「最後の一句」は森鴎外の短編小説です。時は元文3年。1738年の大阪が舞台です。死罪を言い渡された父親の無罪を信じて、娘が身代わりを申し出るという話です。
奉行所は、誰かが娘を唆してこの大胆な行為に及ばせたのではないかと疑います。そのために白州に娘を呼び出して「嘘をついていたら拷問するぞ」と脅すのです。
娘は怯まずに自分が身代わりを申し出た理由をきちんと説明します。そして最後に「お上のやる事に間違いはないでしょうから」と付け加えるのです。
この一句に、奉行所の役人は不意を突かれて驚くと同時に激しい憎悪を抱きます。娘を去らせた後に仲間内で「生い先の恐ろしい娘ですな」と言うのです。
当時の日本には「自分が身代わりとなって死ぬ」という概念自体が存在しませんでした。なるほど「切腹」という習慣はありました。しかしそれは自死を装った死罪です。誰かに「死ね」と言われて腹を掻き切るのです。
自ら切腹をする場合も、ほとんどは世間の体面を考えた上での行為です。死んで抗議をするという日本人独特の病的な自己アピールでもあります。敵の門の前で自殺するという中国の古い習慣と変わりません。
見返りを求めずに自発的に身を捧げる「献身」という行為を、日本人が理解できなかったのも無理はありません。
役人にとっては、体制に対する強烈な「皮肉」を浴びるのも初めてだったでしょう。「皮肉」という概念は理解できなくても、言葉の裏に隠された敵意を本能で感じ取り、驚愕すると同時に娘を憎んだのです。
日本では今でも「皮肉」は一般的ではありません。言葉を上手に操りそれによって相手に一撃を加えるという芸当ができないのです。皮肉をぶつける相手は、体制や、表面上は礼を欠いてはいけない重要人物などです。西洋ではコメディとして皮肉が大いに使われています。
しかるに日本のお笑いには、高度なユーモアやエスプリ、サーカズム(皮肉)を求める事ができません。日本のお笑い芸人がやっているのは「弱いもの虐め」です。ボケとツッコミの2人がいます。ボケが馬鹿な事を言うと、時に暴力を伴いながらツッコミが攻撃をするのです。
大衆はツッコミの立場に身を置いて、日頃の鬱憤を晴らすわけです。「弱い者はサンドバッグのように叩いて良い」というのが、日本の道徳です。
ここでとりあげた「最後の一句」は実話に基づいたフィクションです。娘の一言も森鴎外の創作です。これには森鴎外の当時の心境が込められています。
森鴎外は早熟の秀才でした。医学校を出て陸軍で官僚となりました。最後は軍医のトップである陸軍省医務局長にまで上り詰めました。世間から見ると大出世です。しかし本人には忸怩たる思いがあったのです。組織に不信感を抱いており、官僚でありながらも度々衝突や問題を起こしています。九州の小倉に左遷された事もあります。
「最後の一句」における娘の一言にはこのような森鴎外の思いが重ねられています。これが書かれたのは鴎外が陸軍を退く少し前です。「高瀬舟」や「渋江抽斎」を書いた後のことです。
「森鴎外が何を成し遂げたか」と問われれば、「大した業績を残していない」としか答えようがありません。業績どころか多くの陸軍兵士を死なせています。医者としても官僚としても作家としても中途半端です。日本以外では無名です。多才ゆえにひとつの事に集中できなかったきらいがあります。
結局は彼も、不満と限界を感じながら最後まで官僚組織を去ることができませんでした。死の床で「馬鹿馬鹿しい」という一言を残してこの世を去ったのです。