kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

お笑いが日本に与えた悪影響

日本のお笑いは独特です。社会の歪みをそのまま表しているからです。その病的な傾向に、さらに拍車をかけているのです。

 

日本のお笑いは、弱者を嘲笑う所に特徴があります。ボケとツッコミがいて、ボケの発言を取り上げ、馬鹿にしたり、頭を叩いたりするわけです。コメディではなく、ユーモアやウイットも感じられません。エスプリも皆無です。

思考力を持った人間が知的な遊戯を試みているのではなく、動物園にいるサルが滑稽な騒動を繰り広げているようなものです。

お笑い芸人がピンでいるときは、一般人を採り上げます。素人の観客を舞台にあげ、茶々を入れながら、彼らがオロオロするさまを衆目に晒すのです。弱者を食い物にしていますが、最下層に位置する弱者が喜んで見ています。

 

その一方で、彼らは権力を批判することは絶対にしません。社会批判もしません。時事ネタも採り上げません。何かの切っ掛けで権威を失い、落ち目になった人間だけは喜んで叩きます。そういった感覚だけは優れています。

あえて弱者を笑うことで、社会の歪みや矛盾を提示するという高度な手法があります。けれども、彼らの笑いはそういったものではないのです。

真剣に何かを議論している時でも、芸人はまったく違う観点で笑いをとります。その結果、すっきりしないまま、その議論が終わってしまいます。「難しいことを考えるのは格好悪い。楽しければいい」という考えです。彼らは国の知的水準を引き下げています。

 

彼らの笑いは、「お上に楯突いたところで勝てはしないのだから」という日本人の性質にぴたりと合っています。その代わりに下の者をイジメて鬱憤バラシをするのです。彼らは「虐めは良いことだ」というメッセージを、繰り返し公衆に流しています。

学生運動と入れ替わるように、こういった下等なお笑いがテレビに登場しました。「我々は豊かになっている。理想を語ったり、お上に楯突いたりする馬鹿なことはやめて、今の生活を楽しもう」という流れに上手く乗ったのです。

 

彼らは、まず「弱いもので叩ける奴はいないか」と探し回ります。それが無かったら、次は、自分自身を笑いの対象とします。そうして年次の高いお笑い芸人にイジってもらうのです。そうして卑屈な笑いを浮かべます。プライドも何もあったものではありません。けれども、名を知られたお笑い芸人は毎日テレビに出て、高給をもらっています。芸人が一端のコメンテーターや司会者になって、政治経済を語るようになりました。お笑い芸人は、庶民の尊敬を勝ち得たのです。

 

さらに悪いことには、他の司会者や「文化人」もお笑い芸人を真似るようになったのです。弱者を切り捨てるような極論を述べて、視聴者の笑いをとります。有名大学で教鞭をとるものや「お嬢様」が、そのような事を述べて人気を博しています。

彼らは、岩戸隠れのアメノウズメのように、下界に降りてきて卑猥なダンスを踊る神々です。彼らのメガネや着ている服までが芸人風です。

 

日本人は無意識のうちに、お笑い芸人の影響を受けています。友達とのやり取りでも、相手をからかって周囲を笑わせようとします。さすがに、1対1でそんな事をする勇気はありませんが、周りに人が居ると、こういった行動に出ます。これが彼らの「友情」です。

自ら進んで馬鹿なことをして笑いをとるような人間さえもいます。人生においてもボケ役に徹しているわけです。日本の宴会では、醜態をさらして皆を喜ばせるという習慣があったのです。

 

日本では上か下かという序列ですべてが決まります。誰かを喜ばせるためには、誰かを下にしなければいけないのです。

人間は思いも掛けなかった落差に対して笑いを感じます。上の立場に居る者、魅力ある外見を持った者、そういった人々が馬鹿なことを言うと、平凡な人間は喜びます。極論を述べると「俺たちが言えなかったことを、よくぞ言ってくれた」と手を叩いて喜びます。

 

面白いことに日本人は、自分よりも相手が下だと言う言葉が、最大の侮辱であり、攻撃であると考えています。彼らにとって「身の程をわきまえろ」と言われることが痛恨の一撃なのです。

日本にはいろいろな序列が用意されており、それを繰り出して相手をやり込めようとするのです。そのような根拠らしきものを出してくるのは未だマシです。酷いのになると、ただ「お前は下だ」としか言っていない場合さえあります。

SNSでのやり取りを見ていると、日本人は全く支離滅裂です。論理的な反論が一切できずに、ただ「俺が上だ、お前は下だ」「日本は上だ、○国は下だ」と言っているのです。

日本には多くの人々によって検証された絶対的な基準というものが存在しません。だから、言ったもの勝ちです。科学的事実でさえ、科学者自身によって捻じ曲げられてしまいます。偉い人が言えば正しいことなのです。

彼らは本質を決して理解できず、些細な部分や単語に反応してしまうのです。本質を見れない人は、表面ばかりを気にします。だから表面しか批判できません。表面だけを見て笑います。

 

日本を変えるためには、下劣な笑いを浄化する必要があります。お笑いは弱者を攻撃し、世の中に害毒を撒き散らします。芸人は権力に阿諛追従し、進んで太鼓持ちとなります。教育改革などよりも先にやらなければいけないことです。

 

そもそもお笑い芸人は、テレビや寄席でしか活躍できない人々です。国民がテレビを見なくなれば、彼らの居場所はほとんどなくなります。テレビがお茶の間に提供している独特のライブ感があればこその存在だからです。

芸人のお笑いは、繰り返される動画では到底見るに耐えません。彼らは、日々の退屈なお茶の間の中で習慣的に消費されているだけです。生産的なものは何も生み出していません。存在価値のない人々です。もし検察が握っているネタを使えば、彼らを即座に一掃することもできるでしょう。

 

芸人は存在してもいいのですが、分不相応な地位を奪い、与えるカネもふさわしいレベルに戻すべきです。小さな寄席で庶民相手に芸を披露するのが似合っています。昔の歌舞伎役者や旅芸人は、自らを河原乞食と称していました。そのような謙虚さを持つべきです。

お笑い世代論~ドリフから霜降り明星まで~ (光文社新書)

世にも奇妙なニッポンのお笑い (NHK出版新書 539)

吉本興業史 (角川新書)