人は人を憎みます。それゆえ争いは永遠に無くなることがありません。文明の目的のひとつは、如何に人間を無害化して秩序を保つかという所にあります。
コナミから『SILENT HILL f』というゲームが発売されています。サイコロジカル・ホラーです。1960年代の日本の片田舎が舞台となっています。ここには人型のモンスターが登場します。主人公は女子高生で、鉄パイプやナイフを握りしめて彼等と戦うのです。
1968年公開の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の頃から繰り返し作られているゾンビ映画も、襲ってくる相手は人間の形をしています。1978年の『ゾンビ』(Dawn of the Dead)では巨大なショッピングモールを舞台に圧倒的大多数となったゾンビ達と主人公が闘います。仲間も次々にゾンビへ変わって行きます。極限状態で生き残ろうとする人の姿を描いています。
こういった作品は、潜在意識にある人間への怖れと憎悪を象徴しています。もしもモンスターが人間とはまったく違う様相だったとしたらどうでしょうか。圧倒的な力を持っていなければ恐ろしくはないはずです。叩き潰して終わりです。
ところがゾンビは人間に似ているからこそ、叩きのめす際にもおぞましく感じるのです。血飛沫を浴びながら執拗に殴りつけますが、人間のように抵抗し呻きながら絶命して行きます。後味の悪さが残ります。人に似ていますが重度の皮膚病のように腐りかけており血だらけの醜い姿です。
殺人事件が起こった場合、疑わしき容疑者は家族です。家の中で不審死が発生した場合に警察はまず家族を疑います。実際に犯人の多くは、被害者と最も親しい人達なのです。
つまり我々が頻繁に会う人こそが憎しみの対象となるのです。見たこともない遠くの人ならば憎みようがありません。ましてや自分と利害関係が無いのなら関心を持つ事さえありません。中東で人々が争っていても預かり知らぬ事なのです。
ところが日本が貧しくなり、外国人がやって来るようになると異なります。「外人」の楽しげな様子と自分の悲惨な有り様を見比べると憎しみが湧いて来るのです。アジア人であれば憎悪は倍増します。
人間はちょっとした違いが気になります。肌の色。顔の違い。喋り方。癖のある動き方。それが気に障るのです。結婚をして数年も経つと、当初相手に感じたはずの魅力はすっかり失せています。体の相性が悪く性交渉も無くなれば、鬱陶しさだけが残ります。乗り換えるパートナーを探しますが叶わず多くの人は我慢を続けています。
隣人も同じです。挨拶を交わしても、隣人のちょっとした行動が気に触ります。集合住宅ならば壁を通して聞こえる生活音が気になります。憎しみが募ります。「ショットガンさえあれば隣人の頭を一発で吹っ飛ばせるのに」という考えさえ浮かんできます。
人間関係の基本とはなんでしょう。それは「自分はあなたの敵ではありません」という意思表示にあります。挨拶や贈り物は其の為にあるのです。相手の領域へ踏み込み過ぎると憎まれる原因となります。
政治家ともなれば常に人間関係に悩まされる事になります。自分と知力も体力も変わらぬ人達が周りで蠢いています。どんな策略を練っているか分かったものではありません。うかうかしていると寝首を掻かれます。
国際政治では、遠く離れた相手国の指導者が何を考えているかを常に気にしなければなりません。彼らの動きが自分たちの利害に直結します。指導者ともなれば、国民全体の利益がまるで自分自身のもののように感じられます。相手国も同じ様に策略を練っており、ゼロサムゲームを繰り広げているのです。いざとなれば直ちに貿易戦争や武力に訴える必要があります。
「安心」とはなんでしょうか。それは敵対する人間が居なくなることです。ここに支配の要諦があります。古来より支配者はそれを目指して来たのです。厳格な身分制度はその為に存在しました。人間は恐怖や不安の種をいち早く探し当てるように進化して来ました。生存競争のためにです。不安や恐怖は生き残るために必須です。
技術により自然災害を防げればそれに越したことはありません。しかしそのような大災害が発生しても他の人間を従えていれば何とかなります。人間は社会的階層が上であればあるほどストレスが低く長生きが出来ます。
人間は「内なる暴力性」があるから暴力を振るうのではありません。恐怖により暴力を用いるのです。元高級官僚の父親が家に閉じこもって言うことを聞かない息子を過剰殺傷した事件がありました。刃物で傷つけ短銃で撃っても人は簡単に倒れてくれません。それどころか血だらけになり獣のように叫んで向かって来るのです。
理性は本能の奉仕者です。災害時になれば隣人を犯したり殺害したりします。飢えれば仲間を食います。隣人を切り刻み干し肉とします。人間の理性は平和な時にだけ主人で居られるのです。このような恐ろしい人間を無害化し手懐けるのは大切な事です。
人間を無力化するにはどうしたら良いでしょうか。まずひとつ目は暴力です。歴史は闘争で満ちています。自分とは異なる民族を武力で支配するのです。食料や奴隷を奪う為だけではありません。彼らの存在そのものが不安や恐怖なのです。
王国を作っても安心は出来ません。部下や民がいつ裏切るか分かりません。彼らを上手く治める方法を考えなければいけないのです。
