kurukuru89’s blog

主に原始キリスト教、哲学、心理、日本人について、気の赴くままに語ります。知識ではなく新しい視点、考え方を提供したいと思っています。内容は逆説的、独断的な、投影や空想も交えた極論ですが、日本人覚醒への願いを込めたエールであり、日本の発展に寄与する事を目的とします。(ここで言う日本及び日本人とはあたかもそれらを代表するが如く装うが、理性が未発達な為、感情的に動き、浅薄な信条に左右され社会に仇なしてしまう集団や人々を主に指しています)これらを通して人間に共通する問題をも探り散文的に表現していきます。

ボブ・ディラン「Buckets of Rain」


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米国ウィスコンシン州出身のギター奏者であるトニ・リンドグレーンさんによるボブ・ディランの「バケッツ・オブ・レイン」のカバーです。

この曲の歌詞は、一見ラブソングのように見えます。実はもっと深いものについて語っています。永遠に分かりあえない人間同士の関係と虚しい人生を歌った曲です。

「友が来て友は去っていく」「人々は煙のように消えていった」という文があります。何一つ永遠に続くものはありません。好きな女性に求愛する一方で自分がどんどん惨めになっていきます。相手を称えながらもとめどなく「涙が溢れ出す」のです。

「猿じゃないから自分の好きなものは分かっている」と言いながらも、「君のここが好き」「あそこが好き」としか言えません。結局のところ人間は「自分が何を求めているのか」さえも良く分かっていないのです。もちろん「何故この人を求めているのか」という事も分かりません。

「人生は悲しい」「人生は破綻だ」とボブ・ディランは続けて語ります。多くの人々はアルコールやドラッグの力を借りて、自分と外界とを隔てている薄い意識の膜を出来るだけ希薄化し、それによって他人や世界を理解したような気になろうとしています。そうして孤独である事を忘れるのです。

単なる生殖行為では収まり切らない恋愛もそういったもののひとつです。それでも「一緒に来てほしい」と惨めにも求め続けるしかないのです。それが意味のない長い人生のほんの一瞬の慰めであっても。

Buckets of Rain