日本人は働きの悪い人達です。働いているフリをしているだけで、生産性は低いままです。なぜなのでしょうか。彼らは何の目標も持っていないのです。ただ周りに合わせて動いているだけの人々です。
人が働くためには、モチベーションが必要です。共産主義の国々はこの点で失敗しました。日本は資本主義の国とされています。しかし本当にそうでしょうか。
素朴な社会では、人々は互いにモノを贈ったり貰ったり、あるいは助け合ったりしてきました。その内に力のある者が上に立ち、租税を徴収するようになります。それを仲間内で分配します。さらに社会が発展していくと、抽象的な理念に基づいた近代的な統治機構が現れます。それに加えて資本主義のシステムが発達し、その中で自由にカネを稼ぐことが可能となりました。
日本は資本主義社会のように見えますが、表面をめくると、原始的なムラ社会が見えてきます。「日本に投資を」と言っても、部外者が勝手に起業したり、買収したりはできないのです。様々な規制がある一方で、時代遅れのゾンビ企業に多額のカネが注ぎ込まれています。頑張っても頑張らなくても同じというところは共産主義に似ています。
加えて日本には、労働者のやる気を削ぐような慣習があります。1)業界で横並びの給料。2)能力とは関係のない年功序列。3)減点主義で評価されるためリスクをとれない。4)優秀な人間が同じ大学や企業を目指すので、人材が社会に行き渡らない。5)能力のある人間が定期的な人事異動の対象となる。6)同調圧力があり目立つ行動をとれない。7)所属するムラの利益を最大化するために他部署と争わなければならない。こういったものです。
さらに日本人は、労働することについて積極的な価値感を持っていません。また、他人を助けることも価値がないと感じています。周りがそうしているから、仕方なくやっているに過ぎないのです。
海外でも、宗教や神を真面目に信じている人は少数派です。けれどもそこから生まれ出た価値体系までも否定しているわけではありません。少なくとも、自分が経済活動を行うことで、社会全体が良くなっていくという信念は持っています。
日本人はどうでしょうか。働くことに使命感を持っているでしょうか。あるいはまったく逆に、労働は罰であるという見方でも構いません。日本人はそのどちらでもなく、惰性で動いています。強いて理由を挙げれば、家族を養うため、欲しいモノを手に入れるため、食うため、家にいても暇だから、といったものでしょうか。
日本では寄付をする人も少ないと言われています。外国の富裕層は、税金対策や評判を気にして、嫌々ながら寄付をしている訳ではありません。人を助けること自体に価値を感じているのです。
日本人は、世界や人間全体に対して何か貢献をすべきだという考えを持っていません。せいぜい、災害にあった人々に何かをしてあげるといった所が限界です。まったく縁もゆかりもない人、ましてや外国人を助けるべきだとは思っていません。
昔の日本人は言語能力が劣っており、自分で文字を発明することができませんでした。視覚に基づいた空間認知能力は優れていても、言語や音をもとにした抽象的な思考を苦手としています。彼らは、まともな宗教を作ることもできなかったのです。海外から抽象的な概念を輸入しても、理解は表面的なものにとどまっています。
現代は、抽象的なプラットフォームを構築したり、それに関連したサービスを提供することが重要となっています。これは日本人がもっとも苦手とするものです。現状を分析して抽象的な課題を見つけ、解決策を考えていく。それをシステムに反映し提供することで、顧客に価値を感じ取ってもらうのです。けれども日本では、提供する側もされる側も、こういったものに価値を感じとれる人は少ないのです。ともすると「え、カネをとるの?」といった反応が返ってきます。
企業のサイトを見てみましょう。「企業理念」というページがあるはずです。何が書かれているでしょうか。価値を提供する相手は誰ですか。「お客様」どまりでしょうか。それとも世界全体に対してでしょうか。彼らの行動はその理念と合っているでしょうか。それともただ当たり前のことが書かれているだけでしょうか。こういった違いが、成果に大きく影響してくるのです。
法人だけではありません。個人もどういうミッションを持って生きるかが大切です。目的がなければ、糸の切れた凧のようにあちらこちらへ浮遊しているだけの人生となります。
考えることを誰かに任せる時代は終わりました。大きな目的を持てば収穫できる実も大きくなります。自分の立てた目的が、そのまま成長の限界となります。途方もない大きな夢を抱いても構わないのです。それを表明することで仲間が集まってきます。実現へ向かって社会が動き出します。それによって文明も大きく躍進するのです。