kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

自己啓発が苦手な日本人

日本人は自己啓発が苦手です。これには日本人の性質が関係しています。自分を変革して環境を変えていくのではなく、環境に合わせて自分を抑えるというのが日本人だからです。日本人は自律的に進化していくことができません。いくつになっても上からの導きを必要としています。

 

世の中にはいろいろな自己啓発本が溢れています。読む価値のないものもありますが、大切な本もあります。今までで最も読まれた自己啓発本は、言うまでもなく聖書です。その他、Dカーネギーナポレオン・ヒル、スティーブン・コヴィー、アンソニー・ロビンズといった人の書いた本が挙げられます。

こういった本は、あまりにも読みやすい平易な言葉で書かれているので、却ってピンと来ない人達がいます。必ずしも理路整然としていないので、違和感を抱く人もいます。著者の持つカリスマ性や、熱狂する人々を見て胡散臭く思う人もいるでしょう。

 

ここで自己啓発本の効用を挙げてみましょう。次のものがあります。(1)まずひとつは読むことで元気付けられるというものです。自己肯定感の向上です。(2)次に日常生活を送る上での知恵を得られるというものがあります。どういった心構えや考え方を持って人生を過ごすかということです。(3)最後に、日常生活で直ぐに応用できるような些末な知識やティップスといったものが得られるかもしれません。

(1)がもっとも大事で、(2)(3)と行くに連れて重要度が下がります。ところが日本人は(3)をもっとも重要視して本を読むのです。具体的で手っ取り早い効果を得たいからです。

 

そもそも自己啓発とは何でしょうか。それは今までの考え方ががらりと変わり、人生への見方とそれに対する自分の行動が変わることです。ライフハックのような、どうでもいい細かいテクニックを覚えることではありません。ところが日本人は手っ取り早い些末な技術を求めるのです。

 

日本人にとって自己啓発が苦手な理由には、日本人の性質が特殊だということもあります。大雑把に言うと、西洋人はおだてられれば木にも登ってしまう人達です。時々凄いことを成し遂げます。一方で日本人は、鞭打った上で、絞れば絞るほど懸命に働く人々です。けれども凡庸な成果しか上げられません。ここで言う西洋人、日本人という言葉は、あくまで思考の足掛かりとしての概念です。

西洋人は自己肯定から始まり、日本人は自己否定から始まります。西洋人は楽天家で、日本人は悲観主義者です。西洋人はドーパミンが脳内で噴出するような刺激を求めます。いっぽうで日本人はセロトニンに代表されるような、まったりとした安心感を求めます。

要するに、他人から褒められたり、本を読んで元気になることで、西洋人はより良い結果を生み出すことができます。しかし日本人を元気づけようとしても上手くいきません。「日本スゴイ」に直結してつけ上がってしまうのです。よい成果を生み出すどころか、怠け始め、享楽にふけったり傲慢になり他人を見下すようになります。

 

日本人を働かせるには不安にさせるしかありません。日々彼らを脅すことで、それは内在化し、「まだまだこれじゃ足りない」と努力し続けるようになります。彼らは自分をプラス方向へと導いてくれる刺激よりも、決してマイナスにならないような安心感を求めているのです。彼らが成長や自己啓発に興味がないのも無理はありません。

日本人に対しては、褒めるのではなく、叱りつけるのです。大したことを成し遂げられませんが、決して上位の権力に反抗することがありません。奴隷としてうってつけの人々なのです。

 

日本人は日常の見方を変えてくれるような知恵を求めません。行動を変えようとすることもありません。変わることが恐ろしいのです。また抽象的な思考が苦手なので、人生における根本的な法則といったものを考えることができません。彼らはただ、「周りがやっているから」「上がこう言っているから」といった理由で動きます。それが彼らの行動原理です。自分というものが全くありません。

 

