kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

デジタル化が苦手な日本人

日本人はデジタル化が苦手です。デジタル化というのは、たんに業務をITシステムに置き換えることではありません。IT技術を使いながら、新しい仕組みを提供することです。業務が改善されることでコストを劇的に抑えたり、より創造的な仕事が可能になったりするのです。

 

行政が発行する公的なカードが問題になっています。システムの連携がうまく行っていないのです。システムAとシステムBがあって、その間は人手や、テキストデータの入出力に頼っています。言ってみれば、ハリボテのシステムです。紙芝居です。表面上はシステム化されたように見えますが、舞台裏を覗くと人がちょろちょろと動いているのです。しかも従来の運用よりもお粗末になってしまっています。

 

行政の仕事というのはいい加減で、末端は派遣登録のパートがデータ入力をしています。役人はそれなりの業者に依頼しているつもりですが、孫請では、そのようなレベルの人間が運用やデータ入力をしているのです。セキュリティは甘く、お飾りの受付嬢が居るだけです。業者を装えば誰でも入館が可能です。データ入力者も、悪意があれば個人情報を幾らでも収集できます。

 

マ○ナ○ードでは最終的に全ての情報が結びつきます。収入はどのくらいか。税金をいくら払っているか。土地を持っているか。借金はあるか。家族の情報。免許証や銀行口座、クレジットカードの情報。顔写真、登録された印鑑。年金と結び付いた職歴。離婚歴。さらには病歴や交通違反歴といった情報です。それプラス、「住民税を滞納した」といった、職員による覚書も加わります。けれどもセキュリティは無きに等しいのです。例えば同じ行政絡みで、個人情報がインターネットで誰もが参照可能なフォルダ上に置かれていたことがありました。検索エンジンでヒットしてしまいます。そうなっても誰も責任をとりません。

 

デジタル化にあたっては、全体を見渡した上で最適化を考えなければいけません。人手に頼った運用があったり、それに起因するセキュリティホールが少しでもあったりすると、そこがそのままシステム全体の弱点となります。護送船団方式と同じで、一番遅れた部分に全体を合わせることになってしまうのです。ITシステムの部分をいくら改良しても意味がありません。それなのにシステム改修だけを延々と続けるなんて、頭がおかしいとしか言いようがありません。このままでは、犯罪者に絶好の機会を与えることになってしまいます。

 

デジタル化は弁証法と同じです。システムAとシステムBがあった場合、それらを止揚し、矛盾を解決した新しいシステムCを考えなければいけないのです。ところが日本人は、建物Aと建物Bを橋渡しするショボい吊り橋を作って、これをIT化だと称しているのです。

「日本家屋と西洋家屋の、良いところを折衷した家を作って欲しい」と言われたら、日本式と西洋式をツギハギしたような醜い代物を作るのが日本人です。本当はそれらを統合した新しいデザインを考えなければいけないのです。

 

弁証法的に新しいシステムを考えるのは高度に知的な行為です。日本のシステムエンジニアには荷が重すぎます。ひと頃のSEというのは、客からヒアリングしながら、その業務をそのままフロー図や設計書に落とし込むというのが仕事だったのです。コミュニケーション力があれば、誰にでもできる仕事です。コーディングは下請けに丸投げです。「業務をプログラムコードに置き換える、これがシステム化だ」と、長らく考えられていたのです。

 

日本のシステム構築業者は大したことをしていないのに、多重下請け構造によってコスト高になっています。行政は、与信の高い大手の業者に頼みます。そうすると例えば、3人日で済むような仕事でも、3人月×300万円くらいの仕事に化けてしまうのです。簡単な仕事でも、それぞれの下請け業者に営業がいて、契約締結や検収があり、管理者とリーダーと担当者がおり、消費税がかかり、さらに利益も抜かなければいけません。そうするとどうしても全体のコストは高くなってしまうのです。

利益率も、最初の業者は5割抜き、次は3割、その次は…と続き、末端の業者になると数パーセントほどの利益率しか得られません。実際にモノを作っている人はほとんど報われていないのです。どれだけのカネが無駄に使われているかを計算してみてださい。けれども想像力が欠如した役人は、何も考えずに言い値でカネを払っているのです。

 

日本はムラ社会ですから、美味しい話が上から降りてきたら、関係者みんなで利益を分け合います。それは今でも変わりません。

日本は、地位が上がれば上がるほど、仕事は楽になり、考える必要がなくなり、責任をとらなくても済むという社会です。それでいてカネはチャリンチャリンと定期的に降ってくるシステムです。今の日本では、わざわざこの仕組みを壊すという選択肢はないのです。

 

日本には「ボトムアップ信仰」のような考えが根付いています。安くて良い素材を作れば国全体が潤うという考え方です。例えば「半導体は産業のコメ」というのがそれです。半導体製造に必要な「フッ化水素」に注目するのもそうです。「日本のフッ化水素はスゴイぞ!」と息巻いて隣国に喧嘩を売りましたが、実際はスゴくはありませんでした。他国で置き換え可能だったのです。AIブームと来ればGPUを作っているNVIDIAに着目します。底の浅い考えです。マ○ナ○ードもカード自体を新しくすれば問題が解決すると思っているようです。こういった末端のモノよりも、それをどう使うかという「仕組み」を提供することの方が余程大切です。

半導体にしても、日本は頭を使わなければならないロジック半導体を作るのは昔から苦手としており、メモリ半導体ばかりを作っていました。

以前に、スパコンを巡る詐欺事件が起きましたが、これも「計算速度の速いスパコンができれば日本の競争力が高まる」という単細胞的な考えが行政にあったからです。

IT業界におけるSEやプログラマー、AIエンジニアというのも、日本におけるコメです。訓練された安価な労働者を次々に作り上げれば、日本のIT産業も発展すると考えているのです。AIエンジニアを大量生産しても意味がありません。「コメ、コメ」と言いながらも、日本でコメが軽視されているという現実は、まことにもって皮肉なことです。日本はもっと農業に力を入れるべきです。日本人には百姓が合っています。

 

日本の教育は、定型業務向けに訓練された安価な労働者を作り上げるシステムとなっています。これからは、「そつなく何でもこなせます」という人材はいりませんし、特定の技術に特化した人材もいりません。

現代はグランドデザインを描ける少数の天才がいればいいのです。何でもできる天才ではなくて、何かに特化した天才です。天才を作り上げるのは難しいですが、それを見出し活かしてあげる環境を整えることはできるのです。

 

今の日本では、トップは何もイメージを描けていないのに、底辺の労働者を動かせば自分たちが儲かると考えています。そもそもプロトタイプのプログラムくらい自分で書けないようでは話になりません。

現代ほど、高度に知的な能力を持つ人間の存在が重要になった時期はありません。彼らが資本や労働力、技術、インフラをレバレッジとして使うことで巨額の利益を上げられるのです。

 

AIの発展によって、人間がやっている多くの仕事は置き換え可能になるでしょう。けれども人間ができる仕事はまだあります。これからの人間は2つに分かれます。AIに使われる存在になるか、AIを使う存在になるかのどちらかです。

 

「産業のコメ」等と言っている間は、AIに使われるどころか、先進国や新興国に使われるだけの存在になるでしょう。日本人は抽象的に考えることができないので、どうしてもモノだけを見てしまいます。モノを分解していったら半導体フッ化水素にたどり着いたという訳です。それが彼らの頭の限界でした。

しかしモノと言えども、初めは抽象的な構想から生まれたのです。そこを軽視していては、何も新しいものは生み出せず、これからも日本人は猿真似に終始するしかないでしょう。

AIと人類 (日本経済新聞出版)

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