日本は奴隷国家です。そのような社会を意図的に目指して来たのです。それが結局は裏目に出て今日の衰退を招いています。
日本は明治維新以降、国民を全て同じ様な労働者へと育てる事に注力して来ました。国家の太宗を占める農業従事者を次々に工場労働者へと転換して行ったのです。エリートを養成する仕組みが無くなった第2次世界大戦後はそれが顕著になりました。そうしてこの馬鹿げた取り組みは失敗しました。今では自分たちの食い扶持さえ賄う事が出来ません。この様な方法で一過性の成功は得られても、やがて失敗する事は明らかだったのです。
日本人は自分の頭で考える事を許されません。小さい頃からその様に躾けられています。日本の教育は既に分かり切った事柄を効率的に身に着ける為のものです。社会に出ると休む間も無く言われた通りに効率的な処理を進める事を求められます。
1990年代に大きなテロ事件を起こしたオ◯ム真理教は日本の縮図であると云うのは、良く言われる事です。東大、京大、早慶などの日本では最優秀と看做されている人々が教祖の語る言葉を一言一句信じてその命令を実行に移しました。最大限の効率を持って実施したのです。
これは奴隷教育の賜物です。日本では教育機関だけでは無く、家庭も含めた場で上位の人間を無条件に崇め言われた通りに行動する様に訓練されます。こうして育てられた奴隷は自分の子供も奴隷にしたがります。詐欺師になるのは詐欺に遭った者です。酷い目に遭った人は同じ様に酷い事を他人にするものです。
上位の者に命令されると日本人は思考が止まります。それどころか進んで空気を読み奴隷的行動を行います。上司や場を必死に盛り上げようとします。顧客の予想に先んじてあらゆる心遣いの籠もったサービスを提供します。偉い人が部屋を出ると小走りに先回りをしてエレベータのボタンを押します。こういった事が出来なければ日本の労働者として失格です。
一見、日本の接客現場はスムーズに流れている様に見えます。しかし様々な段取りや決まりがあり、少しでも客がそれを守らないとスタッフは引きつった表情を浮かべます。想定外の事態に遭遇すると、パニックとなって騒ぎ出すか、思考停止に陥って竦んでしまうのが日本人です。
日本人は細かい事には拘りますがマクロな視点で物事を見られません。そのようなレベルでは何も考えていないのです。経済でも短期的な利益を得られる方向へと一斉に向かいます。
経営における一般的な話として、最初はどんな事業でも高い利潤を上げられます。しかし徐々に利益率は低下して行きます。労働者の賃金も下がります。これを防ぐには常に新しい事業を見つけて移って行く必要があります。
しかし日本は儲かっている分野に全振りしたのです。それを何時までも続けました。それで一時的な利益しか得られなかったのは当たり前です。本当に成功するには常に他と違う事をしなければいけません。日本は長期的視野に基づいて事業を育てて来なかったのです。
日本は今頃になり国を挙げて半導体分野に注力しようとしています。日本人は何時も出遅れています。昔ならまだしも、現代においてそのスピード感では失敗するばかりです。ちなみに個人が失敗を避けるには、多くの日本人が行っている事と反対の事をすればまず間違いはありません。
大きな成功には必ず大きな失敗の種が隠れています。それに日本は早く気付くべきでした。日本経済のピークはウォークマンが出た1979年辺りでしょう。その後の日本繁栄はバブルの徒花です。そこから日本人は劣化の一途を辿ったのです。
最適化が過ぎると詰みます。進化の歴史でもそうです。余りにも巨大化した爬虫類は結局生き延びる事が出来ませんでした。大きく育った木はその姿とは裏腹に、脆弱で倒れ易くなります。全体主義国家の寿命は短いのです。
「計画通りに上手く行っている」というのは悪い前兆です。何かが間違っている印です。この複雑な世の中で計画通りに物事が運ぶはずが無いのです。
