kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

子供を産むのは望ましいことなのか

子供を作るという選択は人間にとって望ましいことなのでしょうか。

 

日本で幼い子供を育てるというのは大変なことです。日本は他人を助けない社会です。基本的には知らんぷりです。その代わりに自分に何か迷惑がかかると激しく怒り出す人達です。このような社会では当然のことながら、他人の力をあてにすることができません。普通の人間が備えているような優しさを期待することはできないのです。さらに、子供や障がい者といった弱者には、ことのほか厳しい社会です。

 

まともな大人となるように教育を施すのも大変です。ある程度の収入が得られるような人間にまで育て上げるということです。現代は中流階級が没落していく社会です。全てを手に入れる上流階級になるのか。あるいは底辺で蠢く虫けらになるのか。そのどちらかしかありません。

 

学校教育だけでなく、いろいろな経験も積ませる必要があります。けれども、我が子を冷静に見てください。それに値する子供なのでしょうか。大抵の人間は、自分と釣り合った相手と結婚します。そうして、同じ程度の子供が産まれてきます。現代は全てがお金で測られる社会です。もし自分もパートナーも大した人間で無いのであれば、それ以上の人間になれると考える根拠はなんでしょうか。 自分で見通せもしない目標を達成することはできないのです。

 

子供を産む以前に、パートナーとの相性という問題があります。日本人の平均余命は短くなっていますが、それでも未だ長生きな方です。眼の前の相手と結婚して、そこから60年以上に渡り一緒に暮らしていくことができるでしょうか? 職場なら同じ相手と何十年も一緒ということはあり得ませんが、家庭ではそれが前提となるのです。

 

いま相手と上手く行っていないのなら、これからも上手くはいかないでしょう。どこかで妥協するか、あるいは決断をしなければなりません。稼いでいるパートナーが定年間際で亡くなってくれるのが一番いいのですが、その保証はありません。死ぬまでずっと顔を突き合わせて暮らすのは果たして天国なのでしょうか。それとも地獄なのでしょうか。

 

子供がいれば寂しさが紛れるというのは幻想に過ぎません。結婚しても子供が居ても孤独なのは変わりがありません。孤独かどうかといのは、畢竟、自分の捉え方や感じ方に過ぎないからです。

 

日本人は他人に冷たい一方で、いったん身内だと思うとベタベタくっついてしまう傾向があります。こうなるともはや自分と他人の区別がつきません。自分の好きなように相手も動くべきだと考えています。人権などという概念は頭の中にありません。子供の命さえも自分のものだと思っています。子供や格下のパートナーは絶対に逆らわない奴隷でなければならないのです。

逆に、パートナーに養ってもらおう、幸せにしてもらおう、子供から元気をもらおうなどと考えているのも間違っています。

 

日本という国の特殊な状況も考えなければいけません。外国から大量の移民を受け入れない限り、この国に未来はありません。反対に、外国に出て行きそこで生活するというのは、それはそれで大変なことです。もし移住すべきだと考えているのなら、もう既にあなた自身が移住の計画を進めていなければいけないのです。自分の夢を子供に託すということほど愚かしいものはありません。

 

個々人の気持ちに分け入ってみると、どうしても子供を産みたいという人もいるでしょう。仕事をしてそれなりのキャリアを持ち、それなりの相手と結婚をして、子供を作るという一連の流れを、人生における勲章のように考えている人もいます。

 

最後に、人間として子供を産むというのはどういうことなのか考えてみましょう。

すべての生物は自分の遺伝子を残すために存在している。だから出来るだけ多くの異性と交合し、多くの子孫を作らなければならない。これが普通の考え方です。小難しく考えなくても、本能に従って生殖行為をして子供を産み育てるのは自然の姿と言えるでしょう。

とはいえ、人間は動物としての本能に従わなくてはいけないというわけではありません。人間の脳は、動物的な古い脳の上に新しい皮質が覆い被さるようにして進化してきました。理性を持つところが他の動物とは違います。ときに、自分の意思によって生存本能を抑えることさえできるのです。「友のために自分の命を捨てること。これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と書かれているようなことです。

 

自由意思によって子供を作らないのも、当然尊重されるべきです。結婚しないことによって、あるいは子供を作らないことで、代わりに手に入れられるものがあります。子作りや子育てから解放される時代が到来しているのです。

女性の骨盤は時代とともに狭くなり、子供を産むのには適さなくなっています。人間自身がそれを望んで選択を繰り返した結果です。また日本では、男性は女性化し、女性は男性化しています。どちらも大人しくて覇気がなく、飼いならされた家畜のようです。人間自体も文明があることを前提とした生き物になってきているのです。もし今の文明が崩壊したら、僅かな人間しか生き延びることはできないでしょう。

 

人間は本能に左右される存在でしたが、そこから次第に自由になりました。現代においては、人間が拠り所にしてきた理性でさえも、AIに委ねられるようになってきています。人間に残されているのは、理念や宗教、倫理観といったものだけです。そしてその倫理や宗教は、人間だけではなく他の動物や地球環境をも含むものになるでしょう。

 

生殖行為から自由になるというのも喜ばしいことです。子供を作るだけなら幾らでも他に方法があります。

そもそも人間という種が、これからも生存し続けるべきだという決まりは無いのです。人間が作り上げた文明だけでなく、地球や太陽系、宇宙でさえも束の間の存在に過ぎません。全ては、エントロピーの法則に従い塵に帰る存在なのです。そんな中で人間だけが、永遠に存在すべきだと考えるのは意味がないのです。

それでも「かつて人間が存在した」という痕跡を残したいのなら、人工知能や、あるいはまた別の理性的存在に、未来を委ねるという方法があります。その時こそ、人間は自身の本能から完全に解き放たれた存在となるのです。

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