kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

定期的なガラガラポンが必要な日本社会

日本人は、世代を超えて良いものを伝えていくことができない人達です。自ら進歩することができません。改革を実行しても、ほんの一世代しか持たないのです。腐敗が進行するため、40年〜70年ごとに新たな改革が必要となるのです。

 

日本が完全に中央集権化したのは明治時代からです。それまでは地方が相争い、内戦が絶えませんでした。江戸時代でさえも、幕府が庶民を直接管理していた訳ではないのです。明治以降の中央集権化と改革により、国としては大きな成功をおさめました。けれども長くは続きませんでした。大正デモクラシーが終了した辺りから、日本は破滅へと向かっていったのです。

敗戦後は米軍による統治が始まり、官僚による中央集権構造はそのままに、経済的発展に邁進する国となりました。ところがそれも長くは持たず、1990年前後のバブル崩壊を契機に、日本は凋落を続けています。

戦後体制が出来上がってから既に70年近く経ってしまっています。日本は構造的に腐敗を抱える国となり、立ち行かなくなっています。もはや国の体をなしていません。

 

為政者は自分たちの時が短いのを知っています。今のうちに自分たちだけが生き残る体制を作ろうと必死です。もはや彼らは牙を隠そうとしていません。増税インフレ貯蓄から投資への誘導により、国民の資産を根こそぎ収奪するつもりです。それをサポートする強力なツールがマイ○ンバー制度なのです。

 

「俺のものは俺のもの、お前の物も俺の物」「カネを使わないのなら、俺たちが奪ってしまえ」という訳です。日本人がくたばっても、後釜として北朝鮮から大量の移民を連れてくるだけの話です。彼らにとっては、従順な奴隷であれば何処の国の人間だって構わないのです。もしもこの状況に気づいていない人達が居たとしたら、それは相当にお目出度い人々です。

彼らの現在の姿は、黙示録12章にある次の言葉を思い出させます。「悪魔とか、サタンとか呼ばれ、全世界を惑わす年を経たへびは、地に投げ落され、その使たちも、もろともに投げ落された」「おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである」 彼らはカルト教団と一体なのですから、サタンに例えるのもそれほど的はずれなことではないでしょう。

 

日本人はそのうちに、コメの代わりに草を食むようになるでしょう。冗談を言っているのではありません。戦争中に飢えで苦しむあまり、雑草を探して食べていた日本人は多かったのです。日本に希望はなくなります。海に飛び込み「水漬く屍」、樹海をさまよい「苔むす屍」となる他はありません。

最近の日本人は「優しい」と言う人がいます。優しいのではありません。気力の抜けた鈍感な間抜けです。周りに合わせて動いているだけです。環境の変化に気づかない茹でガエルです。最後は自ら首を括ることになるでしょう。

 

日本人は、なぜ世代を超えて知識や知恵を伝えることができないのでしょうか。

ひとつには、彼らの抽象的能力に限界があるからです。抽象的能力が欠けているのは、言語機能が劣っているためです。彼らの言語には、システマティックな文法がなく、単語を好きなように並べることで、原始的なコミュニケーションをはかっています。

さらに彼らは、文章や単語、助詞をどんどん省略化し短くしていくのが大好きです。長い文章や単語を扱うのは負担であり耐えられないのです。こうして彼らは、ますますお互いに何を言っているのかわからなくなっていきます。それでいて表面を取り繕う美麗辞句や言い換えだけは発達していきます。

 

世代を超えて知恵を伝えるには、学んだ知恵のエッセンスを原則という形で書き残す必要もあります。例えば世界でもっとも読まれた書物である聖書は、世代を超えて受け継がれるべき大切な原則をまとめた書物です。フランス革命後の人権宣言や、アメリカの独立宣言などもそうです。

これらが礎となって、近代的な法の支配が作られているのです。彼らは原則の大切さをわかっています。だから高度な教育システムにより、知恵や知識を大事に次世代へと引き継いでいるのです。もちろん原則といえども完全ではないので、必要に応じて修正されたり追加されたりします。それが進歩というものです。ヒトは単なる進化した生き物というだけでなく、自ら文化や社会を進化させていく存在なのです。

 

ところが日本はどうでしょうか。彼らには原則などありません。理想をもって決めたはずの憲法も、あちこちを弄くり回して骨抜きにしようとしています。原則を持とうとしないで、当然のごとく、法の支配もありません。ただの見掛け倒しです。

日本では、個人的で恣意的な権力によって物事が決まっていくのです。原則や法による支配とはまったくかけ離れたものです。

 

さらに悪いことに、彼らは段階を踏んで抽象化していく能力に欠けています。だから表面的な原因究明、その場限りの解決策しか思いつきません。原因を遡って追求し根本的な原因と解決策を見出すことができないのです。いきおい泥縄的な対応ばかり打ち出すようになります。歴史から学ばないだけでなく、経験からも学べないのです。

