商売は信用で成り立っています。最低限守るべきルールがあります。しかし日本では、相手をいかに騙すかが大事です。どんな卑怯な手を使っても勝ちは勝ちというのが日本流です。
信じられないかもしれませんが、百科事典のセールスマンというのが居ました。1970年前後の話です。英語で書かれた高価な百科事典のセットを月賦で買わせるのです。英語も読めない、大学教育も受けていないような人たちがカモだったのです。
最近は以前ほど見かけませんが、生○保険の勧誘員が会社にいました。社内を行き来してカモを狙っています。カモはよく考えもせずにハンコをついてしまいます。他人が作った人生設計に身をゆだねてしまうのが日本人です
自動車メーカーは、高速道路で真っ直ぐに走らないような代物を「自動車です」と言って売っています。サスペンションやブッシュ、車体剛性、それらの総合的なバランスが悪いので、直進安定性に欠けます。運転していて疲れます。基本的な性能をおろそかにして、どうでもいい見た目だけを飾っているのです。
相手の事を考えるのではなく、お仕着せのモノやサービスを提供するのが日本流です。
日本人は人を信頼する心という、もっとも大切な資質が欠けています。経済の発展にはお互いの信頼関係が必要です。それが無いのですから、日本が凋落していくのも道理です。
長期的に考えれば、信頼関係を築いたほうが良いのに、その場限りでトクになる事だけを考えます。誠実さがありません。信用できない卑怯な連中です。他人を次々と騙して行き、結局誰かが最後にババを引きます。日本全体がネズミ講のようです。しかし現在の少子化によって、それも成り立たなくなってきました。
日本人は狭いコミュニティや、上下関係がある場所で初めて安心します。見ず知らずの人と対等な人間関係を築くのは、日本人がもっとも不得手とするものです。
田舎で農業に携わる間はまだ良かったのです。近代化に伴い、工場に通って同じ作業を繰り返すのも日本人に合っていました。軍隊での厳しい上下関係の中で暴力を受けたり、振るったりするのも日本人の性に合っていたのです。
ところが現在は、通信技術の発達によって、個人と個人が直接繋がる世界となったのです。身の周りの上下関係だけに目を向けていれば良いという時代は終わりました。
新しい世界に日本人は適応することができません。この社会では、ネットの向こうにいる匿名の人々やシステムを信用しなければいけません。日本人はそれが出来ないのです。自分のことだけを考え、ネットで怒鳴り散らす、頭のおかしな人達です。
外の世界は敵ばかりだと考えるのが日本人です。会社でも部署が違えば、争い合う敵です。同期が同じようなポジションに付いている時にだけ、円滑なコミュニケーションが可能です。日本人は基本的に孤立しており、情報伝達が不得意です。
彼らは他人を信用しないので、新しい機会を掴んで商売に繋げることができません。新しい取引先とのやり取りも、確認項目が多く多大なコストや時間がかかります。
それだけではありません。日本人は騙されるのが嫌だからブランドに頼ります。一流の業者に依頼したがります。中抜きによって割高となっているのが分かっていてもです。
名の知られた一流企業であれば、安心です。クレームをつければ対応してくれるからです。賠償金も払ってくれるかもしれません。
体力の無い会社だと、ひょっとすると倒産してしまうかもしれません。責任者がどこかに逃げてしまうかもしれません。一方で、大企業の社員はくびきを負った奴隷です。逃げません。発注者は、安心して無限責任を求めるがことできるのです。
日本人は狭い範囲でしか、心安んじて話すことが出来ません。それ以外は「上か下か」の関係です。
安心できる場所は家庭です。結婚したばかりの男性が「絶対に裏切らない友達を得たような気持ちだ」と述べたことがあります。普通の友達は裏切るけれども、結婚制度で一緒になった相手なら、裏切らないので安心できるという訳です。結婚では自分より弱い者を選びます。いざとなれば暴力で従わせる事ができます。女房、子供は奴隷です。日本で対等な関係を築くのは、なんと難しいことでしょう!
現代では、透明性が求められています。デジタル化によって否が応でも可視化が進んでいます。発注先の業者が、ろくに品質検査もせずに出荷していたことが明らかになります。発注元は血眼でチェックをするようになりました。末端の業者は、僅かなコストで完璧な商品を作らないといけません。こうして日本不遇の時代が始まったのです。
ネットワークが張り巡らされた現代において人を信用するというのは、抽象的な人間やシステムを信用するという事です。けれども日本人は想像力が無いために、目に見えないものは信用できないのです。日本人は、宗教や神、二元論をついぞ理解できませんでした。言語脳の発達が悪いので、抽象的な思考が苦手なのです。
日本人は、近くの親類ではなく、遠くの他人を信頼します。笑顔を見せながらやって来る詐欺師に騙されます。親族や仲間は良いことをしてくれたはずです。ところが日本人は、悪いところばかり覚えており恨みを抱いています。一方で初めて出会った詐欺師とは、良い思い出しかないので、簡単に信用してしまうのです。TVで笑いながら毎日語りかけてくる芸能人に親しみを感じてしまうのも、同じ理由からです。
キャッシュレス決済が進み、誰もがネットを通してスモール・ビジネスを始められるようになりました。けれども、見知らぬ人を信用できない日本人には難しいでしょう。
他人を信用することも出来ないし、未来も信用できません。資本主義とは成長への信頼です。資本主義は投資を繰り返すことです。それを失ったら滅ぶしかありません。カネをどんどん供給すれば、経済は再び活発になるはずでした。しかしそうはなりませんでした。日本は不信社会です。経済だけではなく、日本人特有の心理が影響しているのです。
街に出れば、今でも新しいビルが建設されているし、ピカピカのクルマや新幹線も走っています。空を見上げればジェット機も飛んでいます。多くの日本人は、日本の衰退に気が付きません。
「たかが信頼」等と軽く見てはいけません。やがてもっと大きなものを失う事になるのです。