kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

未来に希望を抱けず貧しくなっていく日本

日本では貧乏人が増えています。「自分は貧乏じゃないからいいや」と呑気に構えている場合ではありません。日本人の平均的な生活水準が下がると、巡り巡って、人々の給料も減っていくのです。

 

経済は人々が抱くイメージによって決まるところがあります。「軽自動車で充分」「昼食は500円の上げ底弁当でいい」「家は狭くて安い賃貸でいいや」「スーツはポリエステルの安いもので我慢」「子供を産むのは控えよう」と皆が思っていると、それが当たり前になってきます。生活を維持するのに必要な平均コストが下がっていきます。給料は、社会的な通念により決まっていきますので、やがて給料も下がっていくのです。

 

大卒者の1年目の給与は、ここ30年くらいで、ほとんど変わっていません。小さな会社だと、そこから上がることもありません。払う側は、「支給額20万円で生活ができるよね?」と言っているのです。

 

その他に税金があります。30年前に消費税が導入されて以来、税率は上がる一方です。1990年代後半に消費税が5%になった時に、「一時的なものに過ぎないだろう」と思った者は誰もいませんでした。それどころか「これからどんどん税率は上がっていくだろう」と思っていたはずです。人々の無意識に与えた影響は大きかったのです。

単にお酒やタバコの値段が上がるだけなら「仕方がないか」という気持ちにもなります。しかし給料が減らされたら「仕方がない」とは行きません。「20万円の給料を来月から一律18万円にします」と言われて納得がいくでしょうか。増税はそれと同じような影響を与えるのです。

 

消費税はあらゆる取引きに顔を出します。嫌でも意識せざるを得ません。手に取った商品に価格が表示されていても、実際にレジで払う段階になると「やはり高いな」と感じます。これが毎日繰り返されるのです。

元請けが請負契約で下請けに発注したとすると、消費税を含んだカネを支払うことになります。下請けが孫請けに発注すると、また同じようなことが繰り返されます。日本のように多重下請け構造が蔓延している社会では、それだけでもコストが割高になります。国としては税収が増えて嬉しいでしようが。

増税分を社会保障に充てるといっても、働き手がどんどん貧しくなれば国は立ち行かなくなることでしょう。

 

日本の製品が売れなくなっています。同じ商品を作り続けていても、そこから得られる利益はどんどん下がっていくのが普通です。昔のテレビは、立派な木組みで作られた家具のようなものでした。天板にはカバーが敷かれていました。そのうちに、家にテレビが何台も在るのが普通になりました。今では動画が、スマホタブレットで観れますので、テレビそのものを必要としなくなってきました。テレビ局の予算は削られ、コンテンツも貧弱になっています。ますます見る人が少なくなっていきます。

 

日本は長時間労働をいとわない安価な労働力を使い、安いわりには品質がいいという商品を大量に売りさばくことで利益を得てきました。「カイゼン」により、生産効率を上げれば上げるほど、利益率もあがったのです。

ところが陳腐化してしまった大量生産品では、買ってくれる人がいません。利益率の良い高級品に移行したいところですが、日本にはそういったセンスやノウハウがありません。利益を生み出す新しい商品を開発しなければなりません。しかるに日本は、研究開発費をケチったのです。

 

現代では、目に見えない資産や仕組みが重要になっています。けれども日本人は、そういったものが苦手です。新しいアイデアや理念を生み出し、素早くモックアップを作り、顧客に提供するといったやり方です。

今までとは全く違う新しい付加価値のある商品を、素早く提供しなければなりません。そのためには、プロジェクトに応じて組織を組み換え、終了したら即解散しなければならないのです。ところが日本の労働者はプロフェッショナル意識が低く、たんに会社に所属しているだけの人達なのです。労働者の流動化が進まず、利益を生み出さない人材が大企業の中に滞留しています。「がむしゃらに働け」といっているのではありません。「もっと頭を使え」ということです。

 

日本の経済のなかで、自動車産業が占める割合は未だに大きいままです。ガソリン自動車や燃料電池車に固執していますが、電気自動車へと進む時代の流れは変えられないでしょう。

今は充電時間に問題がありますが、そのうち技術的に解決されるでしょう。「なんだ、ガソリン車なんかより電気自動車のほうが全然安く済むじゃないか」と消費者が思う日がやって来ます。日本は長距離を移動すると、高いコストがかかるようになっています。近場の移動だったら電気自動車で充分です。

クルマは電気製品となり、調子が悪くなったら、アセンブリ交換するか買い替えるようになるのです。面倒なメンテも不要になります。クルマもコモディティ化していきます。

 

日本はこれからどうやって国民を食わせていくのでしょうか。農業しかありません。食うことができるというだけでなく、陳腐化することのない商品だからです。

それなのに日本は「投資立国」を目指していくというのです。投資のセンスなどが日本人にあるのでしょうか。良い投資物件があったとしても、経営センスがありません。それとも、今までと同じように海外工場からの利子や配当で食っていくつもりなのでしょうか。

加えて庶民も、貯蓄ではなく投資をするように勧められています。「退職金といつ貰えるか分からない年金じゃ食っていけないから、FXでカネを増やそう」なんて人がいるのです。悪い夢を見ているかのようです。貧乏人が増えれば、我々全員も貧しくなるのです。

 

そもそも、自分では何も生み出さずに投機で利益を得ようなんて、道義にもとります。他国の経済に寄生しようというのです。悪質なタダ乗りのようなものです。

食うのにも困るようなレベルの人材ばかりで、「カネだけはあるんです」なんておかしいでしょう。世界の人々が「日本は大丈夫なのか?」と訝しがる日がやってきます。

 

国民の多くも「今日よりも明日」「今年よりも来年」と確実に悪くなるだろうと感じているはずです。もともとケチな人たちでしたが、さらに警戒するようになってきているのです。

 

そしてこの国は、自身の間違いを絶対に認めない役人に支配されています。政権交代はこれからもあるかもしれません。しかし「霞ヶ関ムラ」の文化や考え方は変わることがないのです。明治時代から続く伝統です。

敗戦後に内務省海軍省陸軍省は解体されました。しかし軍需省は商工省と名前を変え、大蔵省も生き残りました。70年以上に渡り、この体制が続いています。これから70年の後も安泰でしょう。もっともその時に日本が存在していればの話ですが…。

 

国民の底意地の悪さが、日本経済低迷の元凶 (幻冬舎新書)

自分の給料をいまより上げる方法 あなたの価値はこう決まっている

日本病 なぜ給料と物価は安いままなのか (講談社現代新書)

こうすれば絶対よくなる!日本経済

日本は小国になるが、それは絶望ではない

マルクス 資本論 1 (岩波文庫)

戦後日本経済史(新潮選書)

キャリア官僚の仕事力 秀才たちの知られざる実態と思考法 (SB新書)

お役所のご法度―霞が関ムラの怖~いお仕置

財務省人事が日本を決める