与えられた日本国憲法も、彼らにとっては飾りでしかなかったのです。そこから進化していく事ができませんでした。自分たちにとって都合の良いように換骨奪胎を繰り返したのです。

 

加えて彼らは不誠実です。ウソと誤魔化しばかりを述べます。公に報道されるものだけでもそうなのですから、実際にはどれほどの悪事をなしているのか想像がつくというものです。「ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である」(ルカ16章)と書かれてある通りの連中です。

 

彼らは資本主義陣営の一員だと自称しますが、実際には昔ながらのムラ社会の力学に基づいて動いています。株式を発行しておきながら、株主の利益を尊重しません。取締役会がありながら、社長を取り締まっていません。狭い自分たちのムラのことしか考えていないのです。表面をそれらしく装いながらも、実際にはウソと誤魔化しばかりなのです。

 

日本は中央集権国家を作ることで、国として一時的な繁栄を手に入れることができました。しかし国民にとっては、中央集権は災いとなったのです。日本人には、昔ながらの群雄割拠状態の方が合っています。とはいえ、もう後戻りをすることはできません。それならば、今の中央集権システムを新しく作り変えるしかないのです。

 

方法はもちろん法に則った穏やかなもので構わないのですが、見せしめは必要です。

大久保利通は、政敵である江藤新平が反乱を起こした際には、自ら陣頭指揮を執り強引な裁判で江藤を打ち首にしました。そして生首の写真を全国に配布したのです。今に至るまで、江藤新平を主人公とした小説やドラマはほとんど存在しません。それほどの効果があったのです(江藤の死によって日本の司法制度は大きく歪むことになりますが、それはまた別の話です)。

それに比べると西郷隆盛は優しすぎました。徳川慶喜の首は切り落としておくべきだったのです。戦後も同じです。戦争犯罪者はことごとく吊るしておくべきでした。そうしなかったから日本人は戦後を総括することができませんでした。さらに悪いことには、裏のシステムが温存され戦争犯罪人の子孫によってそれが悪用されることとなったのです。

 

その昔、栄華を誇ったローマ帝国も、カエサル独裁官となってから没落していきました。カエサルが亡くなっても、崩壊した共和制は二度と元には戻りませんでした。一度でも独裁制が生まれてしまうと、もはやその社会システムを改善するのは難しいのです。そのシステムによって利益を得る人間が大勢いるからです。

日本も同じです。独裁によって形ばかりであった三権分立が全く機能しなくなりました。マスコミや学者は下卑た三下となりました。政権を監視し進言する役割を放棄したのです。都合の悪い統計データは改ざんされ、国内の災害ニュースさえもまともに報道されないような国になりました。これからも疫病や飢餓で多くの日本人が死ぬことになるでしょうが、それを正確に知ることはできないのです。

三文文士やショボい商業音楽家、お笑い芸人や自称「アーティスト」のような連中さえも、尻尾を振って既得権益に媚びるのに必死です。もともと才能の欠片もない屑どもでした。国民から収奪した富に群がる蝿や蛆虫のような奴らです。

 

自動車会社の経営者も、権力者と緊密に結びつきながらガソリン車を作り続け、庶民に売りつけようと必死です。

千葉県に高級スポーツカーを所有する人々の為のサーキットが作られました。これからのガソリン車は趣味で乗るようなクルマとなるのです。乗馬と同じです。維持できるのはそれなりの財産を持った人達だけです。あるいはインフラが発達していない僻地で使うための特別な乗り物となるのです。庶民にこれからもガソリン車を提供し続けるという選択肢はあり得ません。ましてや水素インフラだなんて笑わせてくれるではありませんか。本体価格が安くて維持も簡単なEV車しか選択は無いのです。そのためにEVスタンドの設置を早急に行う必要があります。

このままだと、地方に住む貧乏人はガソリン代や維持費を払うことが出来なくなります。彼らは電動キックボード(笑)や自転車で移動するようになるでしょう。輪タクや人力車の復活もありえるのです。

 

独裁によっていい目を見た既得権益者が群がって、自分たちだけの利権を得ようとしているというのが、現在の日本の姿です。独裁システムが出来上がってしまったので、どんなに無能な者でも、その地位にあれば好き勝手にできるようになったのです。

外国のカルト教団とも結びつき、庶民を虐げる反日的な政策を続けています。日本はいま大変な危機に瀕しているのです。

ネトウヨや威勢のいい事を言う政治家を愛国者だと勘違いしていないでしょうか。連中は寄生虫です。軍隊や警察組織は庶民を守るためにあるのではありません。愚民から上級国民を守るために存在しているのです。

 

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ 大和魂」「一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる」

このような真に国を愛する人々が、今ほど求められている時代はありません。

天地、男あり――明治日本の礎を築いた志士・江藤新平(22世紀アート)

肩をすくめるアトラス 第二部 二者択一