日本人です。

 

「レイルウェイ 運命の旅路」という映画があります。太平洋戦争中に日本軍の捕虜だったイギリス人が主人公です。彼は肉体的、精神的な拷問を受け、30年以上たった後でも悪夢に悩まされています。その時の日本人がタイでガイドをしている事を知った彼は、復讐の為にタイへと向かいます。探し当てた彼を問い詰めようとしましたが「我々日本人は~」という言い方をして、あくまで自分の責任を逃れようとしたのです。

 

日本人は、自分も虐待を幼い頃から受けているのに、人々はその事を振り返ってみようともしません。しかし精神的な歪みは残っており、それが弱者への攻撃へと向かうのです。彼らは子供の頃に受けたのと同じ虐待を、我が子に対しても行います。こともあろうに、究極の弱者であるわが子に対してです! 「江戸の敵を長崎で」より酷い話です。

 

日本人が常に責任を逃れようと試みるのは何故でしょうか。ひとつには相手の気持ちを思いやれないというのがあります。日本人ほど「空気を読めない」人間はいないでしょう。共感力が欠けています。

またひとつには、「悪人」というレッテルを貼られる事への無意識の不安があります。「仲間外れ」にされる恐怖は、幼少の頃から心に叩き込まれています。しかし多くは、道徳や絶対的な戒律が存在しないことが影響しています。

 

この結果として日本は、誰もが被害者面をするという、世にも珍妙な社会となったのです。誰もが「自分は被害者だ」と言います。誰もがウソをつく社会です。正直者が褒められるのは小学生の頃だけです。日本人はウソをつくことの利点を早々に学びます。

ウソをつくことへの敷居が低い社会です。こうして誰もが詐欺師のようになっていきます。裏表のある信用できない人々です。その歪みのツケは、末端の日本人が払うのです。

 

末端の日本人は、社会にとって必要な存在です。彼らはサンドバッグです。誰もが心置き無くいじめる事ができます。彼らには価値がありません。悪徳業者のために安い賃金で働くのです。彼らには発言ができません。窮状を訴えれば訴えるほど、逆に扱いが酷くなる事を知っているからです。

 

困っている時ほど、誰も助けてはくれないというのが日本の社会です。底辺に近づけば近づくほど、その傾向は加速されます。まるでブラックホールです。そして最後は無限の責任を負わされるのです。

日本人が冷たく「自己責任!」と言い放つとき、それは「全責任を負って、くたばりやがれ」と心の中で言っているのです。

 

しかしながら、踏みつけにされている弱者や貧乏人ほど保守的なのが、世の常です。彼らは臆病です。これ以上に自分の状況が悪くならないように、ひたすら現状を支持するのです。そのために、ありもしない理想の「日本」にしがみつきます。日本が本来の姿を取り戻したときに、自分たちも救われると信じているのです。

 

この国は理想的な奴隷制度がずっと続いてきた社会とも言えます。信じられない人権侵害が今でも行われています。しかし搾取する側にとっては天国のような場所です。搾取される側は愚かであり、一度として自由の存在を信じたことはありませんでした。

本居宣長は『古事記伝』で、「悪きもの、奇しきものなども、​よにすぐれて可畏きをば神と云なり」と書いています。優れた人々だけでなく、悪人であろうとも、自分の上に立つ人間を神とあがめてしまうのが日本人なのです。

日本の思想 (岩波新書)

レイルウェイ 運命の旅路(字幕版)