そのために必要なのは厳格な階級社会です。しかし差別をされていると感じれば不満が溜まりやがて革命へと繋がります。アメとムチを使い上手に操らなければなりません。現代は身分制度が無いように見えますが、もちろん存在します。それを自然に受け入れているだけです。
人々は「努力すれば報われる」「誰でも首相や大統領になれる」と信じています。「失敗するのは努力が足りないからだ」とも言われています。彼らはこの運命を甘受するしかないのです。
かつては奴隷制度がありました。それまで人間の労力は社会にとり必要不可欠でした。それ以外には水力や風力しか使えなかったのです。しかし産業革命により化石エネルギーを利用できるようになりました。機械化も進みました。奴隷の必要性が薄れたのです。
19世紀半ばの南北戦争にもこういった背景がありました。米国南部は奴隷を利用したプランテーション経済でした。対して北部は彼らを解放し賃金労働者や消費者とする思惑があったのです。
人間を無害化する他の手段としては、物理的に自由を制限する方法があります。収容所や軟禁を用いるものです。しかし管理コストがかかります。また彼等を労働者や消費者として有効利用する事が出来なくなります。
現代では階級制度や奴隷制、暴力のような赤羅様な手段は賢明ではありません。ですから心理的・経済的支配が主な手段となります。
心理的支配では情報操作を用います。たとえば大衆が目覚める情報は制限すべきです。そして常に忙しくさせるのです。「努力すれば成功する」と信じ込ませます。間違った方向へとひたすら努力させるのです。無駄な知識を覚えさせます。無駄な仕事をさせます。これらは支配者の富を増すというよりは、まずもって大衆の無力化が目的です。
「何をやっても無駄だ」という学習性無気力の状態へ人々を押し込む方法もあります。しかし社会全体の停滞を生み出し国力低下にも繋がるために推奨出来ません。
効果的な手段として分割統治があります。人種、民族、宗教、階級によって民を分断するのです。繰り返し使われてきたオーソドックスな方法です。
上で挙げたものの中に「階級」があります。しかしこれは真の支配者に対する反抗や憎悪を植え付けるのではなく、代わりとなる階級へ憎悪を向かわせるのです。たとえばナチスにおけるユダヤ人。国の中枢を握っているとされる特定人種。新興富裕層。こういったものです。
同じ様な伝統的手法として経済的支配があります。富の集中と独占。債務と強制労働です。借金は良い方法です。「お前には借金がある。返さねばならない」と言えば人は納得するものです。国民には納税の義務があります。「払えなければ利息を付けて返せ」と言う事が許されます。お金だけでありません。「親への貸しがある」「共同体に対する恩がある」でも構いません。
現代は、グローバリゼーションの進展により国際間の経済格差は縮小しました。その代わりに国内における貧富の差が激しくなっています。グローバルな資本家と労働者という構図がより鮮明になっています。
それゆえに情報統制による支配がより重要となってきます。メディアやSNSではスケープゴートが前以上に必要とされます。ちょっとでも違う事をする人間は吊し上げるべきなのです。
「パンとサーカス」も必要です。スマホの普及により何処でも手軽に娯楽を享受できるようになりました。彼らは自分で選び取った情報を楽しんでいると思っています。彼らに大量の情報を浴びせ無力化するのです。
一方で「希望」も必要です。人間は報酬への期待によって幸せを感じます。「スキルを身に付ければ就職できる」「努力すれば報われる」「投資をすれば金持ちになれる」と思わせて置くのです。情報空間にはそのような夢物語で溢れています。
しかしながらあまりにも格差が大きくなると彼らが反乱を起こす可能性が出てきます。そのためにベーシックインカムのような最低限の救済方法を残して置かねばなりません。大衆の中でも優秀なものは「奴隷がしら」として取り立て、比較的良い待遇を与えてやります。彼は誇りを持って同僚を鞭打ち、支配層に忠誠を誓うようになるでしょう。
さらに進んで他国民を無害化するにはどうしたら良いでしょう。当然の事ながら別の支配者が治めています。ひとつの方法は、現地の支配者を丸ごとに自分達の支配下へ置くことです。ここでも赤羅様な支配はいけません。反乱の可能性があります。管理コストもかかります。
ですから植民地とするのではなく「新帝国循環」により宗主国が潤う仕組みの方が最適です。たとえば日本は、宗主国との関係が上手く行っています。自分の役目を心得ており喜んで宗主国に奉仕します。日本人は働き者です。人の3倍は働きます。宗主国の為に。国の為に。最後に自分のためにです。
グローバリゼーションは相手国の資本家やエリートを取り込む良い方法でした。米国もソビエト連邦を封じ込める為にそういった仕組みを必要としたのです。ブレトンウッズ体制を構築しソビエト崩壊までは上手く機能しました。しかし今はそれも崩れてきています。基軸通貨としてのドルを武器とする方法や、融資と債務による支配も以前ほど有効ではなくなって来ました。
代わりにテクノロジーの独占やサプライチェーンの武器化といった露骨な方法も出始めて来ているのが現代です。
人間を支配する方法にはきりがありません。新たな敵が現れます。次々と新しい人間が産まれ、情報により思考や感情が常に揺れ動いているのです。
幸いにも今では優れた人工知能が存在します。優れた情報監視網もあります。これらを用いて効果的に人々を無害化する方法を、引き続き人間は模索していく必要があるのです。