kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

英雄が消えた世界

現代の世界には英雄がいません。なぜでしょうか。そもそも英雄とはどんな人々なのでしょうか。

 

英雄とは自分を犠牲にしても人々のために戦う者のことです。たとえ名誉以外に自分への見返りがなくとも他人の為に大きなリスクを冒す人です。

 

ギリシャ神話のアキレウストロイア戦争に加われば命を落とす事を知っていました。それでも長寿を全うするよりは英雄として死ぬ事を選んだのです。

ケルト人のウェルキンゲトリクスローマ帝国ガリア侵略に抵抗しました。そしてローマ軍に捕らえられカエサル凱旋式の後に処刑されました。しかしフランスにおいては彼は今でも英雄です。

英雄は歴史や神話の人物に限りません。たとえ名も無い人であっても人々の為に立ち上がり戦い死んだのであれば「英雄」なのです。

 

しかるに現代の人々はどうでしょうか。リスクは冒さずにリターンだけを頂こうという人々ばかりです。その代表的な例が官僚です。現代はある意味で多くの人々が官僚化してしまっている社会だといえるでしょう。

 

官僚化についてもう少し考えてみましょう。官僚化した組織や人々は「世の中が予測可能なものである」という前提に立って動いています。前例がこうだった。だから同じパターンで対応すればよい。そういった考えです。

これは官僚だけに限りません。大企業の経営者も同じです。この商品によってこれだけの売上と利益が出ている。だからもっと売れば儲かる。コストを削減すれば利益率が上がる。こう考える人々です。

 

しかし予測可能な世界というのは、世の中の極めて狭い領域における僅かな期間でしか成立しません。自然界のほとんどは予測不可能な世界なのです。なるほど数年といった単位ならば何も変わっていないように見えるかもしれません。しかし時間軸を伸ばせば思いもしなかったような大きな変化が突然起こっているのです。

2011年の東日本大震災は日本に大きな被害をもたらしました。放射能汚染という不可逆的変化もおきたのです。それだけではありません。地球の地軸がずれ、自転速度も遅くなりました。これも決して元に戻ることのない変化です。

 

日本は第二次世界大戦後に大きな経済的成長を遂げました。終身雇用制度の中で誰でも安定した生活を送ることができました。自分の身の回りが豊かになっていく事も実感できました。しかしこれは日本の歴史の中でも例外的なものだったのです。

戦前は終身雇用制度などはありませんでした。数十年に及ぶ経済成長も初めてでした。そしてそれは日本人の優秀さとは何の関係もなかったのです。

現在の日本経済は縮小しており人々は急激に貧しくなっています。しかしながら急に日本人が馬鹿になったわけではないのです。

 

世界は変わりました。我々日本人は以前と同じような生き方を続けるわけにはいかなくなったのです。予測不可能な世界においてはリスクを積極的にとる人達が必要です。多くは失敗します。けれども試行錯誤によってしか新しい発見は生まれないのです。

 

日本においてはリスクをとるような人は頭のおかしい人間だと見られています。あるいは一発逆転を夢見る山師のような扱いです。空気を読みながら要領よく泳ぎ渡るのが賢い生き方だと多くの日本人は誤解しているのです。日本人がとりわけ臆病な性質である事もこれに拍車をかけています。

 

そうはいっても、リスクをとらない官僚や経営者をこれ以上野放しにしておく事はできません。日本が破滅してしまうからです。リスクをとらない人に対してはきちんと失敗の責任をとらせるようにしなければなりません。

 

「シサムネスの皮剥ぎ」というオランダのヘラルト・ダヴィトが描いた15世紀の絵があります。賄賂を受け取った裁判官シサムネスをペルシャ王が皮剥ぎの刑に処している場面です。王は、後任の裁判官となる息子にも刑罰に立ち会わせて汚職行為への警告としたのです。

 

死刑や残酷な拷問は禁止すべきです。しかし高位の権力者となると話は別です。不正は無論のこと、善意で過ちを犯したとしても死に至らせるべきなのです。臆病で何もしなかった者も同様です。本来そのような覚悟がなければ権力を握ってはならないのです。

 

昔の王や領主はリスクを負っていました。統治に失敗すれば死が待っています。しかし革命以前のフランスのように貴族達が王宮に集められると彼らは官僚化し、リスクを負わずに贅沢な暮らしだけを追求するようになったのです。彼らはその後に大きな代償を払うことになりました。

 

権力者や英雄は血を流さなければなりません。戦争を始めたのならば、最前線に赴くか自分の息子をそこへ送らなければなりません。アレクサンダー大王もナポレオンも常に最前線にいました。失敗したのならば衆人が見守る中で血を流して死ななければならないのです。

 

もっとも戦争に限って言えばこれは比喩的なものです。というのも現代の戦争では最前線で生身の人間が戦う事の意味が薄れているからです。ドローンやロボットを利用した自動化も進んでいます。また戦争を始める為の大義名分や戦争自体に薄汚いイメージがまとわりついているという理由もあります。さらに不注意に戦争を始めれば第3次世界大戦となって世界の文明が滅んでしまうかもしれません。

自国の栄誉や利益を追い求めるには、戦争はあまりにも代償が大きなものとなっているのです。それと同時に戦争で手柄を立てる英雄というイメージも時代遅れのものとなってしまったのです。

 

しかし大きな責任を担う者は血を流さなければならないという真理は変わりません。

一度試験に合格してしまえば、その後は決して適格性を問われる事もなく何をやっても良いという人間の存在を許すべきではありません。あまりにも多くの国民が死んでいきました。血は血によってしか贖えません。

 

少なくともこのような人間が大勢いて日本を食い物にしているという状況は即刻是正されるべきなのです。個人の利害や感情とは一切関係なく「そうあるべき」だから「そうしなければならない」というだけの話です。行動を伴わない思想には意味がありません。

 

利益だけを貰い失敗の責任を逃れられるシステムが生まれた事が現代社会に悲劇をもたらしています。我々は今のような世界が永遠に続くと思い込んでしまい、指導者として保守的な人間を選びがちです。

しかし文明は螺旋状に発展していくものです。そうでなければ困難な坂道を登る事はできないのです。「自由」「平等」そして「平和」を守るためには時に物理的な力が必要となるのです。

 

英雄というのは身銭を切る人のことです。そのような人間だけが上に立つ資格があるのです。けれどもそうした英雄であっても、もし仮に失敗した場合には「稀代の極悪人」として裁かれるのです。

行動学入門 (文春文庫 み 4-1)

身銭を切れ――「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質