社会システムは、秩序を保ち、生産活動を成さしめ、構成員が出来得る限り幸福を感じられるような環境を整備する為に存在します。ところが本来とはかけ離れた目的で動いているのが日本のシステムなのです。
この国では、庶民が余計な事をしないように規制するためにシステムは存在します。彼らは上からの指示に従い、ただ横並びに動けば良いのです。「バカ、余計な事をするな! お前は言われた事だけをやっていればいいんだよ」という訳です。
彼らは、理性的存在が共通して備えているはずの良識ある理念や自然法が、頭からすっぽり抜け落ちているような人々なので、ほおっておくと何をしでかすか分かりません。だから上の人間が何をするかいちいち決めて指示をしなければならないのです。
人々はお互いに牽制し合う一方で、上に位置する人間が働かずして利益を食むための巧妙な搾取システムも存在します。
これらは、物事を効率良く動かす為のシステムではなく、人々が勝手な動きをしないように監視し抑制する為のシステムです。ひとつの体制が長く続けば続くほど、社会全体の動きはどんどん鈍くなっていきます。アングラだけが活況を呈していても、そのうち規制が進む事によって、社会はいずれ死を迎えます。
既に日本では、目的を理解せず、ただ上から言われた事柄やルールに黙々と従うだけの人間ばかりが存在する国となってしまいました。
マイナンバーカードが出来た頃、その利点やリスクを何も解せずに、ただ送られてきた封書の内容に従ってカードを申請した人が居ました。「何のためにそんな事をするのか?」という疑問も理解も全く無いが、ただ言われた手順に従って、写真を用意し住所や名前を書く知力と、「何かタダで貰えるらしい」という欲だけは備えていた人達だったのです。笑ってはいけません。程度の違いこそあれ同じような手合いはこの国に多いのです。
法曹関係者が「被告人は無罪の証明を!」と述べたりSNSに書き込んでしまいます。下の人間が原稿を書いて、何度かチェックを経た上で準備したはずの文章でさえこれです。試験で推定無罪の原則に関する問題が出てくれば正しく答えられるが、「せいぜい無罪の証明が出来るように頑張れ。まぁ無理だけどな(笑)」という日頃の認識が、図らずも表に出てしまったという所でしょうか。ルーチンワークから外れると途端に杜撰な作業しか出来なくなり、ボロが出てしまいます。
この国は、中国や西洋から輸入したシステムを表面上は取り入れて来ました。ところが彼らは相変わらず、仲間内だけで利益を食む「ムラ社会」の原則で動いているに過ぎません。
普遍的な人間に対する真の共感力が欠けていて、規則に従う事しか出来ないので、仲間以外の人々に対して、非人間的なルールが機械的に適用されてしまいます。「ソト」の人々や下の人間の精神力と時間は無限であり、いくらでも消費する事ができ、いざとなれば、その命は使い捨てにすべきものだと思っています。
社会システムのみならず、彼らは基本的に、世界の本質や法則に目を向けて、新しい工具や機械を発明する、新しい考え方や仕組みを造って世界に貢献する、といったことが出来なかった人々です。
現代はモノマネが通用しない時代です。物自体ではなく、新しい考え方やデザインそのもので勝負する世界になりました。それなのに研究費は無駄なコストとして削られる一方です。そして未だに彼らは、役人の指示に従って一斉に動けば儲かるのだと考えています。しかしこれからは、誰かに従うだけで自ら考える事が出来ない人間や国は、衰退し世界から退場せざるを得ないのです。
それでも人は、従来のシステムの中に居続けることで安心してしまう生き物であり、生き方や身の周りの環境を変える事は難しいのです。例えそこが刑務所であったとしてもです。