kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

カネを稼ぐのが難しくなった日本

日本はカネを稼ぎにくい国になりました。カネを儲けるのと、カネを稼ぐのとは異なります。普通の人が真面目に働いてもカネを得るのが難しくなったのです。

 

日本経済の頂点と見られていたバブル期においては、カネを稼ぐのは簡単でした。探せば直ぐに仕事が見つかりました。何個も掛け持ちすれば、蓄えも増えていったのです。バブルの恩恵を受けたのは、融資を受けたり不動産を買ったり株の運用をしたりして儲けていた人達だけではなかったのです。

 

バブル期でも、初任給は一律横並びだったので、それなりの給料を得るには、昇給やボーナスを待つしかありませんでした。仕事を何個も掛け持ちしていたフリーターのほうが年収としては上だったのです。しかも好きな時に休めて、気に入った仕事だけを選べたのです。現在フリーターや個人事業主が苦境に陥っているのを見ると、信じられないような話です。

 

サラリーマンの副業は禁じられていましたが、こっそりバイトをしている人もいました。簡単なRPGIBMの言語)のプログラムを1本書くだけで10万円ほど貰うことができたのです。

 

肉体労働者でさえも「100万円稼ぐのは簡単だ」と豪語していた時代だったのです。普段の仕事以外にも、案件を受けさえすれば、数百万ぐらいは稼げたのです。1年ですぐに新車を買うことができました。クルマというものは、新車を買って3年目の車検が来る前に買い替えるものだとさえ考えられていたのです。

 

その頃は「タクシーの運転手が一番良いものを食っている」と言われていました。夜遊びの帰りなどでタクシーを利用する人が多くて、常に供給不足だったのです。正規の料金以外に多額のチップが必要でした。いわゆる白タクもいました。「バブルへGO」という映画では、銀座で万札をひらひらさせながらタクシーを捕まえようとしている大勢の人達を描写したシーンを見ることができます。

 

いつだって好きな時に稼いでカネを得られるので、なかば引退のような生活を送る人もいました。駐車場の管理人などという仕事が成り立っていました。余った土地を駐車場にして、入り口のボックスに座って受付けをするだけの仕事です。暇な時には本を読んでいたりしました。それでも余裕で生活ができたのです。

 

現在はどうでしょうか。仕事は簡単に見つかりません。たしかに求人は多いのです。けれどもハイレベルな人を探しています。学歴があり、経歴があり、スキルがある人達をです。長時間労働に耐え、期待以上の成果を上げ、給料が低くても決して文句を言わない忍耐強い人達をです。

さらに、現代の労働者は、遥かに密度の濃い仕事をこなしています。いくつものプロジェクトや部署の仕事を兼務しているのが普通です。それに対して昔は、暇そうにしている人があちこちに居ました。「生活残業」と言って、仕事がなくても、ただ椅子に座って残業代を稼いでいる人も多くいたのです。

 

管理職も同じです。「私をスキーに連れてって」という映画では、総合商社に務める主人公が定時で見積書を課長に渡してさっさと帰ってしまうシーンが冒頭にあります。その課長はというと、タバコを吹かしながら、決済箱以外に何も置いていない机の上で週刊誌を読んでいます。会社に居るだけこれはマシなケースです。会社にほとんど来ないで遊んでいる管理職だっていたのです。勤務時間中のゴルフや飲酒だって立派な仕事です。経費は使い放題です。30歳前後で課長になってしまえば、サラリーマン人生のアガリだったのです。

 

今は管理職と言えどもプレイヤーであることが求められます。中小企業でしたら部長であっても自ら働かなければなりません。部下の管理や評価、顧客への営業、仕事の開拓、収支の管理、目標額の達成以外に、自分の仕事もこなさないといけません。何かミスをしたら、直ぐに部署を異動になります。下手をすると辞めなければなりません。


今の日本では、キツイ仕事をこなして高年収を得る人達もいれば、仕事を得られずに金欠で喘いでいる人達もいます。前者は後者のことを「ロクに働きもしない連中だ」と蔑んでいます。前者は、やま○り園を襲った植○聖に同情を寄せ、後者は池○小を襲った宅○守に同情します。こうして階層が2つに分断されていきます。

