kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

日本における女性の立場

女性というのは男にとって都合の良い存在です。性的対象であると同時に、家庭にあっては無制限に働かせる事のできる奴隷であり、不満のはけ口でもあります。

子どもを産む道具であり、彼らを社会に適応した立派な労働者として育て上げる事も期待されます。女性は様々な汚物を受け止める「掃き溜め」です。

 

女性が職場で受け入れられる方法は、不見転芸者のような存在になるか、男性のようになるかです。

ゲイシャとして、職場の空気を読みながら、男性たちが好む女性像を演じます。高い声で笑顔を絶やさず、細かい所にまで気が利きます。そうやって「ブサイクと違って、やっぱり美人の方が性格いいよなwww」と評価されていくのです。

仕事が出来るのであれば、大声で部下やBPを使いこなし、時に男を性的対象とするような猥談もします。さらには男と一緒になり女性を差別する立場に回る事も必要です。自らセクハラの加害者となるのです。女性を擁護しては自分の身が危うくなります。

 

職場では、ある年齢以上になると独身者はほぼ居なくなります。授かったのであれば子供も居ます。そんな場所にいると、生涯未婚率が高くなっているとか、少子化だとかは何処か別の社会の出来事のように思えてきます。

社会において、未婚者は責任を逃れて自由を謳歌している身勝手な存在か、人間として欠陥のある不具者と看做されます。

  

「無職の男性」が許されないのと同じように、女性は「未婚」である事を許されません。旦那の稼ぎに頼りながら有閑マダムとなる事を夢見ていましたが、自分も働く羽目になりました。しかもテレワークの普及によって、日中も旦那と顔を合わせなければいけません。家事をこなし、育児をして、さらに旦那のくだらないダジャレに反応することも期待されています。

 

日本では風俗がセーフティネットとして機能しています。女性は早い時期から、自分の性が売り物になること、あるいはそれが武器になる事を学びます。中学や高校でも個人売春があり、中には組織化されたものもあります。

「女子高生」「女子大生」という言葉は、性的なニュアンスを多分に含む言葉です。この言葉で画像検索をしてみると良いでしょう。児童アイドルというのも存在します。

 

女性は、(1)社会的に成功するという少ない可能性に賭けるか、(2)出世が見込まれる男性の妻となるか、(3)性を売り物にして糊口を凌ぐかという道を選ぶ事になります。シングルマザーになる人も増えていますが、悲惨な未来が待っています。

 

大戦前、女性の行く末は「女工か女郎」と言われていました。着物や嫁入り道具など、女はカネのかかる存在で、ありていに言えば邪魔だったのです。結婚できても、例えば地方では、姑の監視のもと、軟禁状態で働く日々が待っています。朝は誰よりも早く起きて食事の支度をします。昼は市場で食材を求めたり、畑で採れたものを売ったりします。さらに掃除や洗濯をこなします。すぐに夕方になり、風呂を薪で沸かし夕食を作ります。そのあと皆の寝具を出して蚊帳を吊り、明日の食事の準備をして誰よりも遅く寝るのです。これが毎日続きます。耐え切れずに失踪する者もいました。

 

もし女性が大企業に勤めても、職場ではオフィスワイフと看做される存在でした。戦前は、内地の人口が6千万人強だったのに、分かっているだけで、売春に携わる者は15万人もいました。加えて多くの女性が売春婦として海外に渡っていきました。新聞には個人売春の広告が載り、「カフェ」では女給から性的サービスを受ける事ができました。現在の貨幣価値に直すと月2万円程度で家政婦を雇う事も可能でした。ちなみに7万円ほどで都内に一戸建てが借りられた時代です。

悲惨な東北地方では、多くの女性が女郎として売りに出されました。現代でも新幹線で通ってくる風俗嬢がいます。白い肌、とび色の瞳、適度に肉が付いた体を備えており希少価値があります。お店から「東北出身の新人が入店しました。写真NGで風俗経験はありません、案内は~時~分からです!」というメールが届くと、ついついスケジュールを調整してクルマで店に乗り付けてしまいます。

日本人は歴史を学びません。「どんな非道な事をしてきたか」だけでなく、「どんな酷い目に遭わされてきたか」という事も忘れ去ってしまいます。

 

日本では、女性はその立場を利用してうまい汁を吸う輩と考えられています。ろくに稼げないし家事や育児も手抜きなのに、夫に寄生している存在というわけです。

昭和の初め頃、年金や社会保障はありませんでしたが税率は低く、大企業管理職の年収は現在の値にして4千万円くらいありました。対して工場労働者は100万円が良いところです。女性はさらにその下です。日本はまたそのような時代に向かっているのです。

 

仕事がなく、希望もなく、誰も頼れない女性は、綺麗な死に方を求めて、今日も人知れず何処かでひっそりと命を絶っていきます。そして失踪者数だけが増えていきます。

女性は汚い死に様を避けるものです。それだけが、女性に残された最後の矜持と言えるでしょう。

「私は私のために死のうとする。私の心を傷けられた口惜しさと、私の体を汚された恨めしさと、その二つのために死のうとする。ああ、私は生き甲斐
がなかったばかりではない。死に甲斐さえもなかったのだ。しかしその死甲斐のない死に方でさえ、生きているよりは、どのくらい望ましいかわからない。」「明日の日は、必ず、首のない私の死骸の上に、うすら寒い光を落すだろう。それを見たら、夫は――」

芥川龍之介袈裟と盛遠

「月給100円サラリーマン」の時代: 戦前日本の〈普通〉の生活 (ちくま文庫)

地獄変・邪宗門・好色・藪の中 他七篇 (岩波文庫)