kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

自分の身分に甘んじる日本人

日本の社会には流動性がありません。身の程をわきまえ、与えられた地位に満足して生きるのが日本人なのです。現状を保つためならば、あらゆる犠牲をも厭いません。未来は眼中にありません。こうして衰退へと向かっているのです。

 

メインフレームスパコンを作っていた工場でのことです。東大や京大を含む旧帝大系の数学科出身者が多くいました。しかし彼らは傍流です。課長までは出世し、運が良ければ部長にもなれるでしょう。しかし上まで行けるのは東大工学部だけでした。その頃は、社長はおろか、役員でさえも東大工学部出身者だけで占められていた時代だったのです。

それは彼らも分かっていましたが、それほど責任もなく出世競争もない今の地位に甘んじているような所がありました。部署ごとに学閥があり、そこに入れば身分も約束されるのです。

 

会社内での身分制度は厳格です。末端の技術者として、高卒も大量に採用されていました。しかしながら彼らは、管理職にはなれないのです。唯一の方法として、会社が運営している学校を卒業できると「准大卒」と看做され、定年間際に課長になることができきました。しかし入学するには試験を受ける必要があり、上長の推薦も必要です。簡単ではありません。

入社時に出世の上限が決められており、それを超えて出世することは非常に困難だったのです。

 

そういった実際の身分制度とは、別なところで誇る人もいます。例えば職場で、御三家の末裔という人がいました。それはいいのですが、事あるごとにそれを口に出します。初対面の人だけでなく、いつも一緒に居る人達にまでです。返す言葉も見つからず、ただ「すごいですね」としか言いようがありません。その他にも、中世の合戦で、敵の的を見事に射落とした侍の子孫だという人もいました。

高卒の人達も、謙虚というよりは態度が高慢でした。彼らの楽しみは、大卒の新入社員をいたぶる事です。ある人は後で「実は夜間大学に通っている」と打ち明けました。「もっと大きな企業に転職して皆を見返してやる」「今の彼女よりもっと良いオンナを手に入れる」。これが彼の夢だったのです。しかし酒に酔うと暴れだします。「そんな事は不可能だ」と彼自身がよく分かっていたのです。

 

上意下達がはっきりしている社会は、ある意味、居心地がいいものです。金融関係はそういった雰囲気があります。部長以上は名誉職です。天下りもいらっしゃいます。すべてが予定調和で流れていきます。心地よいと感じるくらいです。安定した身分も含めて、何の心配もする必要がなかったのです。もし失敗をしても個人の責任にはなりません。年功序列で順調に出世していきます。報道されてしまうような大失態や刑事罰でも受けなければ大丈夫です。外の世界は知ったことではありません。組織は不滅で、永遠にこの状態が続くような気がしてくるのです。

 

こういった社会において異を唱えると、「皆で上を盛り立てているのに、なぜ水を差すのか」という雰囲気になります。影に日向にお互いをかばい合えば、困ったときには助けてくれます。麗しき互助精神があります。見えない「貸し借り」の関係があります。そのためには常に空気を読むことが必要です。目立たないように気をつけるのが大事です。悪く目立ってしまうと、和を乱した者として厳しい処罰が待っています。

 

このような常に抑圧されている社会では、息抜きが必須です。そのために弱者が必要です。心のバランスを保つために弱者を攻撃します。最下層の人達の不満は外国人へと向かいます。

だから、誰を攻撃しているかを見るだけで、その人が心理的にどういうポジションにいるのかを判別することができます。

 

日本人が理想とする平和とは、厳しい上下関係の中でそれぞれが自分の分をわきまえる状態を指します。速やかに上下関係を作り、それを保持し続けること、これこそが優秀な日本人というものです。そのためには犠牲が必要です。弱者は、社会の矛盾や歪みから来る様々なツケを払わなければいけないのです。そしてそれが当然のこととされます。

首長(くびちょう)は、弱者を叩けば叩くほど、民衆の人気を得ることができます。日本人は想像力が足りません。過去や未来を考えることができないのです。生まれてから死ぬまでの間に、いつ何時、病気に罹ったり障がい者となって、社会保障を必要とするか分からないのにです。

 

また彼らは、個人と集団との境界も曖昧です。「個」が確立されていないのに、プライドだけは高い人達です。そのために権威と自分を同一視します。弱者がくたばっても「世の中、こんなものだ」と斜に構えて平静を装っています。

独り言を言っているだけなら良いのですが、そうではありません。彼らは他人に迷惑をかけるのです。頼れる真の友人やメンターを持っていません。孤独です。それでいて幼児のように依存心が強いのです。彼らは他人の歓心を買いたくてたまりません。

相手を喜ばせるような方法ならまだしも、攻撃することで注意をひこうと試みることもあります。しつこく他人にまとわりつきます。究極の「かまってちゃん」です。

 

そうしてサラリーマン時代にしていたように、周囲を注意深く観察しています。誰かが出過ぎた真似をしていないかを監視しているのです。何かあれば密告や通報をします。日本は相互監視社会です。「日本は最も精巧に作られたエスピオナージシステムである」と外国の学者が徳川幕府について書いたことがあります。 上からの圧力だけでなく、末端の人々に至るまでが、厳格な身分社会を維持しようと努めているのです。

 

それでいて国や社会が行き詰まってしまうと、一か八かの賭けに出ます。東條英機は「清水の舞台から飛び降りるつもりで」と言って開戦に臨みました。国民すべてが、誇大妄想的な万能感に支えられているので無敵です。自信満々に間違ったことを言うのが日本人です。初めからプランが無ければ「間違った」と後悔することもありません。国全体が滑稽なドン・キホーテを演じています。

 

日本の政治は、必要悪としての政治ではなく、また理想の政治を目指しているのでもありません。ただ単に、上の者の欲望を都合よく具現化したものに過ぎないのです。

日本の社会では、倫理と権力が入り混じっています。両者が分離されていません。善悪と強弱は関係ないのです。これが、教育にも悪い影響を与えています。文明国としての体を保つための教育制度に、暴力が組み込まれています。このシステムから日本人は「強者の論理」と「形式主義」を学ぶのです。

「権威ある者との一体化」、これこそが日本人の動機となっています。こうした動機を強く持つ者しか、上の階層に行くことができません。「法の支配」などは必要ありません。彼らにとって法律とは、権威や序列を維持するための、ただの仕掛けに過ぎません。実態を糊塗する見せかけに過ぎないのです。答弁において、表面的でもっともらしい説明をするのと同じです。

 

日本人と付き合っていると、事あるごとに優越意識や対抗意識を見せつけられます。それも権威や組織を盾にしてです。心底うんざりです。

日本の高級官僚は「あるべき姿」への執着が強いところがあります。理想の日本を築くためには、何でも犠牲にするのです。そのために他国からは、非常に侵略的な性質を持っているように見えます。事実その通りです。

彼らを下で支える軍隊的な階層型組織もあります。下の者は考えることも許されず、言われるがままに長時間労働を行います。彼らの滅私奉公も相まって、日本全体として、途方も無いパワーを発揮するのです。気づいた頃には誰もコントロールができなくなっています。彼らは状況も見ずに猪突猛進し、全てを無慈悲に破壊し尽くす厄介なカルト集団となっているのです。

 

ある政治学者は、日本人の本質を「無法者」と見抜きました。表面をいくら近代化したところで、日本人の本質は変わりません。

昔のように、小さな集団同士でいさかいを起し、略奪したり、強姦したり、首を狩ったりする生活こそが日本人には合っています。裏表がない本音だけの世界です。ある意味、生きやすい世界だと言えるでしょう。

 

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