経済大国では組織犯罪や闇ビジネスも活発です。ところが日本ではそういったものを律儀に潰しました。出来上がったのは国を頂点とする巨大な集金マシンです。何の事はない。ヤクザが国や銀行に変わっただけです。却ってより効率的に搾取されるようになりました。
日本ではどれほど国と近い距離にあるかで生涯年収が決まります。なぜなら国や大企業が国民からカネを徴収してそれを上級国民で分配する仕組みとなっているからです。下の地位では僅かな御零れしか貰えないのです。
このように日本では効率的に国民からカネを搾取するシステムが出来上がっています。税金だけではありません。何かをする度にカネがかかります。通行税として高額な高速道路利用料金があります。ゴミを捨てるのにも、無駄な分別仕訳といった手間と有料のゴミ袋購入といったカネが掛かります。日本は信じがたい程の利権国家なのです。
政治家や高級官僚は次々に海外へと財産を移しています。知らぬは庶民ばかりなりです。国を信じる者が飢える結果となっています。彼らは、滅びゆく日本の様子を高みの見物です。
このような奴隷社会では出来るだけ何もしないのが得策です。積極性は忌み嫌われ、遣っているフリだけして怠けるのが良いのです。会社でもPCを見つめたまま地蔵の様に固まっている人が多くいます。時々目を瞑って休んでいます。体を動かすのは昼食の時だけです。これが彼らにとっては合理的な行動なのです。仕事はしない。結婚もしない。子供は作らない。旅行もしない。消費もしない。社会の活力は失われて行きます。これが奴隷社会の末路です。
庶民だけではありません。日本の経営者も設備投資や研究開発に積極的ではないのです。時々自社株買いを行います。あとは首切りやコストカットでしょうか。それで高額な役員報酬を貰っています。
概ね、国家は小さな興隆と衰退を繰り返しながらやがて衰退して行きます。いったん大きな衰退期に入ると滅亡を免れる事はできません。古代ローマ帝国でさえ二度と復活する事はありませんでした。ましてや日本なら尚更です。既に東アジアの最貧国となった日本には、暗い未来が待っています。東南アジア全域で最も貧しい国となるのです。
日本人は奴隷として従う様に最適化されています。それに適応できる遺伝子を持つ人間ばかりが生き残りました。日本人はもはや現代社会で生き残れない生き物です。いずれ民族の入れ替えが必要となります。
これまでもそうであった様に中国大陸や半島から大勢の人達が渡って来るでしょう。歴史の必然です。それで良いのです。現在でさえ我々のほとんどは古来の日本人というよりも中国人や朝鮮人に近い存在です。
7世紀頃に朝鮮半島から渡って来た王侯貴族に日本は支配されました。そうして何の躊躇も無く彼らを崇め奉ったのです。今更「日本人がどうのこうの」と言うのは余りにもナイーブな意見です。
第2次世界大戦後は現在の宗主国に支配されました。そうなると節操も無くアングロ・サクソンを崇拝する様になりました。彼らは動物的勘でその時々の力ある者を見抜き媚び諂うのです。人間というより羊や犬といった家畜に近い存在です。
世界一安価で従順な奴隷を量産する日本は、世界の草刈り場です。これからも安価な奴隷を作り続けるのが良いでしょう。彼らを世界中に傭兵として売り飛ばすのも得策です。日本にとって吉兆を意味する「軍靴の音」も高らかに鳴り響いています。日本の軍需産業株はこのところ最高値を更新し続けています。
いずれにしても日本の崩壊は止められません。外敵に倒されるか、あるいは内部の力で崩壊するかの何方かの道を辿るのです。残っている課題はその衝撃を和らげる事だけです。
少なくとも日本を切っ掛けとする世界的経済危機だけは防がなければなりません。今となっては日本人を助けるのは不可能です。奴隷として価値があれば少しだけ生きられるでしょう。もはや日本人自体の問題は、些末なものとなっているのです。