 

日本は30年以上に渡って低迷していますが、今ほど多くの日本人が必死に働いている時代はありません。バブル期とは真逆です。精神的にも肉体的にも厳しい状態に置かれています。それなのに生産性は低いままです。いったい彼らは何をやっているのでしょうか。

日本人は「仕組み化」「システム化」が苦手です。事業を回すには、きちんとマニュアル化をして、どんなレベルの人達でも仕事ができるように分解して提供する必要があります。けれども、日本では未だに「何でも屋」を求めているのです。専門家と言いながらも、実はハイレベルなジェネラリストを雇って、どうでもいい仕事をやらせている場合があります。そんな仕事はデジタル化したり、仕組み化して普通の人に任せるべきなのです。

 

年収は横並びで低く抑えられたままです。個人が持っているスキルではなく、職種や学歴、経歴で大体の相場が決まっています。そこから抜け出すのは難しいのです。

日本におけるサラリーマン稼業を投資として考えると、給料の上限が決まっているのに、下限はゼロになる可能性があるという、割の合わない投資であることが分かります。その点で公務員は未だマシです。でも、なりたい職業が公務員だなんて情けなくはないでしょうか?

 

カネは流動性が大切です。そうでないと経済が回っていきません。稼ぎたい時に仕事があって、頑張りに応じてカネを得られるようでなければなりません。そのカネを何時でも好きなものに変えられるのが理想の姿です。現代の日本では、カネが入ってくる手段が減り、さらにカネ自体も減っているのです。入って来たカネも使いたがりません。インプットもなければ、アウトプットも無いという状態です。

コスト意識が高い日本人は、雇う人を厳選しています。採用するにあたって失敗はしたくないのです。あるいは絞れるだけ絞って使い捨てることを考えています。バブル崩壊で、株価は下がり不動産も売れなくなりました。30年以上経ったのに、日経平均株価は未だにバブル期の高値を超えることができません。法人や個人も投資には慎重なのです。バブル崩壊という失敗を総括できず、そこから学んでもいません。ただ「損をしたくない」という気持ちだけが続いています。

 

誰もが容易に仕事を得られて、カネを稼げる社会が必要です。そうしてまともな消費や貯蓄、投資ができるように日本人にリテラシーを身に付けさせることも必要です。

 

投資や投機に依らずとも、貯金でカネが増えていかねばなりません。けれども、日本の金利は低いままです。これ以上は下げられません。かといって、少しでも上げたら日本国債は暴落してしまいます(投資家が金利の低い債権から乗り換えるため、またそれを見越したカラ売りが入るためです)。外国人は日本国債をほとんど所有していませんでした。それどころか、カラ売りポジションをとって日本国債の暴落を待ち構えていたのです。

それでも日本は毎年多額の国債を発行しています。それを日銀や日本の金融機関がお義理で買っています。銀行の資産や年金の運用も、多くは国債に頼っているのです。今の日本は、タコが自分の足を食って生きながらえているようなものです。

法人税は上げられないので、個人から搾り取らなければなりません。日本人全てが貧乏になるまでこれが続きます。戦争など起こさなくても日本は勝手に自滅していくのです。日本人は全員一蓮托生なのです。

中抜き企業やゾンビ企業、無駄な役人や政治家の存在を黙って見ている場合ではありません。日本には彼らを養っている余裕などないのです。

 

外国人が日本国債を買わなかったのは、金利が低いからではありません。日本に未来が無いと見ているからです(最近の国債日本株の売買は、金融緩和であり余った金を用いて短期で利ザヤを稼ぐためです)。

抜本的な改革が必要です。今までは雇用の流動化と言いながら、非正規雇用で誤魔化してきました。これからは、存在する価値のない法人を潰し、出来の悪い正社員を解雇し、賃金を上げ、雇用を増やし、外国人をもっと受け入れるべきなのです。

日本人自身が未来への希望を抱いていなかったら、この国はどうなるでしょう。未来を信じているのだったら、いま行動すべきなのです。

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