自己啓発本のひとつである、アンソニー・ロビンズの「運命を動かす」から少し引用してみましょう。心を瞬時に変える5つの質問というのが書かれています。(1)この問題の良い点は何か(2)改善の余地があるか(3)結果を得るためにやることは何か(4)結果を得るために止めるべきことは何か(5)結果を得るためにやるべき事を楽しくやる方法は何か。この5つです。

 

彼の考えは、神経言語プログラミングNLP)に基づいています。認知を変えることで、恐怖症などを治すのに効果があるとされたものです。効果は実証されていません。人間の無意識は、Aという事象が起こり、続いて別の事象Bが起こると、勝手にA→Bという因果関係を作ってしまう傾向があります。ですから、幼少期の経験がもとになって、クモを見ると恐怖を感じてしまうという事が有り得るのです。感情や不安はしばしば自身を裏切ります。

NLPの本には客観的事実と感情の結びつきを変えるための様々なテクニックが紹介されています。現在はクスリで恐怖症を治すのがスタンダードとなっています。NLP認知療法はカネも時間もかかりますし、人によって効果も異なるので、あまり採り上げられることがありません。

 

先程のアンソニー・ロビンズの5つの質問に戻ります。これらの質問は、まず問題への認知を変えることから始まります。恐怖や不安を持ったままでは問題と客観的に向き合うことさえ出来ません。だからネガティブな感情をポジティブなものに置き換えるのです。それから方策を考え、今度は自分が行動するイメージにポジティブな感情を繋げることで、最大の効果を得ようと試みるのです。上手な頭の使い方をわかりやすく説明しています。

このような前向きな感情で成果を上げようとする考えと、日本人のように、ただ決められたルールを守って現在のレベルを維持しようという考えには、大きな乖離があります。

 

こうして見て来ると、日本人には自己啓発などというものは全く無駄であるというのが分かります。そもそも自律的に動けないので、自分で何かを探し求めて啓発を受けること自体がありません。

日本人は、明るいストーリーではなく暗い未来を描いて、自分を戒めます。積極的に知恵を求め、それを自分に応用しようとは思いません。ただ周りがしている事や、上の人が言ったことに黙従して生きようとします。

日本で聖書がほとんど読まれないのは、こういった理由があります。絶対神や宗教も日本では受け入れられませんでした。絶対的な基準と個人が相対するという構造は、日本人には思いもつかないものです。彼らには世間と「お上」しか存在しません。赤ん坊のように誰かに依存しようとするので、どんなに酷く扱われてもしがみつくのです。これが日本人です。

 

かつて三島由紀夫は、日本の「安心しきった人間が大嫌いだ」と語ったことがあります。日本人は、安心する事ばかり考えている視野の狭い人々です。成長を求めない卑小な人間です。自分が安心するためには、他人を不幸にすることを厭わない、自己中心的な人たちです。仲間内の平安ばかりを追い求めて、悪手を打ち続ける愚かな人々です。

日本人は「何をしてもいい」という選択肢を見せられるとビビってしまいます。決められたルールの外に出ることができません。自由を目の前にすると萎縮し立ちすくんでしまう人間です。彼らには悠久の時間という概念がありません。その場その場の短期的な安心や利益だけを求めている動物なのです。

 

逆説的ですが、文明は、三島由紀夫の言う「非合法の暴力」により変革を繰り返して発展してきました。日本人は、死刑制度や軍隊、警察のような「合法的な暴力」は諸手を挙げて歓迎します。その反面で非合法の暴力を何よりも恐れます。ルールから外れることを避けて萎縮しています。ですが、自律的な行動がなければ何も変わりません。三島は、思想と肉体と力が矛盾なく繋がることを目指した人でした。それによって日本を変えたいと思ったのです。しかし最後は、精神と肉体の統一、そして暴力の行使自体が目的化してしまいました。

 

現実を正しく見て、自由を得るには現実から一歩引いてみることが大切です。物事を客観的に見るには、距離を置いて観察することが必要なのです。一度抽象的な世界に入らなければなりません。そうすれば覚醒できるでしょう。けれども、卑近な現実からどうしても逃れることができないのが日本人のさがなのです。

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