「ニッポン」という言葉は単なる国の称号ではありません。外国語には到底翻訳出来そうにない、独特なイメージの複合体を繋ぎ止めている、日本人にとって大切な記号なのです。
日本は田舎者や百姓の集まりのようなものですが、そうした国に住む無力な個人でも、「日本」を笠に着ると途端に無限の価値を自身が帯びたように感じます。根拠は不明で、「理屈じゃない、とにかく俺たちは偉いんだ」となります。
西洋人にしたって、優れた奴も居るが反対に駄目な奴も多く、総じて見れば日本人より劣ると考えています。「アメリカには○人とかプエルトリコとかメキシカンとかがいて、(IQの)平均は低い」となるのです。アジアの隣国となるともはや、個人としても国としても下劣で、人よりも犬に近いようなものと認識されています。しかしそうは言っても隣の国が気になって仕方がなく、些細な事でも報道を執拗に繰り返します。「あんな国に比べたら我々の国は余程ましだ」と思いたいのです。外国人の日本に対する印象が本当は、サムライ、ニンジャ、女子高生、JAV、Hentaiであっても、彼らは高いセルフイメージにご満悦です。
日本人を、例えば自然言語からその価値を換算し、数字を弾き出す関数と考えてみます。日本に関連したような言葉を投げ込むと、その価値は無限大に発散します。今度はアジアの隣国に関する言葉を入力してみるとゼロに限り無く近い値が返って来るのです。何とも大雑把な関数ではありますが、日本では全ての物事に上下関係が明確に定まっていないと社会システムが安定しませんので、個人も社会も、こういった価値判断をするのです。
日本人は「we japanese~」とか「普通の日本人ですが~」とか「私は~だと思います」とか、小学生の作文のように、いちいち構えないと何も言えない人々です。そうして虚飾に覆われた言葉を発し、それを真に受けた外人によって誉められているうちは良いのですが、いざ外国人から批判的な事を言われると、病的に気になり「悪口を言われた」と皆で大騒ぎをします。何時もは、外国籍の人やハーフの人を外人扱いするのに、都合の良い時だけ日本人扱いをして、日本のイメージを高めるのに利用してやろうとも考えます。
昨今は「移民」も増えてきました。外国人労働者は、嫌悪と侮蔑の対象であり、低賃金で重労働を肩代わりしてくれる都合の良い道具であり、準犯罪者として当局が厳しく取り締まる対象です。わざわざ面倒を見てやっているのに、彼らは度々脱走したり自殺したりします。さらにあろうことか、涙を流しながら窮状を訴える彼らの姿が外国で報道されてしまう事があります。あれだけ親切な事をしてやったのに、何たる仕打ち! なんと可哀想な私達なのでしょうか! 日本のイメージをぶち壊そうとする悪辣な陰謀です。
日本人は表面のイメージだけを綺麗に糊塗して満足します。外見しか気にしていないのに「性格や中身が大事」とか言ってしまう人々です。
日本人が良く使う言葉で「一言でいいから謝って欲しい」というのがあります。実際のところ「御免」で済むはずがありません。しかし本人はそう信じ込んでいるのが日本人の困ったところなのです。「私はたったこれだけしか望んでいない」という謙虚さを示すポーズを無意識のうちにとっているのです。
災害時には、避難経路や避難場所も確保できていないのに避難警報を出して人々を急かしながら、最後は「自分の命を守って!」と放り出してしまいます。策が無いのなら初めからそう言えば良いものを、気遣っているような振りをしているからたちが悪いのです。
表面上は、美しい国に住む素晴らしい人々となっていますが、実際の中身はドロドロです。人々は隣人とにこやかに付き合う一方で、陰で悪口を言い憎み合っています。大方の日本人は職場で一人の時間を楽しんでいます。日本人はごく親しい仲間や家族を除いて、お互いにうんざりしているのかもしれません。
良い学校に通って良い就職先を見つけ、貯金を貯めて家を買い、退職金と年金を満額もらって良い老人ホームで余生を過ごす、収入の違いはありますが、これが日本では最も安全で無難な人生です。しかしちょっとでも気を抜くと転落してしまいます。
世間で優秀と看做されている職種の人々は「保身」で動いています。彼らはリスクが見えているからこそ慎重です。気付かれないように上手く周りを利用し、敵に罠を仕掛け偽装工作をし、自分に有利な証拠を残して、賢しく立ち回るのです。
しかし人々は、ネガティブな現実に囲まれたままで生きていく事は出来ません。どうしてもポジティブなイメージを心に抱いていないと精神のバランスを崩してしまいます。そうした日本人の希望や期待を一身に背負っている言葉が「日本」なのです。
彼らは「ニッポン」という美酒に酔いしれ、恥ずべき過去や深刻な未来、現在を忘れて、日々の生活へと戻っていくのです。
「外国人に対して乃公(おれ)の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。」
夏目漱石「現代日本の開化」
「誰も口にせぬ者はないが、誰も見たものはない。誰も聞いた事はあるが、誰も遇った者がない。大和魂はそれ天狗の類か」