日本は文明退化への道をひた走っています。文明を発展させていく民族。ただ維持していくだけの民族。そうしたこともできずに衰退させていく民族。同時代の民族ではあっても、それぞれ異なります。これらの違いはどこから来るのでしょうか。
国を発展させる方法を経済の面だけから探ろうとすると、本質を見誤ります。「これからの資本主義をどうするか」といった問いの立て方をすると、もはや経済から離れた発想ができなくなるのです。
アダム・スミスが1755年に述べたように、国が繁栄するためには、平和、司法の公正さ、軽い税金という条件が必要です。しかるに今の日本は、パンデミックが起こり人心が荒廃しています。不穏な事件も起こっています。人々は重税と物価高にあえいでいます。司法は機能しておらず、政治における不正がまかり通っています。
これらを無視して対策をうっても無駄です。マズローを持ち出すまでもなく、人間は自身の安全が保証されなければ、それ以上のことはしないものです。彼らの住んでいる家を見てください。「夏は暑くて眠れない。冬は寒くて眠れない」とでも言うべき、豚小屋に住んでいます。
大きな視点でみると、現代文明はいまだかってない長期の繁栄を人間にもたらしています。この繁栄は、次のものがベースとなって生まれています。個人の人権や財産が保護される仕組みがあること。資本市場が機能していること。科学的で合理主義的な考えが人々の間に根付いていること。迅速で効率的な運輸・通信のインフラが整備されていること。この4つです。
これらがあるために、人々は安心して経済活動にいそしむことができるのです。人々の間に合理主義的な考えがあるため、因習に囚われずに、より良い世界を築くための斬新的進歩も可能となるのです。
ところが現在は、皆が等しく抱いていた科学への信仰が失われつつある時代でもあります。科学があまりにも普通の人達とはかけ離れた存在になってしまったのも一つの要因です。科学が怪しい魔術のように思われていた時代がありました。今はそれと似ています。科学だけではありません。社会や市場、政治を動かすシステムも複雑です。一歩先を読むのさえ難しい社会なのです。
その代わりにネット上では陰謀論が溢れ、人々は安易に飛びつきます。複雑なシステムを単純明快に説明してくれるように見えるからです。誰かのせいにすれば、それ以上考える必要もありません。フィルターバブルによって、ますますその信念は強固なものになっていきます。一般人がオカルトにはまってしまうのも無理はありません。
人間の思考力は昔も今もそれほど変わっていません。今の人間の方が優れているわけでは全くありません。その代わりに考えるための材料は豊富です。それを効率よく身につけることで、優れた結果を生み出せるのです。
先人の学問の成果を身につけるにあたっては、体系的に物事を理解する必要があります。知識はすぐに陳腐化してしまいます。それよりも考え方が大切です。それによって新しいものを生み出せるのです。現状のシステムにおける足りない所や、変えたほうがいい部分に気づくこともできます。
文明というものは、人間がより良い生活を築くために絶えず改善を繰り返していくシステムや人々によって支えられているのです。
人間はラクをしようとする生き物です。ラクをするのにも2つの方法があります。1つは上で述べたようにシステムを改善する方法です。もう1つは、ただ怠けるだけというものです。
困ったことに日本人は後者なのです。自分からは物事を改善していくことができません。言われた通りに手足を動かすだけです。「カイゼン」と上から言われて、ようやく改善の真似ができる程度なのです。
また、日本人の場合、表面上は働いているように見せかけますが、実は何もしていないという事がよくあります。社会が衰退していくのも当たり前です。
システムを改善し続けていく事ができる優れた人たちには、どういった特徴があるのでしょうか。「もっと良い未来を築けるはずだ」という信念。将来に対する明確なヴィジョン。そして同胞への愛です。これが優れた変革者、指導者の条件です。
愛が欠けていると、無慈悲な独裁者になってしまいます。愛があってもヴィジョンが欠けていれば、現状維持が精一杯です。信念が欠けていれば、そもそも行動を起こせません。
これが為政者のみならず、各界の指導者、そして庶民に至るまで共有されていることによって、文明は継続的に発展していくことができます。
ただ単に出来上がったシステムを利用して怠けるようになってしまう人間が多くなると、社会の衰退が始まります。どんな貧しい国でも、支配者層だけは豊かな暮らしをしています。それをよしとしてしまうと、そこから抜け出すことができなくなってしまいます。もはや正当な方法では、国の仕組みをただすことができない状態となるのです。
日本の特徴として、伝統的に、庶民にたかる寄生虫が多いことが挙げられます。内戦が終わり江戸時代となっても、多くの武士が存在し続けました。登城し役人の真似事をしていましたが、暇を持て余していました。彼らは何も生み出さずに百姓のコメにたかって暮らしていたのです。まさに穀潰しです。日本人には自浄能力がないため、こういった連中を定期的に一掃する仕組みが必要なのです。
人々がまともな付加価値を生み出せず、為政者の不正が看過され、増税を繰り返してるような国に未来はありません。
日本人は激しい劣等感と傲慢なほどの自尊心の間で、常に揺れ動いている人達です。いつも表面だけを取りつくろうのに一生懸命で、本質を見ようとしません。薄情で、困っている人に手を差し伸べようとしません。
こういった性向と、生来の頭の弱さとがあいまって、日本の文明が瓦解しかかっているのです。
「豊かさ」の誕生(上) 成長と発展の文明史 「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史 (日本経済新聞出版)
「豊かさ」の誕生(下) 成長と発展の文明史 「豊かさ」の誕生 成長と発展の文明史 (日本経済新聞出版)